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世の中の「普通」について考えてみた



こんにちは!大ちゃんです!




私は高校生の頃から、ずっと接客業に携わってきました。
そして、今もなお、接客業をしているわけなのですが…。

本当に色々なお客様がいらっしゃるのですよね〜。
もちろん、一緒に働く仲間ももちろん。



最近、職場が変わってから、私の「普通」の概念と相手の「普通」の概念が違うのだな〜と実感する場面が、また増えてきました。

今日はちょっとその辺も紹介していきたいと思います。



例えば!


お客様が「ハロウィンをイメージした色のものは何かありますか?」
と要望があったとしましょう。


さて、皆さんは何を思い浮かべましたか?
かぼちゃ(ジャック・オーランタン)のオレンジですか?
お化けの白や黒ですか?
それとも、薄暗い夜のイメージの紫や紺色ですか?
または、黒やドクロのようなものをイメージしましたか?



私の中での「普通」は、かぼちゃのオレンジでした。
でも、ある人の「普通」は、濃いオレンジ×紫なのではないかと答えました。

その時点でもう既に若干のズレが生じていますよね。


私が「普通」と思っていることが、相手にとっての「普通」ではないことも、沢山あります。



飲食店で働いている時には、よく、
「普通サイズで!」
と頼まれたお客様に、一応真ん中のサイズを見せてご案内すると、

「そんな大きいのはいらないわ〜」
とか
「ん〜、ちょっと小さいね〜」
とか
そんなことばかりでした。


普通サイズとは…

と心底思ったりもしていました。笑



「普通」のお話は、仕事に限った話ではありません。


「普通」に恋愛。
「普通」に健康な生活。
「普通」に結婚。
「普通」にやってくれたらいいから。
あの人は「普通」じゃない。
「普通」の人生。

…普通。



これらって、一体何をもって「普通」なのでしょうか。


地球上の人間の、中央値?平均値?
(昔そんなの習いましたよね〜笑)

それともどこかの誰かが、誰かをジャッジしているのか?
みたいな。


そんなどうでもいいことを考えている私は
「普通」ではないのかな?笑



でも結局、普通の人なんていないと思うのです。私は。
「普通」っていうのはただただ便利な言葉であって、特にこの日本で生活していく中で、可もなく不可もなく、害のない言葉として多用できてしまう。

集団生活において、「普通」というルールを設けることで、組織を成り立たせようとしているだけのものだと思うのです。

(急に何言っているのかわからないけど、なんとなく真面目。笑)



でも、時にその便利な「普通」という固い言葉からはみ出したくもなったりもします。

心のどこかでは、
私は違うんだぞ。
私はみんなとは違うぞ。

みたいな。


それはそれで、当たり前の感情なのだと思います。
だって、この世に明確な「普通」なんて存在しないし、みんな違って当たり前なのだから。



私は「普通」なのかもしれないし、
でも「普通」ではないのかもしれない。


でも、一つ言えることがあるとするならば、きっとこんな事をいちいち考えたり、記事にしようと思ったり…
そういう面においては「普通」ではないのかもしれないな〜と思う今日この頃でした😀笑




では!また次回👋

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