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選択と決断③

利用者Aさんの体験入所が始まり
そのままおそらく別れがないまま退所だろうと言われていた。

 
Aさんの体験入所初日
何人かの利用者から、「今日Aさんはどうしたの?」と聞かれた。

Aさんは皆勤賞だった。
施設を休んだことは今までに一回も、なかった。

「おうちの都合でお休みみたいだよ。」

私はシレッと言った。

 
今まで福祉職として働いてきて
こういった類のケースはあった。

 
別れの言葉も言えずにさよならとか
正式な退所の理由を利用者に言えないとか
そんなケースはたくさんあった。

いつも本当のことを話すのが正しいとは限らない。

 
今頃入所施設に着いたのだろうか。
私は時計を見た。

本人には移動後にショートステイと説明するという流れだった。
今までショートステイもしたことがないAさんがどう反応するかは未知だった。

 
利用者が帰った後は同僚とAさんの話をした。
今頃体験入所先でどうなっているか。

もはや想像でしか話はできなかった。

 
体験入所から一週間も経たない内に施設に一本の連絡が入った。

それは驚くべき内容で
なんとAさんは入所施設で不適切な言動があり、体験入所は一日で中止となり、入所は見合わせになったという。

体験入所時の説明であんなに強気だった施設で一体何が起きたのだろうか。

 
強度行動障害者専用入所施設で一日で入所が断られるレベルとなると
もはやそれは絶望的だった。

 
強度行動障害者の中でも特に言動が激しかったのか
施設側の職員体制や支援などに課題があったか
あるいは両方かは分からない。

ただ、ご家族はさぞかしガクッと来ただろう。

 
「体験入所後は自宅で落ち着いているし
再びそちらの施設を利用させてもらいながら入所先を探したい。」

連絡を要約するとそんな話だった。

 
施設では緊急で会議をした。
会議参加者は一人一人気持ちを伝えた。

 
私はこう伝えた。

「自宅で落ち着いているのは一時的であり
今後も攻撃的な言動がないとは言えない。

むしろ、今までの攻撃対象は過去にAさんに不快な思いをさせた人であり
このように本人に黙って体験入所を進めた以上
今、日中施設に来るとどんな反応をするか想像つかない。逆恨みされているかもしれない。

他の日中活動施設も退所の話でまとめた以上
元々退所の方向で話が進んでいた私達の施設側も、再び受け入れは困難であると思われる。

また、入所施設探しは今まで片っ端から当たってようやく体験入所できたのがあそこだけであり、そこが一日でダメになった以上、県内での入所施設探しは絶望的であるとさえ言えるのではないか。」

 
他の職員からも似た意見が出て
満場一致で、再利用は難しいということになった。

 
主にAさんの支援で関わっていた男性職員は安心したように息を吐いた。

周りが受け入れの方向の意見を言ったらどうしようかとヒヤヒヤしていたらしい。

 
主に不穏時に支援していた方々がもう自信がないなら
私達他の職員の意見云々関係なく
もう答えが出ている話し合いだったと思う。

 
職員体制の都合。
他の利用者への影響。
日に日に攻撃的になる言動。

並べればいくらでも、再利用を断るだけの理由がある。
上が決めた判断に異論はない。

 
ただ、私はかつての職場の主任が浮かぶ。

主任は最後まで利用者を見捨てない人だった。
周りが無理だと諦めても、「そういう人を見る役割が福祉施設よ。」と言って諦めなかった。

 
前の職場の施設長にしても、再利用希望の利用者は基本的に受け入れていたし
出戻りの利用者は何人もいた。

 
ただ、実際そういった人を受け入れたことで現場が大変だったことは確かだし
よく私も現場責任者として施設長や主任と意見をぶつけたりもした。

 
どちらが正しいかは分からない。
どちらの選択もそれぞれに課題があった。

でも、利用者や保護者にとっては
前私が勤めていた施設は最後の砦だったのは間違いない。

 
転職先の施設は正しい選択をして受け入れを拒んだ。
他の施設と同じように受け入れを拒んだ。

私もそれに従った。

 
利用者がまた通いたがっているだとか
家族が大変だとか
そんなことは声を荒げて言わなかった。

言わなかった。

 
前の職場にいた頃の私は仕事に信念を持ち、熱い気持ちで仕事に真摯に向き合っていた。
本気でぶつかった。

でも退職するしかなかった。

 
だから今度は転職したら、自分を出しすぎないようにしようと思った。
もうかつてのような役職でもないし、周りの職員は穏やかだから言い争いになる機会もまずないし、穏やかに平和に仕事をしようと思った。

 
正しい選択。
正しい判断。

それなのに私は、自分が冷たい人間になったような気がして寂しかった。

 
「もう一度施設を利用をすることはできない。」と断ってからも
それから何度も検討してほしいと打診があった。

 
だけど上は情で決して流されはしなかった。
上だけではない。
他の同僚も誰一人、「やっぱり受け入れてあげたいよ。」なんて言わなかった。

 
Aさんは毎日毎日「施設に行きたい。」と親に訴えているらしい。
時々はどうしても行きたい衝動がおさえられず
一緒に施設を見に来たりもしていたらしい。

 
Aさんの幸せを願うならば
下手に期待を持たせず、縁を絶ちきることだという施設の方針で
もう施設を見に来たりもしないでほしいと伝えたようだった。

 
実際なんやかんやnoteで言っている私もビクビクしていた。
もし見つかったら、殴られる気がした。

見捨てた、と。
よくも裏切ったな、と。

 
実際はいつもみたいにただ
「おはよう。」と言いたいだけかもしれないのに。

 
やがて私の職場は移転した。

Aさんやご家族が施設があった場所をまた見に来たとしても
もう私達はいない。

 
文字が読めないAさんは
何らかで施設が移転した情報を知り得ても
もう自力で辿り着けはしないだろう。

 
移転した時に本当の意味で決別したのだ。Aさんともご家族とも。

 
 
あれから更に時は流れた。

今、Aさんは別の施設に日中通っているらしい。
入所施設は未だ見つからず、自宅で主に過ごしているそうだ。

 
Aさんが退所してからずいぶん月日は流れたが
相変わらず毎日「〇〇(私の職場の施設)に行きたい。」と、ご家族に話しているらしい。

 
福祉の限界を知り
福祉施設の役割を考え
自分や周りの気持ちに触れ
選択と決断に涙した今回のケースを
私は今後も決して忘れないだろう。

今後も福祉職員として働く以上
決して忘れてはいけない。

 
 
世間では時々障害者やその家族、介護者が何らかの事件を起こしたり、巻き込まれる。

その背景では、当人らしか分からない何かがあったのだと思う。

 
家族にも福祉職員にも福祉サービスにも限界はある。

 
例え障害が本人のせいではなくとも
例え本人を愛していても

愛していても

それでも
できないことが私達にはある。

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