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会社を辞めて「専業ライター」になりました。

2023年4月1日。

新年度を迎えたこの日、横浜・みなとみらいは澄みわたる青空とぽかぽか陽気のもと、多くの人でにぎわっていました。
沿道の桜も少し散りかけてはいるものの、まだまだ見ごろです。

そんな絶好のお花見びよりのこの日、私はクイーンズタワーのオフィスに赴き、自席のキャビネットを片づけたり、机をふいたり、書類をシュレッダーにかけたり、と大掃除にいそしんでいました。

昨日の3月31日をもって、8年間勤務した会社を退職したのです。

要領が悪くて昨日のうちに片づけが終わらず(にもかかわらず同僚や後輩と野毛に繰り出してしまい)、やむなく翌日に片づけの続きをしています。

そろそろ、ライター1本で勝負してみようかな。

そして本日、4月1日をもって、ライターとして完全に独立しました。
2020年に兼業でライターを始めてから、まる3年。その間、おかげさまで少しずつご依頼が増え、実績を積み重ねることができました。

そろそろ、ライター1本で勝負してみようかな。

と、決断したのです。

とはいえ、前職(埼玉県庁)で社会人のキャリアをスタートして以来、ずっと組織に所属する人生を歩んできたので「わ~これからどうしよう……」な不安がないわけではありません。

まさに、先日お手伝いした堀井美香さん・羽生祥子さんの対談記事のテーマどんぴしゃの心境です(堀井さんは「退社します宣言」してから急に不安に襲われ、知人にメールを送りまくったそうです)。

でも不思議なもので、「会社をやめる!」と決断した日を境に、なぜか新規のご依頼をぽつぽつ頂くのです。

神様っているのかなぁ。

3年前、「飯田橋のルノアール」で

3年前の2020年2月20日。
「マネー現代」に掲載されたこちらの記事で、私はライターとして“デビュー”させてもらいました。

「マネー現代」のTさんに呼ばれて、指定された飯田橋のルノアールに入ったとき、私は「上阪徹のブックライター塾」を卒業したばかりで「ライター」と名乗ってすらいない素人でした。

Tさんからはなぜか90年代のストリートファッションの話題を振られ、よくわからないまま一生懸命受け答えしました。
後日、Tさんからメッセージが届きました。

「フリマアプリの『ラクマ』で、急にシュプリームとナイキの取引が増えてるらしいんです。記事を書いてみませんか?」

ルノアールでの時間は、ちょっとした“面接”だったのです。

「このチャンスは、背番号3ケタの育成選手がオープン戦で打席を与えられたようなもの。当たってでも塁に出なければ……!」

そんな覚悟で取材に臨み、がっちり構成案をつくり、テープ起こしも完璧に仕上げるなど、1本のウェブ記事にかなりの時間と労力をかけて書き上げた記憶があります(今はそこまでの時間はかけませんが……)。

その「はじめての子ども」のような記事が、親もとの手を離れてYahoo!ニュースやNewsPicks、Twitterで拡散され、いろんな人が「いいね!」やコメントをつけてくれます。

「わ、ライターっておもしろい!」

この感動は、今までにまったく経験したことのないものでした。

「オープン戦の育成選手」のスタンスを忘れずに

会社の大掃除をしながらふと、その3年前の出来事を思い出していました。

この記事と「飯田橋のルノアール」が、私のライターとしての原点だったな……。

この原点を忘れずに、これからもご依頼いただいた一つひとつの案件に「オープン戦の育成選手」の気概で向き合っていこう。

ライターとして独立した今日、あらためてそう誓った次第です。

さて、ようやく机の片づけも終わりました。
クイーンズタワーから外に出ると、すっかり日が暮れて、沿道の桜も日中とは装いを変えてライトアップされています。

せっかくの「独立記念日」。これから野毛で、ひとり決起集会しようかな。

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