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[妄想]思考のサウナ
自分の人生でいまのところ、代表的な日常といえば「洗顔」とかそのあたりのことだろうか。
とにかく起床したら「洗顔」。
なんの意識もなく、息を吸って吐くかのように洗面所に立ち、今日はなにをするんだっけとか全然「洗顔」とは関係のないことに思いを馳せながら行う朝のルーティン。
ゆえにこうしてピックアップしてみたとき初めて「洗顔」などと言葉にしてみたのだけど、もちろん日々の中でだれかに「今から洗顔に行ってきます!」などと一世一代のことをするかのように宣言することなどはなかった。
それでは逆に、自分の人生においていまのところ代表的な非日常はなんだろうねと考えて浮かんでくるのは‥「バンジージャンプ」かな。
そもそも高いところがこわいのにくわえて、「バンジージャンプ」の飛んだあとのビヨーンビヨーンとこれでもかこれでもか!と悪魔のような繰り返しビヨーンが、想像しただけで耐えられないのだから、そんなものが日常にあったらと思うと憂鬱で仕方がない。
日常と非日常。
こうして並べてみると、混じり合うことのないこの両極をあえて入れ替えてみたらどうなるか、なんておそろしい想像が浮かんでしまう。
そうだとわかっていながら今日もまた入れ替えてみてしまう。。
・・・・
(バンジージャンプのある日常)
朝、起床後、朝食前にとりあえずハーネスを装着して「バンジージャンプ」。
ビヨーンビヨーンしながら、今日は昼ごはん何にしようかなぁなどと考える。
続いてヒゲでも剃ろうかしらと電気シェーバーを手にしようとして、すこし「飛び残し」があるなと気づいて再びハーネスを装着して「バンジージャンプ」。
一応、飛ぶたびに横にスタッフが付いてくれてジャンプのタイミングに合わせて「バンジィーーー!」と叫んでくれるのだけど、毎日のことすぎて別にどうとも思わない(水道の蛇口から出ている水の音が気にならないのと同じように)。
そして、朝食がはじまる。
・・・・・
(洗顔が非日常な世界)
いよいよ明日にせまってしまった。
場所はプロの「センガナー」でも足がすくむと言われている世界三大「洗顔」の名所。
これまで近寄らないよう避けて通ってきた「洗顔」だったが、ついにありったけの勇気を振り絞って挑むことに決めたのがかれこれ1年前。
しかし、いざやるぞ!と決めた今でも実際目の前まで迫ってきてみると、やはりやめといたら良かったかなぁと弱気な自分も再登場。。
アマゾンの森の奥に住むカオ族では、成人の証としてその勇気を示す意味で「洗顔」に似た儀式が今でも続いているそう。
今やエクストリームスポーツとして世界でも人気となった「洗顔」だが、自分の人生にとっては交わることのない非日常にちがいない。
水が顔に当たる衝撃に耐えられるだろうか⁉︎
タオルが到着するまでの間、顔面につたわる水の感触に意識を刈り取られないでいられるだろうか⁈
さまざまな不安要素が頭をよぎりながらも、
「洗顔」を越え、「目覚めた」自分の姿に想いを馳せ、とうとう覚悟を決めた。
・・・・・
非日常を日常目線でみること。
日常を非日常目線でみること。
それぞれ味わったことのない体験をしたような、
いずれにしてもとても新鮮な気持ち。
「バンジージャンプ」については、必要以上に恐れていただけなのかも、と少し気楽な気持ちでみれるようになれたし、
「洗顔」については、なんだかありがたみみたいな感覚を得ることができた。
こうして極を入れ替えてみてみることは、過剰になりすぎてしまっている、またはあたりまえになりすぎてしまっているものの見方を、
バイアスのないフラットな見方に調整する効果があるのかもしれない。
サウナには疎いが、「熱い」と「冷たい」を行ったり来たりすると、最終「ととのう」ところにたどり着くメカニズムは、
「バンジージャンプ」と「洗顔」を行ったり来たりした結果、何かのバランスが整ったように感じたのとおそらく同じ仕組みなのではないか。
であるならば、「極と極を入れ替える」ことで「バランスが良くなる」この思考実験のことを物理的に「ととのう」サウナにあやかって、
「思考のサウナ」と名付けて遅ればせながらサウナーとして活動してみるのもよさそうですね。
ととのいました。
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