(日本史)江戸の組織人を読んで

前回投稿時から時間が経ったが今回は山本博文氏著作の「江戸の組織人」の紹介、及び本著作を通しての感想を発信したい。

本著作を手にした背景はYoutubeやメディアを通じて、今の日本の組織形態(特に政府・会社)は江戸時代に確立されたものがベースとなっていると知り、私が悶々としている年功序列や窓際族等々の問題がいかにして発生したのかを過去に遡って考察したいと考えたからだ。

結論、本著作は江戸幕府の組織体制(ヒエラルキー構造)にフォーカスされた内容であり、身分や肩書き、役回り等かなり詳細な説明がなされている。従い、江戸という時代背景(江戸時代前後の繋がり)や世界の動きとの関連性(時系列を辿りながらの事象の理解)には向いてないものの、約250年にもわたり反映した江戸時代を担う組織体制を知りたいという読者向けにはピッタリの書物であると考える。

また本著作を通じて印象に残ったのは下記2点。

① 武士道の精神
  「名誉」や「切腹(差腹)」が重んじられ、行動の是非より精神を重ん
  じる時代。死ねば全てが丸く収まるといったある意味で命が軽んじられ
  ていた社会構造。政策失敗の場合、トップが全責任を負うケースもある
  が、基本は現場のトップ(担当者)が責任を取らされるといった任命責
  任の有無。

②  働き蟻の法則(窓際族が発生してしまう構造)
   士農工商という明確かつ厳格な身分制度があり(実際は武士と農民の
   2つの区分に分かれ、其々が2つ(上下)に階級分けされていた様
   子)、将軍をトップとした封建制度が確立されていたものの、実際に
   権力を握っていた者は別人という(江戸時代の老中)ヒエラルキー図
   。

「武士道」の精神は21世紀となった今でもなお日本人独特の精神論として脈々と受け継がれていると感じる。総合商社勤めの私も漏れなく武士道たる思いを持って入社した自覚があり、社内でも「我々平社員はソルジャーだからやらなきゃいけない、、、」といった会話も散見されるのは事実(勿論、流行りのIT・ベンチャー企業ではそうでないと思うが)。
また「どういう人か・何ができるか」よりもどの(大学・会社)組織に所属しているのか、本人の家族構成(親の職業等)が人材登用の場で活用される所謂「就活」制度も「名誉」を重んじる江戸時代の残り香だと感じる。加えて、能力において登用され自分のやりたいことが出来る身分や役割を与えられた者は役人として確りと任務をこなし乍ら昇格していくものの、回ってきた役割について全く知らない上司の言うことをひたすら聞かなければならない与力・同心(この時代の企業体制で言えば、部長・課長クラスをイメージ頂きたい)は澱んでしまうという有り様も正に所属している会社でよく見る光景だ(所謂、窓際族発生要因の1つ)。

上述のほかに、特に共感してしまったのが任命責任の有無。ありとあらゆる政策を取りながら(計3回の改革も実施)将軍徳川家がトップを担い続けて来れたのも、「任命責任」という概念が無いからだと個人的に考察する。例え政策(この時代でいう経営戦略・新規事業計画をイメージ頂きたい)の失敗でも、最終決裁者である将軍徳川家の任命責任が問われることはなく、自らの手で指揮を取った者が追いやられ、終いには「切腹」を自決する等、今以上にパワハラチックな体制であったことが読み解けた。こうなるとトップである将軍(この時代でいう社長をイメージ頂きたい)はもはや人形であり、組織の象徴でしかなくなってしまう現象が江戸時代から起きていた。今この時代も江戸時代と変わらず、トップが自ら判断を下し乍も責任は担当者に取らせ、世論(支持率や世襲)が悪くなれば辞任するといった風習になっており、まさに江戸時代がベースとなっていることがわかる。

以上、今この時代を生きる(会社)組織のベースは江戸時代から不変であることが見て取れると思う。逆に、表現の是非は兎も角、次々に誕生している新興企業(ITベンチャーを主目的組織として意図)はこういったベース体制に嫌気が刺したり、生まれながらに西欧文化が染み付いた(若手)起業家達が当該ベースをぶち壊そうとしている社会の流れが活発化していると私は捉えている。

良い悪いといった二項対立論で議論するのではなく、こういった社会背景をFactとして捉え、今目の前で起こっている事象を俯瞰して捉えられる力(メタ認知力)を蓄えていきたいと思う。


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