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最近の出来事、リハビリ日記

 noteを更新することがめっぽう減り、それと比例する形で外部向けに文字を書くことが少なくなってしまった。ここしばらくはただひたすら韓国ドラマを見続けるか、あるいは試験勉強をするかのどちらかだった。やがて仕事も忙しくなり、いよいよ試験勉強が追いつかなくなってしまったので、ここで一つの決断をする──。もう、試験受けるの来年にしよう。

 試験自体は、8月上旬に予定されていた。それを決めるのは時期尚早ではないかというウチなる心の声も聞こえて来そうなものだが、そもそも受験申請の1週間前になり、ネットで申し込みができるからいつでもいいや〜と軽い気持ちで考えていたのが、実はこれが大学受験などと同じく書類を取り寄せて、それから郵送で振り込まなければならないという事実を知り、「あ、これ詰んでる……」と、もうどうしようもない事実に打ちのめされてしまった。 

 はぁ〜私って本当にこういう肝心なところ詰めが甘いのよねぇ。最近も将棋ゲームで途中までいい感じだったのに、最後まさかのどんでん返しが巻き起こり、まさかの敗北を喫するというシーンもなかなかに多かった。受験申し込みがもう絶望的になった段階で、でも自分の中では割とあっさりと「あ、これで勉強しなくても良くなるじゃん!ラッキー」と、ここ半年間の努力が泡となったにも関わらず、開放感に満ち満ちているのだ。

 ということで、仕事には邁進しつつも、仕事が終わった後はチャミスルを飲みながら韓国ドラマをひたすら見るという自堕落を絵に描いたような日々を送っていたのだが、ふと「文章が書きたい」という熱が復活し、こうして筆を取った次第である。

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 ここしばらく、自分が何をしていたかを鮮明に思い出すことができない。あっという間に年が明けて、もうすぐはや6ヶ月が過ぎようとしている。1月と2月はすっぽり記憶が抜け落ちている。確か遅れてやってきた韓国ブームに乗っかって、ひたすら新大久保で「ケンチャナヨー」と言って、韓国料理を食べ漁っていた気がする。同僚やら友人やらを巻き込んで大概迷惑な人間である。「ケンチャナヨ〜」と自分に言い聞かせ続けて、ひたすらチヂミを食べ続けていたら、3kgくらい太った。あ、私代謝が落ちているやんけ、とちょっとゾッとする。

 3月には韓国好きが高じて釜山へ行き、昔の友人とあい、3月末にはタイとインドネシアへ初めて仕事で赴き、そこで再びカレーを巡る冒険に出るわけである。それから4月になって、再び韓国からインドへ帰化し、ゴールデンウィークに差し掛かる1週間前に、九州で行われたカレーの学校で精神を学び直す。(この話はまたおいおいするとして)

 この時、しかし私は確実に浮気をしていた。うっかりネットフリックスで『涙の女王』を見てしまったのである。これが巷では今やとんでもないブームを巻き起こし、数々の女性の涙を台風の如く掻っ攫っていったらしい。キム・スヒョン、恐るべし。そしておおよそこの世のものとは思えない美貌を兼ね備えたキム・ジヒョン。サランヘヨ、という響きが持つ美しさ。私は無性に韓国語を喋りたくなった。そして、今かるーくハングル語が読めるくらいには少しだけレベルが上がった。

 ゴールデンウィークは、もう誰も手のつけられないほど円の価値が下がり続け、今や1ドル160円に手を伸ばす勢いである。もうあまりにも悔しいから、私はたいして遠くにも出かけず、他の韓国ドラマを再び漁り、そして美男美女が繰り広げる人間ドラマに涙する。韓国ドラマには誰もがハマる黄金ルールなるものがあって、確かに大体筋が決まっていて、主人公たちの順風満帆な人生を壊そうとする悪役が登場する。ドラマは徹底して勧善懲悪、暗い人生を持った奴らは最後の最後で、舞台から消し去られる。

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 バスの中では、ただひたすらOST(韓国ドラマのOriginal Sound Track)を聴き続ける。なんて透き通る歌声なんだろう。OSTは時折、同じ曲が別の韓国ドラマで流れることだってある。名曲はいつまでも語り続けられるのである。

 いつの時代だって、人々に受け入れられるのは幸せな物語だった。最後バッドエンドで終わるストーリーなんて、一人で見られたものではない。インド映画も、どんなに窮地に追い込まれたって何故かくるくる踊るだけで全て解決するのだ。

 先週くらいに、会社の同僚に誘われてリレーマラソンなるものに出る。正直一人1周1.5kmくらいなので大したことないやーんと軽く見ていたのだが、年月が経ち、自分の体が以前よりも確実に、オイルの切れかかった体になり始めていることを自覚せざるを得なかった。

 人も物と同じだ、きちんとメンテナンスをしていなければ、しっかりと錆びついていく。動かなくなっていく。当たり前の事実に打ちのめされそうになる。言葉も、錆びていく。昔よりも、自分が秘めた言葉を外に出すことが億劫になっていく。今はただ、家の中にいろんなものが溢れすぎていて、それをきちんと整理して断捨離したいと思った。

 生きているうちにいろんなものを失っていく。ためる一方では新しいものも入ってこない、といつだったか友人が言っていた。その通りだと思う。同僚から受け取ったバトンを手にして、何か次の人たちに伝えるため、私たちは同じコースをぐるぐると回り続けている。

 わかっている、自分が今連ねている文章がなんの脈絡もないことも。少しリハビリが必要だと思う。自分の中にパチパチと浮かぶ言葉を、ひたすら弾き続けて、これから先助走をつけて走り続けられるよう、また、足を止めながら歩き続けている。

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