アドラー心理学と子育て(前編)
昨日は青森市内でアドラー心理学と子育てに関する講演会でした。子育てをされている父母の方。保育園や学校の先生。保健室の先生。スクールカウンセラー。市議会議員。コーチ。。。さまざまな方にお越しいただきました。
子育てと言っても僕は実践についてはまだ5年目のヒヨッコです。とはいえたくさんの相談にのってきた経験はありますので、それらを交えて、お話ししました。本稿では、そのベースとなる考え方をノート読者の皆様にもお伝えしたいと思います。
『嫌われる勇気』の教え
大大ベストセラー『嫌われる勇気』の教えからスタートしましょう。まず大切なのはタイトルです。「嫌われる勇気」ですね。幸せに生きていくには「嫌われる勇気」を持つことも大切なのです。
もちろんこれは「積極的に嫌われなさい」という教えではありません。「嫌われることを恐れるあまり、自分を見失ったら元も子もないよ」という教えなのです。
人間には2つの欲求があります。1つは「人とうまくやっていきたい」という欲求。もう1つは「自分らしく生きていきたい」という欲求。
人が幸せに生きていくには、その2つともが満たされる必要があります。そしてこの2つを満たしていこうとする際には気をつけないといけないことがあるのです。それが順番なのです。
「人とうまくやっていこう」に気を取られすぎると、自分の気持ちに気づいてそれを大切に生きていくことがおろそかになります。だから一旦「嫌われる勇気」が必要なのです。
「人からどう思われようとかまわない」
そう決めて、自分を大切にし、自分らしく幸せに生きることを選択するのです。わがままに生きるのです。
わがまま=我まま=私のまま
そして、周りの人にも言ってあげてください
「あなたも自分がやりたいことをしたらいいじゃない!」
そうやって、みんなが自分らしく生きていけるようにサポートすればいいのです。そして楽しく自分らしく生きているもの同士で、より住みやすい社会、会社、家庭をつくるために協力し合えば良いのです。
こうやって、まず自分らしく生きることをベースにすれば、幸せに協力しながら生きていける世界が生まれるのです。
逆に、人とうまくやっていこうとすることから始めると、自分の心を無視して我慢しながら生きていくことになりかねません。そうすると「私も我慢しているんだから、あなたも我慢しなさい」ということで我慢の同調圧力が始まるのです。もったいないですね。
そして『嫌われる勇気』のもう一つの教え。それは「私はできる」「人々は仲間である」と思えるようになることが当面の目標である、というものです。
「私はできる」。そう思えないと夢を描いて、そこに向かって動き続けることはできません。コーチングでいう自己効力感の大切さ、ですね。
そして自分を信じられても「周りは敵ばかり」「だれも理解してくれない」「だれも信じられない」と思ったら、これまた頑張れないのです。私たちは一人で生きていくことはできませんから。
だから「人々は仲間である」と思えることが大切なのです。「わかりあえる」「協力し合える」と思えること。そう思えるから、勇気をもって未来を切り開いていけるのです。
生きていくには勇気が必要
生きていくには勇気が必要です。息子が初めて公園で少し年上のお兄ちゃんたちに声をかけた日のことを覚えています。お兄ちゃんたちの遊びに興味をもった息子は、少し遠慮気味に声をかけました。相手の対応はあまりウェルカムなものではありませんでしたが、息子は遠慮がちに、それでも彼らの近くにい続けて、ニコニコ笑いながら、彼らの遊びを見ていました。
そうするうちに、仲間にいれてもらい、一緒に遊び始めた息子はとても嬉しそうでした。
たったこれだけのことでも、勇気がいるのです。勇気を使い、工夫をして、なんとか欲しいものを手に入れていくのが人生です。
ましてや、辛い思い、嫌な思い、自分が嫌になるような体験。そんなことがあったあとに、気持ちを切り替えて前向きに進んでいこうとするには、多大なエネルギーが必要なわけです。
だから僕たちは勇気づけが大切だと思うのです。
勇気づけとは相手が「私はできる」「人々は仲間である」と思えるように関わることです。そして自分らしく他人と協力しながら未来を切り開けるように関わることです。建設的な行動を続けられるように関わることが勇気づけなのです。
勇気不足と5つの目的
勇気に溢れている時、ひとは建設的な行動をします。ところが勇気が不足すると、残念な行動を始めるのです。それが以下の5つの目的に基づいた行動です。
勇気が不足すると、まずは①褒めてもらいたくなります。人に喜ばれる行動、賞賛される行動をしたくなるのです。そして褒めてもらえると、その行動を繰り返すようになります。
①がうまくいかないと、今度は②注目や関心がひきたくなります。そのために相手の嫌がることや困ることをしたり、問題を起こすことで面倒を見てもらおうとするのです。
あるあるですね。子どもたちも「褒めてもらう」ための行動をしたり、大人の関心を引くために、泣いたり、駄々をこねたりすることもありますね。
それでもうまくいかないと、③喧嘩腰になって自分が正しいと証明しようとします。論争をふっかけてきたり、物理的に自分の優位を示そうとするのです。他人にマウントを取ろうとしたり論破しようとするわけです。
そして、それでうまくいかないと④裏に回って嫌がらせをするのです。正面切って戦っても勝てないので、裏で悪口をいったり、相手が嫌がることをするのです。
そして最後は⑤自分の無力さを誇示するのです。私は何もできない。誰も私を救えない。それをアピールするのです。
④や⑤まで進行すると、当事者同士で解決するのが難しくなりますから、第三者の手助けを受けることが大切です。ただ、そこまで進行する前に気づいて、関係を変えていけると良いですね。
相手が褒められたがっているときは、褒めるのではなく、相手が自分のやりたいことを自分なりにやりつづけられるように勇気づけするのです。
相手があなたの注目を得るための不適切な行動をしているときは、その行動に着目せずに、相手が建設的な行動をしているときに着目したり、それが見当たらなければ、相手が普通にしているときに関わっていくのです。
相手があなたに勝負を挑んできているときは、それに乗らないことです。相手に教えてもらったり、手伝ってもらったりしながら、勇気づけの関係に切り替えていくのです。
教育の目的は4S
私たちは子どもたちに、勇気づけをすることで、実際のところ何を学んで欲しいのでしょうか。人生の初期に何を手にいれて欲しくて、私たちは勇気づけをするのでしょう。
その答えが教育の4Sです。
①尊敬は他人を敬うことです。そしてそのベースには自分を敬うことがあります。自他を敬うことができるから、お互いの想いを大切にしながら協力して生きていけるようになるのです。子どもたちに「尊敬」を学んでもらうためには、私たちが彼らを敬うことが大切です。
②責任とは、自分の人生の課題を自らで解決することです。そのためには、人生のはやいうちから、自分のことは自分でやってもらい、自分でできるという認識をもってもらうことです。また、うまくいかない時も工夫していくことで乗り越えられる体験ができるよう関わることが大切です。
そうすることで、子どもたちは自分の行動の結果を引き受けながら、望む結果に向けて動けるように成長していくのです。
③社会性は他者と協力して生きる姿勢です。「手伝うよ」「協力するよ」と言えることですし、「助けて」ということもできるようになることです。そして何に向かって、どのように協力しあったら良いかを話し合って合意できるようになることです。子どもたちがそのような姿勢を身につけることができるように、私たち大人は、彼らと話し合い、助け合う体験をしてもらえるように関わるのです。
④生活力は生きていくために必要な知識や技能を身につけることです。国語や算数などの教科も、生きていくために必要な知識や技能として身につける必要がありますね。いまで言えばネットリテラシーなども生きていくための力です。もちろん勉強だけでなく、家事や仕事をしていくために、その基礎になる力を身につけることも大切ですね。そのためには、子どもたちに勉強だけでなくさまざまな体験をしてもらえるように関わることが大切です。
現在の学校は、どのくらい子どもたちが4Sを養うことを手助けできているのでしょうか。そして私たちの家庭での関わりは、どのくらい4Sを身につけるために役立っているでしょうか。
そして4Sを身につけてもらうために、私たちにできることはなんでしょうか?
褒めない叱らない教えない
アドラーから指針を得てみましょう。
有名な、褒めない&叱らないですね。アドラーの理屈では褒めるのも叱るのも、こちらの価値観の相手への押し付けなのです。自分が望む行動を子どもがとったときには「褒める」、望まない行動をとったときには「叱る」。このような関わりをしていると、子どもの主体性が損なわれるからやめた方が良いと考えるわけです。
教えないというのも重要です。もちろん一切教えてはダメというわけではないのですが、子どもが自分でも考えられることまで教えようとすると、子どもたちは自分の責任を手放してしまうのです。
「教えてくれる通りにすれば良いや」「なんでもっとちゃんと教えてくれないの?」「教わった通りにしたんだけど、責任とってもらえる?」などのようになってしまう可能性があります。
褒めない、叱らない、教えない。だからと言って、放置しておいたら、4Sが身につくのでしょうか。それもなさそうですね。
では何をしたらいいのか?
続きは明日の後編でお伝えしましょう。
僕たちと幸せな人生を作るコーチングを自分のものにしたい人は