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【♯8】 写真の場所性と記念碑性についての考察及び歴史伝承への応用 ━ 【第4章 写真と記念碑】 -1,2,3

第4章 写真と記念碑

4 - 1 ヴァルターベンヤミンの墓標

 写真の場所性とベンヤミンの歴史観の関係をさらに深く考察するために、マイケル・タウシグ*の著書『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』*21)第1章を一つを手がかりとして考えてみる。第1章ヴァルター・ベンヤミンの墓標は、文化人類学者マイケル・タウシグがベンヤミンの墓標を探すため、彼が1940年に自死を遂げたスペイン、カタルーニャ地方及びピレネー山脈を探訪するという話である。このピレネー山脈では、第二次大戦中、ナチスからの迫害を受けた人々がフランスから亡命するために山越えを行い、大勢が粛清の名のもと殺害されたとされている場所でもあった。結局、そこでベンヤミンの墓標を見つけることのできなかったタウシグは、最終的に山脈のなかの海へ突き出した断崖の先に広がる風景から、ベンヤミンの説いた弁証法的イメージに近いと言えるイメージを獲得するに至る。「自然や複数の物語の中で十字に交差するこの国境の風景こそ、彼らの記念碑である。」22)タウシグは、その風景の中に凍結された人間世界とそこを通り過ぎていくイメージ、つまり“場所としての記憶”を媒介としてベンヤミンやリーザ・フィトコやハンスを含む、スペインとフランスの国境で虐殺された無数の声なき人々を捉えたのだ。ここで語られている現象は、ベンヤミンが説いた弁証法的イメージの知覚に裏打ちされた”場所が堆積した時間の知覚”である。「場所」自体が媒体となり、虐殺による死者やベンヤミン自身を想起させる墓標や記念碑となり、さらには、その死者たちの無名性こそがその場所を、その場所に堆積した記憶と結びつけていたと考えることができる。この話における断崖の先に広がる風景が成した効果は、ここまでですでに説明してきたように、写真術が、写真の場所性という性質を持って成される効果と非常に近いものであることがわかる。それぞれを比較してみよう。風景において場所が記憶を引き出す媒体になったということは、写真において時間軸からの解放によって場所が強調されると説明したことと合致し、死者の無名性が記憶の想起と結びついたことは、写真においては対象が概念に近づくことによって時間を浮遊する流れと合致している。また同じようにタウシグはピレネーの山中を回想し、「素早く動くイメージの群れがある一方で、じっと動かない風景が存在している。」23)と書いている。これも写真という静のメディアが運動を持ったイメージを浮かび上がらせることと、この時タウシグの前に横たわっていた風景がタウシグに感じさせたものと同じ働きをしている。このように考えた場合、風景が持つ記念碑的役割と、写真の場所性がもたらす効果は同じであるのではないだろうか。言い換えると、写真はTimescapeとして記念碑的、墓標的な役割を果たしている、またはこれから果たせる可能性があるのではないかと考察した。

4 - 2 自作品から考える写真の記念碑的性質 :『From 3-11-2011』

 私は大学院の研究制作で「記憶の可視化による歴史の伝承方法の模索」というテーマのもと、主に写真表現の追求を行ってきた。その中から二つの自作品を例にとり、写真の記念碑的性質とは何か、どのように考え活用していくべきかをさらに考察していきたい。

図4《From 3-11-2011》

 まず例に挙げたいのは2021年1月に制作した作品『From 3-11-2011』(図4)である。この作品は、東日本大震災をテーマにした作品で、震災から10年が経つ現在の社会や次世代に、効果的にその過去を伝承するための作品として制作を開始した。被災地の中でも比較的津波が早く到達し、大きな被害を被った場所である宮城県岩沼市岩沼海岸を撮影して等身大の浜と海を写真で表現し、過去も今も未来も、常にそこに存在する海の畏怖を表したものになっている。そして私は実際の風景を切り取ったアートワークを「震災を想起する場」として位置付けた。この作品を制作した当時は、写真の場所性や記念碑性についての考えはさほど固まってはいなかったにも関わらず、これら写真の性質についての考えをまとめている段階に差し掛かった今、この作品を省みると、この作品の中で記念碑としての風景と場所性を引き出す写真の性質との関係がシームレスに繋がっていたことがわかった。

 「実際の場所」である宮城県の海岸線の風景を、写真としてこのような形で取り出したということは、岩沼海岸に存在する場所的な記憶=風景を写真に置き換え、記念碑として作品化するものであったということができる。記念碑としてこの作品を考えていくと、結果的にこの作品は、その場所の記憶である津波による多数の犠牲者たちをその写真のうちに内包するものになっている。撮影された対象である海岸は時間の影響を受けなくなり、永久性を得ることによってそこで起きた事象を常に顕彰することができる装置=記念碑となることができるのだろう。この作品はタウシグが見た断崖からの景色そのものであり、彼がそこでピレネー山脈で虐殺された人々を弁証法的イメージとして得たように、私たちが海岸の写真から過去の津波そのものや、犠牲者たちの時間(記憶)を知覚することは、可能性としては大いにあり得ることである。

4 - 3 自作品から考える写真の記念碑的性質とその活用:『Monument』


4 - 3 - 1 広島における記念碑と風景

 私が記念碑と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、私の故郷である広島の街だ。私は上京するまで2~18歳を広島で過ごした。特に高校時代は爆心地から約1kmに位置する学校に通い、毎日何十万人が亡くなった土地の上で生活を送っていたため、常に原爆の影を街の中に感じながら生きていた。その中でも一際目につくのは広島市の至る場所に点在する様々な慰霊碑などの石碑であった。

図5《Monument - Motoyasu River, Hiroshima》

 私は研究制作として“現在を通して過去の広島を見る”ことをテーマに、2021年4月から『Monument』シリーズ(図5)の制作に取り掛かった。テーマを“現在を通して過去の広島を見る”としたのは、『原爆投下から80年弱が経ち、原爆体験者がいなくなる広島の原爆伝承の次フェーズにおいて、原爆非体験者の身近なものからの継続的で効果的な伝承形態が必要である』と考えたからである。伴って6月、8月にそれぞれ1週間のフィールドワークを広島市の被曝地域を中心に行なった。広島は18年間過ごしてきた土地なので当然詳しく知っていると思っていたのだが、フィールドワークを通して原爆に関する石碑の多さに改めて驚くことになった。平和公園周辺はもちろん、ビルの影や川の土手、学校の入り口など、本当に至る所に石碑が存在していた。その石碑たちはそれぞれが特定の対象に深い追悼の意を発しているものである。その事実は理解できるのだが、実際に原爆体験をしておらず、脳内にリアルで凄惨な情景も焼きついていない(もちろんアニメや漫画、絵画から想像することはできるが、それは他人の手による作り物である)、広島の原爆伝承の次フェーズを生きていく私には、石碑そのものから何かを感じ取ることが非常に難しく思われた。ベンヤミンは、アイコニックなものに歴史を代表させる“物語化された歴史”を強く批判したが、言ってみれば石碑自体は体験者の記憶を代表させた、どちらかというと個人視点的な記念碑であるということができるかもしれない。その点のみで考えると、原爆ドームはその最たるものである。原爆ドームは広島の原爆体験のアイコンとしてその歴史を代表しているが、我々世代が原爆ドームを見るだけで過去を把握することは非常に困難である。このような個人視点的な碑は、当事者(体験者)の不在による形骸化が起こる可能性が高い。(ただ、慰霊碑や原爆ドームなどの記憶を代表させた碑は、そこから実体験的でリアルな記憶を想起することが可能である原爆体験者や、体験者の生傷を間近で見たり、生声での語りを聞いていた体験者にほど近い世代にとっては、伝承のために非常に重要であり効果的なオブジェクトであることは間違いない。)しかし、むしろ私は、そのような碑の文字を読むために近づいたその場所から見える川や道路や人混みと言った風景から過去の人々の時間や記憶を感じ取ることができたのだ。そもそも、碑はそのような意図や役割を持って作られているだろうとさえ感じた。実際、平和記念公園内のアーチ型をした慰霊碑は、慰霊碑を通して原爆ドームを含む景色を見ることができる構造になっている。広島市には、原爆の被害範囲のなかでこのように石碑が点在している。そして広島市の現在、そして未来においては、この石碑から見える“風景”こそが永久的に死者を弔う場所として記念碑の役割を担うことができるのではないかと考えた。

4 - 3 - 2 写真の記念碑的性質

 最終的に私は、広島の次フェーズを生きる人々のための“記念碑としての風景”として広島の川を選び、作品とすることに決めた。広島市には現在6本(1954年当時は7本だったがそのうち2本が後に統合された)の川幅約30~50mの大きく美しい川が流れており、この川をランドマークとして広島は栄えてきた。しかし原子爆弾はその美しい川を、体を焼かれ水を求める人々が集まる地獄へと変えた。そして回収しきれなかった多くの亡骸が今も川底に埋まっているとされており、歴史の中で語られることもなく亡くなった人々の記憶がこの川には堆積している。これら6本の川は広島の過去から現在を広島の町と共に経験し、その時間経過と共に、その時間や亡骸など様々なものを川底に堆積してきている。そしてこのような川を写真にするということは、ここまで説明したように、写真の場所性という性質を使い、この川を大きな“記念碑としての風景”に位置付ける作業であった。なぜなら広島の川は、特に写真の場所性という性質を反映しやすく、体感しやすい場所でもあったからだ。川底に様々なものが地層のように堆積しながら、その時間を重ねていく川というモチーフは、“質的変化する場所”という史的唯物論に重要なキーワードをわかりやすく示し体感させる存在であり、川底に埋まる人々の記憶は、他の川よりも圧倒的に弁証法的イメージによる想起を促すことができると考えた。そうすることで、6本の川の写真を通して、ピレネー山脈でのタウシグの経験のように、多くの人に広島の川に堆積した時間の中から立ち上がるあの日のイメージを想起してもらうことができるのではないだろうか。前述したように、写真はLandscapeであると同時にTimescapeでもある。それらの特性2つを同時に体験することは想起や祈りといった行為に自然と繋がる。これが写真が持つ記念碑的性質である。

4 - 3 - 3 伝承への応用
 
 広島は原爆の伝承において第二のフェーズに差し掛かる過渡期であると述べた。一般的には原爆の投下から76年が経ち、原爆経験を語れる方が減るにつれ「ヒロシマはこれから忘れられていく道をたどるのだ」と無意識に思う人が多いと体感しているが、その考えは間違っているのではないか。歴史として大きく見た時、何かの事件の体験者が世に存在しているこの時間はむしろ特別な時間であると考えるべきだ。言ってみれば原爆体験者がいなくなってからが原爆の伝承の歴史としては本番であると考えるのが妥当だろう。これから5~10年で原爆の実体験を語れる者はいなくなるだろうが、そこまでの時代が、体験者が自ら証言を残し、それらを含めた資料を体系化する第一のフェーズだったとして、そこから後の時代こそが、いよいよ“意識的に”ヒロシマを後世に繋いでいく第二のフェーズだと私は考えている。このように第一のフェーズと第二のフェーズにおいて、伝承活動として求められることやすべきことは大きく異なっている。その上で、この第二のフェーズに適した伝承の形態を考えるために、写真が持つ記念碑的性質への考察や、私の作品の中で行なった試みが生かされる。広島の伝承の第二のフェーズに適した伝承形態を考えていく中で、この論文の中で語ってきた写真の場所性に基づく写真の諸性質を、どのように社会に応用させていくことができるのかを考察していきたい。

 まず、伝承の形態として第一のフェーズは、原爆体験者による伝承活動及び資料回収、統合、展示による伝承活動が主である。被伝承者の立場から考えると、これは体験者や資料の現物などの一次的な要素から無意識的に情報を受け取る“受動的な”伝承形態であったといえる。一次的なモノにその歴史を代表させ、その受け渡しによって行われる伝承形態だ。体験者による口頭伝承や石碑、原爆ドームなどはその例である。この伝承形態は第一のフェーズにおいては非常に効果的であり絶対的である。なぜならその歴史を経験し、主体的にその歴史を現実に表現することができる体験者がいるからである。彼ら体験者が存在する限り、あらゆる情報(口頭伝承や石碑、原爆ドーム、展示物)には“存在した”という絶対的な裏付けがなされ、被伝承者が歴史を受動的に受け取るという作業の中でもアクチュアリティの想起が行われる。ここにおけるアクチュアリティとは、一次的な体験の記憶である。体験者がいることで、我々被伝承者は、身近で、高い現実味を帯びた情報(弁証法的イメージのような)を受け取れていたのだと考えている。

 しかし、第二のフェーズへの過渡期である現在、このような受動的な伝承形態は徐々に形を変えていかなければならないと私は考えている。さもなければ、体験者がいなくなり原爆の影が残らないこれからの広島で育つ新しい世代は、アクチュアリティを想起する機会を失ってしまうだろう。(言い換えれば、自分と原爆体験に関連性が感じられなくなってしまうということかもしれない。まるで異国のおとぎ話や神話を聞いているかのような受け取り方をするはずだ)それは第一のフェーズで存在したような体験者の存在がモノたちに与える絶対的な裏付けの欠如が原因である。第一のフェーズでは、我々は体験者の絶対的な記憶を受動的に受け取っていればよかった。では、これから広島が迎える第二のフェーズにおいてはどうだろうか。第二のフェーズにおいては、被伝承者である若者に“能動的に”アクチュアリティを想起させることが重要であると考える。想起させる方法論と仕組みを体系化する、というべきかもしれない。私が今回制作した作品『Monument』シリーズは、まさに写真の場所性とそれに基づく記念碑性を利用し、モノからではなく、今現在この時点からアクチュアリティを能動的に想起させるための仕組みであった。モノから受け取れる情報は風化していくため、伝承活動において圧倒的に長期的である第二のフェーズでは、被伝承者が想起の主体である必要がある。そしてそのきっかけとして、写真として保存するという方法であったり、場所そのものを作品とする方法であったり手段は様々あると思うが、時間の幅をもった場所、概念としての風景を保存していくことが体験者のいなくなった第二フェーズには重要なのだと考える。




註釈・引用

21)マイケル・タウシグ 著 /金子遊・井上里・水野友美子 訳 『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』/ 水声社 / 2016 年

22)マイケル・タウシグ 著 /金子遊・井上里・水野友美子 訳 『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』/水声社/58頁 /2016年

23)マイケル・タウシグ 著 /金子遊・井上里・水野友美子 訳 『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』/水声社/54頁 /2016年

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