2タイプの社会システムを実装した共同体の歴史〜季節的変異から見えてくる問いと可能性〜
この社会のシステムや法律は、固定化されたルールとして運用されている。しかし、季節ごとにそのシステムを変更させていた人類の歴史がある。そこから見えてくるのは、現代社会の閉塞感や既得権益を打破するヒントであった。さらに、それを生み出さない組織や共同体の運営の可能性も見えてくる。
ナンビクワラにおける季節的二元性
この共同体では、雨季と乾季で共同体の社会システムが真逆になる。雨季には、数百人規模で社会的利益を重視した共同体の運営をリーダーは意識する。しかし乾季は真逆で、リーダーは個人的野心で動き、また権威主義的な態度を取る。
イヌイットにおける季節的二元性
この共同体では、夏と冬で変わる。夏は、専制的、強制的な社会となり、富は誰かの所有物となる。一方で冬は、平等、利他的な社会となり、富は共有されていく。
バッファロー狩りの時期のみ国家機関のようになる集団
その部族は、夏の終わりから秋のはじめにかけてのバッファロー狩りを行う期間に警察官を任命する。命令に従わないものを拘束したり、鞭打ち、その財産を破壊し、抵抗があれば殺害した。
権力を行使したものは誰であれ翌年には別の人物の主権の行使に従うことになるよう、主張は注意深くその順番を回していた。
なぜ、私たちは社会システムを単一のものとして運用する社会になってしまったのだろうか?
人類は、自然や環境に合わせ、そもそも可変性を持つ社会システムの運用を行なっていた部族がいる。しかし、現代では固定化されたシステムで運用されている。固定化されれば、それが当たり前となり疑問を持つことや変化させることの動機が生まれにくくなる。
これによって、閉塞感が生まれていると著者は問いを放ち、その起源についてさらに深めていく。
自分たちで変えていけるという意識は非常に重要で、それをどのように醸成していくかが、現代の最も大きな課題の一つでもあるのではないだろうか。
可変性を持つ社会システムを運用することで見えてくる可能性
現代は、さまざまな共同体が存在する。例えば、地縁的な共同体、仕事としての共同体、趣味や目的を持った共同体など。そこのシステムの運用を立ち上げ時から、実験的に複数持ちその可能性を試してみるのが面白そう。そこから、新たな可能性や発見が見えてくるのではないだろうか。
また、仕事において課題や閉塞感を感じる場合は、一旦既存のシステムから離れて考えることが重要なことがある。その際に、その課題を解決するための別のシステムとは?と問いを変換することで、思考がひらけたアイデアが生まれてくることもある。
単純化されたシステムは単純化された人を生む。その結果、短期的に生産性は高まる。しかし、そのシステム内に存在する人の閉塞感は高まる。また、そのシステム自体がエラーを生じてもそのシステムが正しいと思い込んでいる人は正義感を振り翳し他者を傷つけることもある。選択的夫婦別姓制度などは、その典型ではないだろうか。また、災害などコントロールできない事象に対する柔軟性やレジリエンスは低い。
異なる社会システムを運用することは、上記の弊害を防ぎ、これからの社会の可能性につながるのではないだろうか。
参考文献
万物の黎明 人類史を根本からくつがえす、デヴィッド・グレーバー (著), デヴィッド・ウェングロウ (著), 酒井隆史 (翻訳)、光文社 、2023
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