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その結果どんな人格になろうとも、私は未来の私を信頼できる
あれはいつ頃だったか忘れてしまったけれど、友達と夜にドライブしながら、どんな人になりたいかについて話したことがありました。人格とか人生とか、抽象度が高い話って言語化するのが超絶大変ですよね。言いたいことが口から出てきてくれないのなんで。口内イップスになってるかも。
初めまして、だいきです。
最近ふと、「普通の人になりたい」って言ってたことを思い出しました。18歳あたりから言ってたと思います。いやもともと普通の人なんだけれど、もっと普通に成りたい。夏にユニクロのエアリズムを着るみたいな、みんなが何が好きで何を良いと思うのかが知りたい。究極の普通。シンプルイズベスト。そんな風なことを言っていました。
でも今思うと、私が本当に目指していたのは普通の人では無かったんです。私が本当に言いたかったのは、本当に目指していたのは、『意図的に世の中の常識から外れた発想ができる人』でした。普通の人と真逆なように聞こえてきて、ややこしくなりそうなので、もっとシンプルに言います。
「普通の価値観と普通じゃない価値観をどちらも意識的に選択できる人」
例えば将来を見据えながら行動すべしという価値観が世の中にあるとします。恐らく多くの人がそう考えているのではないでしょうか。しかし稀に、今さえ良ければそれでいいと言う人達もいますよね。こんな対立した(ように見える)考え方に出会った時、大事なのはどちらの方が自分の人生をより豊かにしてくれるだろうかと思考実験をすることだと思うんです。どちらのメリットもデメリットも考えてみる。そうした上で、どちらかの生き方を選択する。理想はどちらのメリットも含んだ新しい価値観を自分の中に構築することだと思います。弁証法、アウフヘーベンってやつです。つまり、
「気づいたらそんな価値観になっていた」ではなく
「素敵だと思える価値観を選択した」が望ましい。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。自分の経験だけでなく、他人の経験、歴史、未来の思考実験などを掛け合わせて素敵だと思える価値観を選択することで、人生に納得感が出るような気がします。ちなみに「将来を見据えて行動すべし」という考え方には同意しています。普通ですね。
あくまで”今は“同意しているというだけなんですが…
人は「普通」という強い固定観念に縛られています。だからこそ、それを言語化して第3者目線で捉え直してみることで、自分の中の普通、他人の中の普通、大衆の普通などを、多少は公平に比べることができるのではないでしょうか。
このような過程を経て、結果として大衆の中の普通の人に成るのであれば、それはそれでとても良い。その状態は、普通じゃない選択もでき、柔軟な発想力、新しい環境に順応するバランス感覚も備えていると言えるでしょう。そして価値観を意識的に選択することが能力の成長にも繋がる。普通の人にしかなれなかった人と、普通の人になりたくてなった人とでは、それほど大きな乖離がある。狂えと言われて狂える人こそ、真に良識があるのだと私は思います。
「気づいたらそういう価値観になっていた」ではなく、「素敵だと思える価値観を選択した」と言える数を少しずつ増やしていくこと。これを繰り返していけたとしたら、その結果どんな人格に成ろうとも、私は未来の私を信頼できるんじゃないかなって思っています。どんな人になるのか、自分を使った壮大な実験。成功も失敗もなく、死に際に感想が残るだけの実験。最期の感想に期待しておきます。
これがひとまず、「どんな人になりたいか」に対する私なりの回答です。いやこんな長ったらしい答え(答えになっていない)が返ってきたら地雷でしかないじゃん。だから他の人からその手の質問が来た時は、「芯があって信頼できる人だと言われるようになりたい」って言っています。果たしてそんな日は来るのだろうか。取り敢えず今日を丁寧に生きることから始めようと思います。
人格とは繰り返す行動の総計である。故に優秀さとは単発的な行動にあらず、習慣である。
ーアリストテレスー
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