![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/143395868/rectangle_large_type_2_88557e739eff1bdf5877d1d41e3c402c.png?width=1200)
コーチとは何者か?他職種と何が違うか?
道端で倒れている人とコーチ
先日、コーチ仲間と3人で神楽坂で飲んでいました。帰り道、前方で大きな音がして、そちらに目を向けると、おじさんが道路に倒れていました。僕たちは急ぎ駆け寄りました。おじさんは頭部から出血していて、その血が道路に広がり始めていました。おじさんは酔っているようでもありました。声をかけると反応はありますが、何を言っているかはよくわかりませんでした。
僕たちは皆プロのコーチですが、このような状態でおじさんにコーチングをする人は誰もいません。そりゃそうですね。「本当はどうなったらいい?(ゴール)」とか「とはいえ今すでにできてることは?(リソース)」とかそんな質問は、治療を受けて回復してから必要ならすればいいわけです。ここでは何も役に立ちません
僕らは救急車を呼び、その到着までの間、おじさんを安心させるような声がけをし続けました。幸いなことに、救急車を待つ間に、おじさんの知り合いが見つかりました。僕たちは「一緒に病院に行く」と言ってくれた知り合いの人に感謝を伝え、おじさんの回復を祈りました。
僕たちは、素早かったし、暖かかったし、人と人を繋ぐような動きを心がけていましたが、別にそれだけのことです。
同じように「脳梗塞をコーチングで治そう」「肺がんをコーチングで何とかしよう」「脊椎損傷にコーチングでアプローチ」とかもおかしな話です。これらはお医者さんの仕事です。コーチと話していても、病気が治ることはありません。
僕は末期がんの患者さんやご家族からコーチングの依頼を受けることがよくあります。けれどコーチングによって癌を治そうとは、クライアントも僕も考えてはいません
僕のクライアントの中には「奇跡的に癌が治った」という人たちもいます。でもそれらも別にコーチングによって治ったわけではないのです。コーチングを受けていた人が治っただけです。コーチングは数ある要因の一つに過ぎない(もしくは癌治癒にはまったく関係ない)のです。少なくともコーチングだけで治る!なんてことはありません
拙著「人生を変える!コーチング脳のつくり方」には脊椎損傷の女性がコーチングを受けた結果、左手が動くようになったケースが紹介されていますが、これも同様で、コーチングは脊椎損傷を治すものではありません。
この辺りは、こんなに力説するほどのものではなく、むしろ当たり前ですね。ところが次のケースになってくるとちょっと怪しくなってきます
摂食障害で苦しむ人とコーチ
ある日、コーチングスクールの卒業生から連絡がありました。そして、かなり焦った様子で言うのです
「今度、かなり大変な状態の摂食障害の方と会うことになりました。私も経験者だったからわかるのですが、命の危険があるレベルだと思います。本当は入院したほうがいい状態でしょう。ただ彼女は入院を望んでおらず、私のコーチングを受けてみたいと。どうしたらいいかわかりません。私がもっと専門的な知識とかスキルを持っていたらいいのか、もしくは単に私に覚悟が足りないのか」
このコーチは、自分も摂食障害で苦しんだ過去を公表しており、これまでも摂食障害の人の力になるべく相談に乗っていたのです。とはいえ今回の相手は危険な状態であることが予測されるため、どう関わったらいいか迷ったのでしょう。
僕は言いました
「あなたに変な覚悟がなくてよかったね」
心からそう思います。「私は摂食障害を持つ人たちの駆け込み寺で、誰でも受け入れるし、その人たちのことは私が何とかする!!!」なんて覚悟を持っていたら、そのクライアントさんが大変なことになる可能性があるわけです。
愛情や情熱を持ってクライアントに関わることは大切だと思います。けれど同時に、冷静に状況を見極め、社会のリソースを活用しながら、安全にプロセスマネジメントをしていくのもコーチの役割だと思います。だから、今回の件では腰が引けてコーチングの先生に相談したのは、素晴らしいことなのです
僕は続けました
「もしあなたが、その人にお医者さんとして関わりたいなら、今はそのクライアントをお医者さんに引き継いで、あなたは医学部に行けば良いのではないかな?あなたが心理士として関わりたいなら、その人を心理士に引き継いで、あなたは心理大学院に行けばいい」
彼女は黙ってきいています
「では質問しますね。そのクライアントが今から、素晴らしいお医者さんに出会い、効果的な治療を受けられる機会を得るのは良いことですか?」
「はい!」と彼女は即答しました
「なるほど。では、その病院に素晴らしい看護師さんがいて、適切なケアをしてもらったり、温かい言葉をかけてもらえることは、良いことですか?」
今度も彼女の答えは「はい」でした
「有能な心理士を紹介してもらい、自分に何が起こっているかに気付けたり、対処法を身につけることができることはどうでしょう?」
「知り合いのマッサージ師が、彼女の身体をリラックスさせてくれることは役に立ちますか?」
「アロマセラピストと知り合って、お気に入りのアロマが見つかり、穏やかな気持ちで眠ることができるようになるのはどうですか?」
「彼女のことを大切に想う友達と、ただ一緒に楽しい時間を過ごせたり、他愛のない話ができることは意味がある?」
もちろん全ての答えは「YES」なのです。そこで僕は彼女に言いました
「だとしたらそこにコーチがいてもいいんじゃないの?一緒に未来の夢を語り、今できてることに気づき、望む未来に向けてできそうなことを探してくれる人。そんな人が彼女の人生にいることには価値がありませんか??」
他の人たちの専門分野はその人たちに任せましょう。コーチはコーチの仕事をすれば良いのです。コーチにはコーチの役割があるのです。コーチの役割は特別のものだし、素晴らしいものです。そのことに誇りを持ちましょう。
鬱や不安、摂食障害やパニックなどメンタルのことだとコーチングで何とかできるように思ってしまう人もいますが、それよりもコーチならではの仕事に意識を向けたほうがいいと思います。人の仕事を取らずに自分の仕事をしたほうがいいのです
僕たちコーチは相手を「摂食障害の人」と見ることはありません。その人はその人なのです。僕たちは人にラベルを貼りません。
僕が鬱のとき、コーチは僕のことを「鬱のクライアント」とは見ていませんでした。「宮越大樹」がクライアントであり、その宮越大樹が「医者に鬱だと言われて。。。」とか言っているだけなのです。鬱であろうがなかろうが、宮越大樹は宮越大樹であり、コーチのフォーカスは「鬱を治す」とか「鬱を何とかする」ではありません。クライアントが望んでいる人生をクライアント自らが生きること。それをサポートするのがコーチです。だからコーチは「鬱のこと」についてではなく「どんな人生を生きたいか?」を問いかけるのです。
鬱だと診断して、それを治療するのは、お医者さんの仕事です。そこに心理療法的に関わりたいなら、専門教育を受けて心理士さんになれば良いのです。
そして、アドラー心理学の第一人者であった野田俊作先生(精神科医)は教えてくれました。
「お話していても、鬱は治りません」
それはお話(カウンセリング)していても病気が治らないのと同じことです。身体(脳)で起こっていることだから、話をしていて治るものではないのです。けれど
「お話をすることで、人間関係を変えることはできます」
お話をすることで、職場の人間関係や、家族の人間関係を変えていき、そこで実現したかったことを手助けすることはできる。そのプロセスの中で、鬱や摂食障害が結果としてなくなることもあるが、それは約束できない、と。でも鬱や摂食障害がなくならなくても、その人は自分が望んでいた世界を自分の力で切り開く体験ができるのです。
繰り返しになりますが、摂食障害や鬱の治療が必要なら専門家がすれば良いのです。僕たちはコーチとして、その人たちが自分の人生を生きるために、ゴールを描くのを手伝ったり、そこに向けて自分らしく無理なく進むのを手助けするのです。
ちなみに僕も、摂食障害で長年苦しんできた人たちへのセッションも多く経験しています。コーチとしての関わりだけでも、それなりのケースで摂食障害の症状は緩和されたり無くなったりしています。それはどうしてでしょう?
箱根のある温泉で、こんな看板を見つけました
温泉は病に効かない、温泉は病人に効く
コーチングも温泉と一緒かもしれませんね。よいコーチといると自然治癒力が高まることはあるような気がします
何より人間は強いのです。その内側の強さが発揮されるようになれば、自分の状態が変わり、周囲との関係が変わり、生きる世界が変わる。その中で病気が消えてしまうこともあるのだと思います。
相続税に悩む人とコーチ
随分前、まだ僕がコーチとして独立したばかりの頃に、こんな相談を受けたことがあります。
父が亡くなり、多額の相続税が発生しました。実家の売却も考えましたが、母も住んでいるし、家族の思い出もあって出来れば避けたいです。そんな中、出会った不動産関連の方から「実家を売らずに、相続税の支払いを抑える」やり方を教わりました。それを母に話すと「お前はそうやってすぐに騙されるんだから」と反対されました。疑り深い母を説得する方法が知りたいです
いかにも危ない案件ですね(笑)。不動産関連の人が教えてくれたことは、もしかしたらすごく「良い話」なのかもしれませんが、お母さんが言うように「詐欺案件」なのかもしれない。
クライアントの中に答えがある
「クライアントの中に答えがある」はコーチのモットーですが、不動産関連の人が教えてくれたことが「良い話」かどうかは、クライアントの中には答えがないはずです。そして僕は相続や不動産に関して専門知識は皆無ですから、もちろん僕の中にも答えはありません。
だからこれを正しいこととして、お母さんを説得しようとするのは、おかしい話なわけです。僕はそんなことに加担したくありません。
ではコーチとクライアントでできることは何でしょうか?
「手段はさておき、まずは目的や目標を明らかにすること」
それが僕の答えでした。
目的(CLにとって何が大事?大切にしたいことは何?)
目標(望む状態は?いつどこで誰に何が起こっていればいい?)
これらを明らかにするのが例えばコーチの仕事ですよね。
「どんな人生を生きたいか?」「家族でどんな時間を過ごしたいか?」そのことの答えはクライアントの中にしかありません。自分で自分に問いかけ、考え、自分で決めるしかないのです。
その内省と決断を助けるのがコーチの仕事です。一方でその目的や目標を現実のものにするための「手段」は多く存在し、その中にはクライアントが知らないものも沢山あるのです。
だから、コーチがその手段を知っていたら、コーチはそれをクライアントに伝えることもできますし、クライアントもコーチも良さそうな「手段」を思いつかないなら、世の中にあるリソースを活用して、手段のヒントを得る方法を探すことになるわけです。
だからこのケースでは、相続税のことも、実家のことも一旦傍において、
「どんな人生を生きたいか?」
「家族でどんな体験ができたらいいか?」
といったことをまずは一緒に考えてみました。その上で、お母さんなど他の家族の立場に立って考えたときに
「家族みなにとって、共通で大切にしたいことは何か?」
も想像してみたのです。このあたりはコーチらしい仕事ですね。
その上で、数年後の未来を具体的に思い描いてみました。地元にお母さんの住む家があり、家族がそこに集まってきて、幸せな時間を過ごしているイメージでした。
必ずしも、実家の土地建物を全て維持しないと叶わない未来でもないし、土地建物が残るかどうかよりも大切なものがあることも分かりました。
こうしたことがわかれば、
・土地建物の全てを維持するパターン
・一部売却などするパターン
・全部売却して、近所に引っ越すパターン
などさまざまなパターンの中から、実現可能性が高く、幸せに生きられそうなものを考えていくこともできるわけです。
とは言え、クライアントは、やはり当初案(不動産関連の方から提案されたもの)がいいと思うという結論を出しました。
その話が魅力的に映っていたのでしょう。また「お前はそうやってすぐに騙されるんだから」と言われたことが悔しくて、良い話だと証明したかった可能性もあります。
僕はクライアントにこんな風に言いました
CO「わかりました。ただ一点心配なことがあります。その案が本当にどれだけ素晴らしいものか?そして落とし穴はないのか?ということが僕には分かりません。大きな決断ですし、お母さんも心配なんだと思います。そこで、提案なのですが、まずはこの件について公平な判断ができる専門家に相談して確認してほしいのです。今後も僕に相談したいと思ってくれるなら、これは絶対にやってほしいです。そうでないと僕も責任をもって関われません。だれか思い当たる人いませんか?」
クライアントは一生懸命に考えてくれ、地元の税理士だったと思いますが、相続とか不動産に詳しそうな人がいると言いました。
そこで、その人に相談した上で安全そうなら、次回のセッションでお母さんにどう伝えたらいいかを考えることを約束して、その回は終わりにしました。
後日、クライアントがしてくれた報告では
「きいてみたらやばい案件でした。あやうく騙されるところだった。すでに被害者もそれなりに出ているらしい」
ということでした。
それならば「事前に気がつけてよかったね!」ということで、他の方法で望む未来を実現することについて考えればよいだけです。それがコーチの仕事ですね!!
クライアントの中にもコーチの中にも答えがないことは沢山あります。弁護士にきいてみないとわからないこと、お医者さんに相談すればいいことなど他の専門家の活用が必要なことは沢山あります。
コーチは、クライアントが社会的なリソースを活用しながら、望む未来を実現することを手助けする存在として、積極的に専門家の活用についても一緒に考えていきたいのです。
コーチはクライアントが「自分らしく幸せな人生を賢く生きていく」ことをサポートする専門家なのです。
終わり
僕たちと人生を変えるコーチングを身に付けたい人は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?