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教習所の落ちこぼれ

母が私に言った。

「大学合格したんだから、教習所行かなきゃね♪」

高校三年生の11月末、私は合格の余韻に浸ることなく、教習所に行くことになった。
合格発表から、わずか一週間後のことだった。
 
 
 
私の県は田舎だ。
車は一家一台ではなく、一人一台が当たり前だ。

車がないとどこにも行けないし
免許がないと就職は不可能だし
車がないと働きに行けない。

私の生まれ育った田舎は、そういうところだった。

  
 
18歳になり、周りの人は免許を取得し、車を運転できることを喜んだ。
行動範囲はグッと広がるし、マイカーを持てることはステータスでもある。

だが、私は乗り気じゃなかった。
私は車が苦手だからである。

 

私はとにかく、車酔いしやすかった。
私以上に車酔いしやすい人を見たことがない。
酔い止めは効かず、とにかくすぐに酔った。
車酔いしやすい人は三半規管が弱いと聞くが
観光バスの座席シートの臭いや排気ガスがとにかく大の苦手で
あの臭いを嗅いだだけで気持ち悪くなった。
三半規管が弱いくせに、鼻は敏感だという情けない状況だ。

家族で出掛ける時は潔く酔う前に寝てしまうからまだいいが、学校での行事や友達と出掛ける時は安易に寝るわけに行かず、悲惨な結果にならないことがなかった。

 
そんな私が手放しに、「車の免許、ゲットだぜ☆」なんて言えるわけがない。
私からしたら、「遠方に移動するために仕方なく乗るが、もれなく気持ち悪くなるもの」
それが車だった。

 
「ても、自分で運転すれば酔わないものよ。免許がないとこれから困るし、大学始まったら忙しくなるから今とった方がいいわよ。」

と、母は言う。
言っていることは正しい。
確かに大学合格したら、あとは残りの高校生活を無難に過ごすだけだ。

くぅ……
せっかく受験終わったからゲームやったり、本読んだり
冬休みは郵便局でバイトしたかったのに。

 
人生とは次から次に試練があるものだ。
ハードルは飛び越えても飛び越えてもその先にある。

 
 
そんなこんなで、母と教習所に申し込みに来た。
教習所では学科の授業と実技の授業があるということは聞いていたが、説明によるとコースがいくつかあるらしい。

実技の授業は落ちるごとに追加でお金を払う

と説明があり、何回落ちても追加料金がかからない、ちょいとお高めなコースに母が申し込んだ。

 
「ともかちゃんは運動神経悪いから、多分こっちのコースの方がいいと思うわ。」

 
母の予言は当たった。
さすが私を産み育てた親だ。
私をよく分かっている。

  

 
教習所に通うことになった初日、待合室には何人かの知っている顔があった。

「ともかちゃん!久しぶり~!!」

別の高校に進学した、小中学校の友達だ。 
私と同じように卒業後の進路を決め、免許を取りに来ている人が何人かいた。
高校デビューと言うやつだろうか。
女子は大して変わらなかったが、一部の男子は垢抜けていて、久々の再会に驚いた。

友達と話したり、本棚にある漫画を読んだり
自販機で様々な物を買ったりと
待合室で過ごす時間は楽しかった。
 
 
学科は真面目に受ければ、判子(シールだっけな?)をもらえる。
学科試験の勉強は、待合室近くにあるコンピュータで、ランダムに問題が出るから、それを使ってやればいい。

 
 
問題は実技だった。
大問題だった。

実技の最初の授業は確か、コンピュータを使ったシミュレーションと、ハンドル回しをするくらいだった。
ゲームセンターのレーシングゲームみたいだなと思った。
合格は容易かった。

 
だが、いざ教習所内を走ることになった時、私は立て続けに二回落ちた。
ただ、敷地内の円周をぐるぐる回るだけの、至ってシンプルなもので、私は立て続けに二回落ちた。
周りに聞いても、そこで躓く人はいなかった。
私は運転センスがなかった。

「カーブでもっとスピード落として。」

と、注意を受けた。
どのタイミングでどのくらいスピードを落とせばいいか、具体性がなかった。
だから私はいつまでも手こずった。
実技二コマ目にして早々に、私は母が高めのコースに申し込んでいてよかったと心底思った。

 

確か一回落ちるごとに、追試は3000円かかったと思う。
実技に何回落ちたか分からない私は、その高めのコースで得をしていたことは明らかだった。

 
序盤から運転が嫌になっていたが、3回目に私を担当した人が非常に教え上手で

①普段は○kmで走って、カーブに入る手前のここあたりで緩やかにブレーキを踏む
②カーブ時は○kmまでスピードを落とす
③カーブを過ぎたらまたやや加速して○kmをキープする

と、具体的に教えてくれた。
私はあっという間にできるようになった。
そしてあっさり、合格した。

そう、これだよ、これ!
私はこれが知りたかったんだよ! 

何故できないかが理解できていなかった私に
具体的に教えてくれたこの教官に
私は今でも感謝している。
教官はたくさんいて、私はその方に教わったのはわずか一回だった。
名前をしっかり覚えていなかったことが悔やまれる。
アンケートに名指しでお世話になったと書きたかった。

 
その後も実技は苦戦した。
一発合格することなく、どの授業の時も一~二回落ちた。
大学合格の余韻になど、本当に浸れない。
自分がダメな奴だと思い知らされる日々が続いた。

 
 
それでも、路上に出るようになってからは異なった。
私は路上に出るようになってからは全く落ちなかった。

外での運転は常に緊張した。

「ブレーキはソフトでタイミングが上手いが、臨機応変が弱い。」

と、評価されていたが
それは今でも変わらない。
私は臨機応変力がなかった。

 
路駐をしている車があったり、交通事故があったり、道にゴミ等が落ちていたりした時
私は一瞬判断に迷い、それによって運転や車線変更するタイミングをしくじっていた。

仮免の試験も、一回それで落ちた。
試験の道路に、トラックが路駐していた。
運が悪かったとしか言えない。
私はテキパキと適切に避けることができず、縁石に乗り上げた。

当然、落ちた。
はぁ~………とため息をついた。
あの車さえなければ。

 
 
それでも順調に試験をクリアし、あと少しで免許……というところで
教習所のミスが発覚する。

私はまだ誕生日が来ておらず、17歳だった。

 

どうやら、本来は誕生日一ヶ月前からではないと教習所に通ってはいけないルールらしいが
事務員の手違いで誕生日をよく確認しておらず
私は一ヶ月以上前から通っていたらしい。

あ、あの事務員め………

私は恨んだ。
誕生日が来るまで本試験は受けられないし、授業は一旦ストップになってしまった。
運転はしなければしないだけ鈍る。
せっかくコツを掴めてきたのに、私は数週間教習所に通えなくなってしまった。  
 
なんだよ、これなら冬休みにバイトできたじゃん。

真っ先に思ったのはこれだ。
もうバイトの締め切りをしていた為、今更どうにも動けない。
もっと合格の余韻に浸って遊べばよかった。
教習所に早々と来ることなかったじゃん。
私は名前も知らない事務員と、教習所を急かした母を睨んだ。
 
 
教習所の予定がしばらくなくなった私は、友達から「ヴァルキリー・プロファイル」「僕の夏休み」のゲームを借りて
冬休みという長い時間を楽しんだ。

北欧神話をモチーフにしたヴァルキリーに私はハマりにハマり
冬休みだが夏休みにハマッたところで

私は教習所再開となる。

 
 
数週間ぶりにハンドルを鈍ると、すっかり勘は鈍り
また試験勉強も一からやり直しのような気分になった。
過ぎたことを後からグダグダ言っても仕方ないとは分かっていても
あの数週間通えなかった時期は大きかった。

それでもなんとか、実技試験をパスした。

 
 
 
本試験は、免許センターで受けた。
我が家から遠く、私は免許センター付近に初めて行った。
父親が送ってくれた。

私はあと2点というところで落ちた。

実技はダメだけど、学科は得意…
ということは、なかった。
仮免の時も学科試験に一度落ちた。

どうにもこうにも、私は引っかけ問題にまんまと引っ掛かるタイプだった。 
難関大学に推薦合格したとは言ってもこれだ。
自分が頭が良いとは思わない。

車酔いしやすいことから、県内の道も私は詳しくなかった。
酔わないようにすぐに寝てしまうので、生まれ育ちが同じ街とは思えないほど
土地勘もなかった。

教習所で私は、決して出来がよかったわけではない。
落ちこぼれの部類だったと思う。

 
教習所を休んでいたこともあり、私は周りの友達よりだいぶ遅れて
運転免許証を手に入れた。

 
長い戦いだと思ったが
教習所から巣立ち、一人で運転することはまた
新たな戦いの幕開けだった。

 
 
 
私はその後、ずっとゴールド免許である。
だけど、運転が得意になったわけではない。

 
私は何回か車をぶつけた。

全て、自滅である。

バック駐車や狭い道でしくじり、直すほどでもない傷を作った。
車をこすった時、ため息が出てひどく落ち込む。

 
ゴールド免許を持ってはいるが 
自分を運転上手とは全く思わない。
確かに免許を取得してから
私は活動範囲はグッと広がった。
車酔いも昔と比べると、あまりしなくなった。

  
 
車で走っていると、交通事故の現場をよく目にする。
車は大破し、血だらけで倒れている人も見たことがある。

私の県は車社会だ。
こういった場面をたくさん見てきたし
ヒヤリハットももちろんある。

この前も、いきなり若者が死角から飛び出してきて
私は寿命が縮まった。
運転中は気が抜けない。

 
 
 
免許を取得してから10年以上経つが
教習所で落ちこぼれだった私は
まだ自分自身が派手な事故を起こしたり、巻き込まれたことは一度もない。

それは本当にたまたまで、幸運なことだ。

それほどまでに、交通事故は多い。多すぎる。
自分が悪くなかろうと、巻き込まれてしまうことは多々あるのだ。
家族や友人の交通事故体験の話を聞くとゾッとする。
明日は我が身だ。

 
どこかに出掛けて、無事家に帰ってくる。
それは決して当たり前のことではなく、幸せなことなのだ。

 


 



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