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シン・仮面ライダー鑑賞(心に火がついた)

映画鑑賞が私にもたらすものは、”心に火をつけること”

今日はシン・仮面ライダーを映画館で鑑賞してきました。
(ちなみに妻と子どもたちは、ドラえもんの映画を同時間帯で鑑賞)

私は「映画は好きか?」と問われると、「嫌いではない。」
と答える程度の映画熱しか持ち合わせていなかった男です。

むしろ高校生とか、大学生時代は
「映画は、予告も含めて長い時間を拘束されるから嫌いだ。」
とまで思っていました。

しかし、社会人になり「時間は有限である」という
至極当たり前のことに気づいてから
その時間を過ごすにあたり、自分なりに
”目的”を明確にし、”気付き”を得ようとするようになりました。

その結果、私は学生時代の頃は「嫌いだ。」と言っていた
映画鑑賞は「自分の心に火をつけてくれるもの」に変わっていったのです。

映画は観ても観なくても、私の人生にさしたる影響はありません。

極端な例ですが
水を飲まなければ死んでしまいますが、映画を観なくても死なない
といった具合です。

ただ単純に「生きていく」分には映画は絶対に必要なものではないのです。
※娯楽、芸術は大概この部類に入ると思いますが。

でも、必要不可欠では無い映画が、過去から現在まで
これほどまでにビジネスとしても、文化としても根付いており
人々に多くの感動、気付き、哀愁、熱狂を与えてきました。
この映画というものの”熱量”は計り知れないと感じるのです。

おそらくですが、自分が社会人として
仕事に向き合うようになったら、映画の捉え方が変わったのではないかと思います。

自分の仕事が、誰かに届く。そしてその誰かが増えれば
それは、自分の仕事が社会に届くことと同義になります。
社会とは双方向性であることがほとんどだと思いますので
誰かの仕事は私に届きます。

私が仕事に込めた思いを誰かが享受してくれるように
誰かが仕事に込めた思いを私も享受します。

長くなってしまいましたが、シン・仮面ライダーを観て
私が享受した想いは
「想いは受け継がれていく」
というものです。

映画の中に見えたメッセージでもあり
勝手に私が想像する「庵野監督の特撮に対する想い」でもあり
何不自由なく私を育ててくれた映画好きな私の父を思い出し
そんな父のように私も自分の子供達を育てていきたいと
父の背中を受け継いでいこうと思ったり。

なんだか、勝手に想いがこみ上げてくるのです。
映画は、私の心に火をつけてくれるのです。

人生であと何回、映画館で映画を観るかわかりませんが
おそらく観るたびに、何か新しいことにチャレンジしようと思ったり
普段見落としていたことを見つめ直そうと思ったり
何かしら心に火をつけられるんだろうなと思います。

改めて映画は素晴らしいなと感じた今日なのです。

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