【経営経験ゼロで事業承継】やってみてよかった、上手くいった3つのこと。
皆さん、こんにちは。
静岡家裾野市の家具工場の3代目、鈴木大悟と申します。
家具工場の後継ぎとしてソファ専門の自社ブランドMANUALgraph(マニュアルグラフ)の運営をしながら、一般社団法人南富士山シティと言うまちづくり団体も運営をしています。
僕は2011年に東日本大震災をきっかけに東京からここ静岡に家業を継ぐ為Uターンをしました。
震災が起こり、一気に経営が厳しくなり、当時の社長である父に相談され帰ってきました。
あれから9年。
小さな会社とは言え、経営経験ゼロで、家業を継ぐ気など全くなかった僕が、何とかやってこれたこの9年間を振り返って、やってみてよかった上手くいった3つのことをまとめてみました。
今回の記事は、
これから事業承継をする人。
または
家業があるけど将来どうしようかなーと思ってる方。
にとって参考になれば嬉しいです。
もちろん上手くいかなかったこともたくさんありますので、それはまた別の機会に書きたいと思います。
1、経営理念を両親と一緒に考えた。
我が社(株)フジライトは、昭和40年に祖父が立ち上げ、ここ静岡県裾野市で家具を製造する小さな工場を営んでいます。
元々の主な業務は、ホテルや飲食店、オフィス向けなどの業務用の家具の製造、卸を行っていました。
2011年当時、震災の影響をモロに受け、売り上げは1億円を切り、従業員10名のうち9人が65歳以上。
経営の経験など全くない当時34歳の僕でしたが、帰りたくないけどもしかしたらいつか帰るかもしれないと言う漠然とした思いから、経営にまつわる本はよく読んでいました。でも、その程度でした。
本の受け売りで、ミッションとビジョンが大事だと言うのは何となく理解していましたが、帰ってみると当然その様なものはありませんでした。
しかしよくよく考えてみると、その時点で祖父の代から50年近くも継続して細々ながら事業を続けてこれたのには、当然何か理由があるし、入社してみると苦しいながらも、両親が踏ん張って続いてきた理由が何となく見えてきました。
とは言え、親子で仕事をするのはなかなかどうして、やりづらい側面もあります。僕が帰ったのは34歳の時である程度大人になっていたので、両親も尊重してくれた部分は多かったのですが、周りの事業承継者を見ても、親子で上手くコミュニケーションが取れない人たちも多かったりします。
お互いイラッとしたり、納得のいかないことも多々ありましたが、そもそも社長とその息子が仲が悪くては企業として成り立ちません。
そこはお互いグッと我慢して、入社して早々両親に「企業理念を作ろう」と持ちかけました。
毎週木曜日の夜、経営会議と称して両親と三人で日々の業績を確認しながら3ヶ月ほど経営理念を一緒に考えました。
僕が心掛けたことは、フラッと帰ってきた僕が勝手に考えるのではなく、両親やその先代の祖父が大事にしてきたこと、そもそも何でこの会社をはじめたかなど、やんわりとヒアリングすることからはじめました。
最初は乗り気ではなかった父も、だんだんと「昔こんなことがあった」や「これは大事にしている」「おじいちゃんはこう言っていた」などポツリポツリと語り出しました。そしてその会話の中に会社が継続されてきたヒントがたくさん詰まっていました。
それを親子三人で話し合い文章にしたのが今の当社の経営理念です。
フジライトの企業理念
【ものづくり】
経済の原点は「ものづくりにある」を信念に、形のないもの(無)から、
形のあるもの(丈夫で長持ちする家具)をつくり上げ、
お客様に感動していただくことが私たちの最大の喜びとなるよう
常に技術の向上を図ります。
【お客さま】
商空間及び住空間づくりを通じ、お客様が想像を超えた満足を得られるよう
常に「安らぎ」と「安心」とそして「驚き」をご提供し、
お客様が快適なライフスタイルを送ることができるようお手伝いをいたします。
【私たち】
働く仲間が、この会社で働くことで誇りと幸福感を持って
将来の夢をかなえることができ、
そして地域・社会とともに発展する会社を目指します。
長いですし、会社の経営理念としてはちょっと変な体裁ですが、父と母、そして僕の想いをキチンとのせた、今でも当然一番大事にしている理念です。
何より親子でしっかり想いを共有したことが後々のコミュニケーションを円滑にさせる役割となり、意見の相違があった時も理念に立ち返って相違を確認するにもとても役立っています。
現在は父も母も引退し、業務には携わっていません。
恐らく色々心配な面もあると思いますが、この経営理念を僕に残したことが、大きな一つの安心材料になっているのかもしれません。
2、SWOT分析をする。
「なんだ、SWOTか」と思った方も多いと思われるくらい、今や古典的とも言える経営手法かもしれませんが、中小企業にとってはやはりSWOT分析が一番効くと今でも思っています。
僕が帰ってきた当時、震災の影響で仕事がなく本当に厳しい状況でした。
社内にパソコンが1台しかありませんでしたが、僕用のパソコン1台すら買える状況ではありませんでした。
そんな状況の中で、何をしたらいいかわからない経営経験ゼロの僕は、「事業計画の作り方」みたいな本を片手に、前述の経営理念を作りながら、実務として何をすべきか本を読み漁り、本に書いてあった通りに[SWOT分析]をしてみました。
(amazonで検索してみましたが、当時参考にした本は確かこれです。)
そしてやはり、SWOTを自分だけでやるのではなく、両親と一緒にやりました。
すると僕が気付いていない強みが炙り出されました。
同時に今すぐ克服するべき「弱み」も見えてきました。
SWOT分析をすると、明日の朝いの一番でやるべき事が見えてきます。
ちなみに、この時に炙り出された「ソファを自社工場で一貫して作れる」と言う強みを活かすべく、それから2年後にはソファ専門の自社D2CブランドMANUALgraphを立ち上げました。
毎月、と言うか毎日赤字を垂れ流している状況で、SWOT分析から生み出した「強みを活かし弱みを克服する方法」のいくつかを実行し、入社して半年後には単月で黒字を出す事ができ、無事にパソコンを買えた喜びは今でも忘れません。
3、新しい仲間(社員)を見つける。
この写真は僕のnoteにほぼ毎回登場するので見飽きた方もいらっしゃるかもしれませんが、2年ほど前にカメラマンさんに撮ってもらった超お気に入りの写真です。
こちらも超お気に入り。
ちょうど1年前、MANUALgraphららぽーと沼津店オープン直前にスタッフと撮った写真です。
前述の通り、僕が入社した9年前は社員10名の内9人が65歳以上の超高齢化会社でした。先々代の祖父の頃から勤めてくれている方も多く、実は9年経った今でも頑張っていただいてる職人さんもいます。
入社当時はあと5年もすればみんな70歳を過ぎて1人もいなくなってしまうのではないかと言う状況。しかし新たに人を雇う余裕もない。
僕1人が増えて、僕自身の給与もまともに出せない状況でした。
しかしSWOT分析でも明らかな弱みは「社員の高齢化」。
一方で強みは「長年の職人の経験と技術力」です。
この掛け替えの無い、いわば僕が受け継いだ最大の強みである財産を、一刻も早く伝承しなければなりません。
ここは無理してでも若い世代を雇用しなくてはと思い、すがりついたのが当時あったハローワークの助成金でした。
これを活用し、まず2人の30代の方を雇用しました。
この内、女性の1人Iさんは、アパレルでの縫製経験を活かし入社当初からバリバリの即戦力。今では彼女なしでは成り立ちません。
男性の1人、H君は工場長を経て、今では生産管理の責任者として最も信頼できる1人として大活躍してくれています。
そこから毎年業績が向上するのに合わせて、と言うかどちらかと言うと、人が増える度に業績が向上して行ったと言えます。
あれから9年経って、今総勢28名の社員(パートさん含む)となりましたが、
こんな地方の小さな会社に今のメンバーが集まってくれたのは本当に奇跡だと思っています。
当然ですが間違いなく会社は人が成長させます。
前述の経営理念の中に、
「働く仲間がこの会社で働く事で誇りと幸福感を持って将来の夢をかなえる事ができ...」
と言う一文があります。
これは父が実践してきた事で、僕に引き継がれたミッションです。
今現状みんなが「誇りと幸福感を持って」いると胸を張って言える状態ではまだないのかもしれませんが、経営者として世の中から与えられたミッションとして必ず実現したいと思っています。
以上が経営経験ゼロで事業承継してみてやってよかった3つのことです。
他にも様々な上手くいったことや、その8倍くらい失敗したこともありますが、今振り返ってもこの3つが原点だなと思っています。
中小企業の事業承継は、本当に刺激的でやりがいのある仕事です。
状況は必ずしも良い状態ではないかもしれませんが、とても恵まれた環境を引き継いで事業をリスタートする事ができます。
また地方では、小さくとも地域に対して少なからず発信力や影響力を発揮する事もできます。
僕には両親と一緒に考えたミッションが与えられ、そしてものづくりとまちづくりをまた三たび未来の誰かに引き継ぐミッションがあると思っています。
もしこれを読んで、家業の事業承継に踏み出してみようと言う方が1人でもいたらとても嬉しく思います。
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