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選択と決断①

私は障害者施設で働いている。

以前の職場の障害者施設では10年以上働いていて
その後退職し、今の職場へ転職した。
転職先も障害者施設である。

 
私が転職した頃から
利用者Aさんという方がその施設にはいた。

正確に言えば
Aさんがいる施設に私が来たのだ。
Aさんはその施設を長く使っている利用者だった。

 
「おはよー。」

その人は私に必ず挨拶する。
どこにいても、だ。
まず私を探して挨拶をするところからAさんの、施設での一日が始まる。

 
事務室でパソコンをやっている時  
その人の近づいてくる足音が聞こえるだけで
私は嬉しかったものだ。

 
どこかに出掛けた時
戻ってくると
必ずAさんは玄関そばの窓から私に

「おかえりー。」

と言ってくれた。

出掛け先でいつも楽しい思いばかりではないが
Aさんが私の帰りを待っていてくれて「おかえり。」と言ってくれるのは
本当に嬉しかった。

 
嬉しかったことは他にもある。

何故かは分からないが
Aさんはとあることで必ず私を指定した。
それはうがいと連絡帳と服薬だ。

 
食後うがいをする前は「う、う、う!」とAさんが言い
私は「うがいね。」と言った。
食後、その利用者はモンダミンでうがいをしていた。

連絡帳を書く前は
「A、書く!」とAさんが言い
私は「書こうね。」と言った。
特定の文字を書けないAさんの手に手を添えて
私は一緒に毎日Aさんと文字を書いた。

薬を飲む前は
「くすり!」とAさんが言い
私は「飲もうね。」と言った。
薬を飲む前
Aさんは私に服薬を確認してきた。

 
転職してから毎日
このやりとりが必ずあった。

 
私かAさんが施設にいない時をのぞいて
Aさんは近くにいる職員をスルーして
必ず私のところにやってきた。

それが何故かは今でも分からない。
なんで私なのかは
本当に分からない。

 
分からないけれど
私は私を必要としてくれて嬉しかった。

 
 
また、出会ってからしばらく経つと
別の行動も見られるようになった。

Aさんの近くでご飯を食べた時限定だが
Aさんはお腹を突き出して撫でるのが常だった。

「おいしかった?」「お腹いっぱい?」と私が言うと
「おいしかった!」「いっぱい!」と言い
お腹を3回撫でると自分の席に戻る。

それが常だった。

 
私はAさんが好きだった。

反応を見たくて
人と関わりたくて
毎日色々なイタズラをしていたけれど
そんなところもかわいかった。

 
Aさんと作業をしたり、活動をしたり、一緒にご飯を食べたり、送迎したり
話したり、笑ったり

ずっとこんな日が続くと思っていた。

 
 
Aさんは不穏になった時
人に危害を加えたり
物を壊すことが多い。

 
年々不穏になりやすかった。
以前は色々な場所に行ったり、色々な人と過ごすこともできたが
徐々に制限がかかるようになった。

 
以前は家で不穏になりやすかったが
年々施設でも不穏になりやすかった。
私の職場だけでなく
他の併用利用している施設でも同様だった。

 
ご家族に手をあげることはしょっちゅうだし
それでご家族が正当防衛で応戦することもあり
ご家族も本人もよく体に傷を負っていた。

 
施設でも色々なことがあった。

職員だけでなく、利用者をも叩くことはあったし  
作業により作った製品や施設の備品を壊すこともよくあった。
ご飯を投げたこともある。

 
厄介なのが
理由がよく分からないことだった。

 
Aさんは言語による感情表現やストレス発散が苦手で
以前は苛々し出すとそれが行動にでたが
近頃はいきなり、そういきなり
人を叩いたり、蹴飛ばすことが増えた。

それは近くにいた誰かへの八つ当たりか、もしくは過去にAさんに何らかの不快な思いをさせた人への攻撃だった。

 
自閉傾向のある人は
過去に一度でも嫌な思いをさせた人を決して忘れない、と言われている。

 
全員ではないだろうが
私が知っている、こだわりが非常に強く、他者に攻撃的で自閉傾向の強い人のターゲットは
“今”ではなく 
“昔”何かをした人だ。

 
もちろん、今何かをした人もターゲットだが
その場合は原因が分かるから、対処はまだしやすい。

 
より攻撃的になるきっかけとして
大好きな祖母が入所した、亡くなった…等の理由の方もちらほらいたし
Aさんもその可能性があるが
絶対ではない。

 
Aさん含め今まで出会ってきた、自閉傾向があり、攻撃的な人達は
一番母親に拳を向けた。
おそらく、一番大好きな母親に、だ。

 
家庭内でひどい暴力をふるっても
子どもだから
障害があるからと
泣き寝入りのケースも多い。

 
施設も同様だ。

職員が利用者に何かをしたらすぐに虐待だと騒がれるが
利用者が職員に何かをしても
泣き寝入りのケースが多い。

 
私はAさんに運転中後ろから叩かれたり
メガネを壊されたりしたし
日常でも叩かれたことがある。

 
私だけではなく
気がつけば
叩かれたことがある人や叩かれそうになった人、私物を壊された人が
施設の半数以上にのぼった。

 
「ごめんなさいは?」

施設職員は
利用者が攻撃的な行動をした時
大抵そう言う。
障害があるとはいっても
許してはいけない。

 
でも、Aさんは違う。

攻撃を仕掛けた時のAさんは非常に攻撃的で興奮しており
そんな悠長なことを言っている場合ではない。

 
大抵叩かれたり、物を壊される時は
複数人、複数の物がやられるため
利用者を守ったり、Aさんの移動を促すので精一杯だ。

 
家でもそうなのだろう。

ご家族さえ、利用者や職員がAさんに攻撃されても、謝ることはなかった。

 
叩いたり、物を壊しても
ケロッとしていたり
もしくは不穏な様子が次の日も続いていると
悪いことをしたら謝るよう伝えていくよりも
Aさんが機嫌良く過ごせるように支援することが最優先になる。

施設の職員だからだ。

 
周りの利用者が安全に楽しく過ごせることが大切だし
実際
周りは叩かれたり、叩かれる人を繰り返し見て
怯えてしまっている。

 
それはそうだ。
大抵が八つ当たりか、過去のしでかしに対しての攻撃なのだから
利用者が自分で自分を防ぐのが難しい。

 
そう思いながらも

謝るよう伝えないことは
諦めのようにさえ感じてしまう。
施設職員が誰よりもAさんを、障害者扱いしていて
障害を理由に逃げているような気が
全くないと言えば嘘になる。

 
自分の支援に信念を持ちつつも
これでいいのか、と自問自答する日々が続いた。

 
かつての職場で、課題がありすぎる利用者や利用希望者について色々言った時
主任から「そういう人を見る場所が福祉施設なの。福祉施設が見なくなったら、じゃあ誰が見るの?」と言われた。

その言葉が
こんな時はいつも胸を突き刺す。

 
 
だけど、思う。

 
「それはそうだけど、ここではないのではないか。」

 
前の職場では利用者が不穏な状態で攻撃的すぎたら
保護者に連絡して、早退していた。

 
だが、今の職場は
Aさんが不穏な時は男性職員がマンツーマンでつくし
早退はない。
職員がマンツーマンでつくことにより
人手不足になってしまう。
それにより他の人への支援時に別の問題が起きたりもした。

 
そこまで福祉施設職員はやらなければいけないのだろうか。

 
障害施設といっても
施設の種類はたくさんあり
Aさんの今の様子を見ると
他の施設が向いているように感じた。

 
そう、入所だ。

今のAさんを見ていると
もはや日中の活動や作業を望むレベルではない気がした。

 
それは周りの同僚も同じで
私達は何回も何回も話した。

 
「入所を検討した方がいいのではないか?」

「職員が叩かれるのはまだしも、利用者が叩かれすぎている。いつか通院や救急車レベルになりかねない。職員だって庇いきれない。」

「他の施設は問題行動があったら保護者連絡して、早退させている。いつまでどこまで私達が見ていくつもりか。」

 
私達が陰でたくさん話し
時に本音の一歩手前も上に話していた頃
Aさんの時短利用や送迎不可がついに決まった。

午後不穏になりやすいことと
走行中の運転手の私を後ろから激しく叩いたからだ。

 
そんな中、保護者は入所施設を検討し出した。

ご家族の中で入所派と家で見る派に分かれていたが
現実や限界を感じ
入所で満場一致したらしい。

 
その理由の一つに
Aさんのごきょうだいが引きこもりになってしまったことがある。
度重なる家庭内でのいざこざにごきょうだいは疲れてしまっていた。

 
私は前の職場で
きょうだい児(きょうだいに障害を持つ人がいる方)の方が学校でいじめにあったり、障害があるきょうだいに苦しめられ
引きこもりになった例をいくつも知っている。
思えば、引きこもりの方は全員同性のきょうだいだった。

引きこもった方々は引きこもり歴10年以上の方が多く
家庭内がバラバラになったり
別居が余儀なくされたりと
なかなか解決の目途はたたなかった。

 
そんな姿を見てきたからこそ
Aさんのごきょうだいが引きこもって5年も経たない今なら
まだ可能性はある、と私は思った。
引きこもりじゃなくなる可能性がある。

 
多分ご家族も同じ思いなのだろう。

だが、入所施設を見学しても
ことごとく断られたり、Aさんに合わなかった。

 
入所施設を利用できる方は
身体障害者の方か最重度の知的障害者が多い。
GHを利用できるのは基本的に軽度知的障害者だ。

 
重度の利用者、ましてこだわりが強く、不穏になりやすくて攻撃的なAさんを受け入れる入所施設は
なかなかになかった。

 
 
そんな中、併用利用していた施設が
Aさんの利用を拒絶した。

他の施設でも度重なる暴力をふるっていたらしい。

「そういう人を見るために施設があるのよ。」なんて言ったって
結局は受け入れてくれる施設がなければ家族が見るしかないのだ。

 
日本の福祉の現実を
生きる現実を  
見せつけられた気がした。

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