見出し画像

私と骨折①【人生二回目の骨折】

とある日曜日の夜、寝るまであと一時間といったところでそれは起きた。

考えごとをしながらトイレに行った時
入り口の角で左足小指をガツンとぶつけた。

 
「いだっっつ!」

私は叫んでうずくまった。
あまりの痛さに衝撃が走る。

 
トイレを済ませてとりあえず自室に戻ろうとしたが
ズッキンズッキンして歩くのもキツい。

 
そんな痛みを無視して布団の中に入ろうとしたら
布団が左足に当たるだけで痛い。異常事態だ。

 
左足小指を見る。
若干腫れているだろうか。肌の色は変わらない。

右足小指と見比べる。
よく分からない。

 
本を読んでいてもズッキンズッキンと痛む足が気になってしかたない。
一階にいた母の元へ行く。

 
すり足で歩くと楽なことに気づいた。
つま先を床につけると激痛が走るので
小指だけではなく、つま先を庇わなければいけない。

やっとの思いで一階に行き、足を見せる。

母から見てもあまり違いは分からないらしい。

 
とりあえず湿布を貼ってみようとなり
小指に湿布を貼り、カットバンで固定する。

 
そろ~っと布団をかけようとしたら
先程と同じ痛みが私を襲う。絶望的だ。

結局、湿布はすぐにとれてしまい
私は諦めの境地に達したが
母親は湿布を大きいまま足に貼り付け
今度は頑丈にテープをまいた。

 
半信半疑のまま布団に入ったら
今度は激痛はなかった。

布団に入れるまで格闘一時間だ。

痛みも和らぎ、左足を庇いながら寝ることができた。

 
痛み出した時から薄々思っていたが
湿布で痛みが和らぐならいよいよ骨折かもしれない。
足の小指は骨折しやすいと聞くし。

そんなことを考えた夜でもあった。

 
翌日、私の小さな期待を裏切るように状態は変わらなかった。

四つん這いやすり足での移動が余儀なくされる。
四つん這いだと膝が床に擦れて痛い。

 
やはり今日朝一で通院するしかない。

 
母親が今日からたまたま午後から勤務でありがたかった。

先週までなら朝から仕事だった。

  
新施設長に電話をする。
朝の7時から申し訳ない。
最初は電話に出なかったから子どもと朝ご飯でも食べていたのかもしれない。

 
親から今日、明日は休んだ方がいいと助言はもらっていた。

ちょうど明日はバセドウ病で通院だった。
新施設長は仕事に来ないで休むよう先日行ってきたくらいだ。
もともと二時間半働いたら早退予定だった。
事情が事情だから許してもらえるだろうという確信が私にはあった。

 
私が事情を説明したら新施設長の方から今日明日は休むことを提案された。
話が早い。

お言葉に甘えて今日、明日は休むことにした。

 
9:00からの病院で8:30に到着した。
月曜日の病院は混むから早く行った方がいい。

だが、病院は空いていなかった。

大抵の病院は開始30分前には受付を始めているため、驚いた。まさかの時間通りとは。

それでも続々車が来てみんなが車内で待機していた。

 
8:50になり、母と共に入り口前で待つことにした。

だが、キツかった。

駐車場から入り口に行くまででしんどくて堪らない。
というのも、ケンケンでの移動だからだ。

 
昨日から思っていたが、一刻も早く松葉杖がほしいと切実に思った瞬間だった。

早めに着いたかいもあり
受付は一番だった。

 
名前を呼ばれ、診察室に行き、事情を話す。
すぐにレントゲンを撮ることになった。

「骨折ですね。」

レントゲンの結果は一目瞭然だった。
キレイに骨がズレていた。根元の方だ。

 
やはり骨折だった。

今から7年前くらいにもここで骨折の診断を受けた。
あの時は左手だった。

今度は左足。

人生二回目の骨折だ。
まさかバセドウ病の治療中に。
なんでこのタイミングで骨折まで加わるんだ。

 
別室に案内され、念願の松葉杖をもらった。
月2000円らしい。事前にネットで調べたが、同じくらいの値段だったので妥当だ。

 
足には湿布を貼り付け(これが一番痛かった)
器具で固定し
包帯をグルグル巻いた。

テープでもたくさん固定した。

 
昨日あれだけ痛かったわけだ。
こんなにも厳重とは。

 
人生初めての松葉杖は使いにくかった。
ちょっと使うだけで息切れする。

こんなに疲れるとは。


受付での会計さえキツい。

母親に会計も、湿布をもらうのもお願いした。
車へ戻るので精一杯だった。 

母さまさまだ。

 
その後、しまむらへサンダルを買いに行き
それから私は母と帰宅した。

我が家には玄関へと続く道にスロープがある。
でもそれでもキツかった。

 
私は外出が好きだ。

土曜日はチューリップを、日曜日は芝ざくらを見に行った。

4月もGWも5月も6月も
やりたいことで溢れていた。

 
いくつかの予定はキャンセルしなきゃだが
それでも通院まではまだ、いくつかのことはできると思っていた。

 
でも、無理だと思った。

サンダルを買いに行った時も
入り口の椅子に行くまでで精一杯だった。

外出しても、玄関へと戻るまでが辛い。

 
しばらくは自宅にいるしかない。
体で分かった。

 
新施設長に骨折を報告すると
「今週一週間休みますか?」と先回りして言われた。
そうしたいと言った。

無理だ。
今日、明日ではどうしようもない。

 
月二回のバセドウ病の通院で有給はみるみる減ったが
これで9月に有給が支給されるまで私に有給はなくなった。

 
土曜日にやる会議は行けると話したが
それでも日中室内にいると、自信をどんどんなくしてきた。

 
私の職場は駐車場から離れている。
徒歩5分だ。

 
玄関へ向かうには道が二つある。
段差を登るか、飛び石を通るしかない。

玄関へ入っても会議室は遠い。
手すりはない。

 
私は一週間自宅静養をした状態で
果たしてそこへ行けるのだろうか。

考えても答えは出ない。

 
とりあえずは目の前のことをやろうと思った。

祖母のためにバリアフリー化した我が家は過ごしやすかった。

 
トイレにも廊下にも手すりがあり、正直職場よりバリアフリー化が素晴らしい。

とはいえ
階段の上り下りやトイレは一苦労だし
ちょっとしたことがいちいち負担になった。

体の動かし方、位置を考えながら動く。まるでアスレチックだ。

 
新施設長と今日たくさんLINEをしたように
リーダーからもLINEが来た。

今日私がやるはずだった仕事を代わりにやってくれているようだった。

申し訳なかった。

 
今週仕事であれもこれもやる予定だった。
何にもできない。
任せるしかないのがもどかしい。

 
疲れたのか、今日は二時間も昼寝をした。
夜しっかり眠れなかったのもあるだろう。

 
夜は不安なお風呂だ。

脱衣室で座り、その状態で動いてから手すりに掴まって椅子に座って洗った。

足にはビニールをかぶせた。
左手骨折の時と同じだ。

なんとかシャワー浴できてよかった。


 

明日からは一階で寝ようと思う。

仕事に行かない、外出しないなら部屋着で大丈夫だろう。

 
骨がくっつくまでは安静にした方がいいという助言や心配の声はたくさんあった。

仕事できない自分を責めなくていい。
今は休むしかないのだ。

 
安静にする。
それが今の私にできる最善だ。

 
明日はバセドウ病で大学病院通院だ。
やるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?