真面目風な人
「真咲さんは真面目だよね。」
小さい頃から何度も言われてきた。
確かに、小学生の頃から習い事を複数こなし、休みの日にも勉強し、学級委員・児童会・部長・委員長…と、様々なことをしてきた。
真面目か不真面目かの二択なら、私は真面目なのだと思う。
見た目も黒髪メガネ、スカートも長めが好きだし、ピアスを空けたり、派手目なメイクもしていない。見た目も真面目な部類だと思う。
私は真面目はいいことだと思っている。
誠実に物事に向き合い、人と関わっている印象だからだ。
ただ、真面目だと周りから言われた時に
悪い意味合いで言われたりすると
遠回しに自分を否定されたような気分になり、複雑になる。
「真面目だよね。」
その言葉には、融通がきかない、頑固といった意味合いも含まれているだろう。
「もっと適当で大丈夫だよ。」
そう言われた時は、私は相手が求めている動きができておらず、空気が読めていないと言われているように感じて
普通に振る舞えない自分が自分で嫌になる。
私は真面目か不真面目かの二択で言えば真面目だろうが
私の周りには私の上をいくド真面目な方々がいて
そんな方々を見ると
私は真面目ではなく、真面目風なのだとよく思う。
実際私はずる賢い側面も多々ある。
楽できるなら楽したいし、バレなければラッキーと思うことも多々あるし
職場の同僚はみんな立派で、私が一番不真面目だと思うくらいだ。
「真面目だよね。」
ポジティブな意味合いで言われた時、文脈によっては
相手は私を部分的にしか見ていないのだと感じる場合がある。
私は生粋の真面目人間ではない。真面目風人間なのだから。
スピッツが「ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ」と歌っている。
真面目に生きても報われないことは多々ある。
要領よく生きる方が上手くいくことも多々ある。
求められるべきは適当。
タイミングよく動けて、周りに求められるように振る舞えたり、自分の力を発揮できる場で活躍できたらそれがよい。
ズルしても生きていける。
真面目に生きすぎると潰れかねない。
それでも私は真面目だと言われる自分が好きだ。
真面目だと思われている自分でありたい。
真面目に生きて全ては上手くいかないにしても
ズルをして評価されまくる生き方をしたくないと
私は思うんだよ。
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