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晴読雨読

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晴レノ日モ雨ノ日モ、私ハ本ヲ読ム
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#私のイチオシ

あたまの中の栞 - 葉月/長月 -

 どこからか、美味しそうな香りが漂ってきた。グゥとお腹が鳴る。  じとっとした季節もいつの間にか通り越して、少し肌寒い季節がやってきた。私は暑い8月が好きで、お祭り拍子が聞こえてくるとどうしようもなくドキドキしてしまう。  イカを焼く香ばしい匂い、色とりどりに流れゆくスーパーボウル、海へと逃げるタイミングを逃したたい焼きたち。彼らは皆、私に夢を見せてくれる。  でもコロナによってイベントが悉く中止になり、夏休みも例年に比べると凡庸な過ごし方になった。  家でひたすら簿

世の中の先入観なんて吹っ飛ばせ!

いつになったら、私たちはタイムリミットから解放されて手を取り合うことが出来るんだろう。世界中にある時計を一つ一つ、金槌で壊して歩けたらどんなにいいだろう。(p.116)  今年の4連休は意外とあっさり終わってしまったことになんとも言えないモヤモヤとした気持ちを抱いている。ニュースを見る限りだと結構日本勢金メダル取っている感がある。でもなんか遠い世界の出来事を見ている感じが否めなくて、うーんどうしたものかと一人で勝手に頭を抱えている。  さて、ちょっと疾走感のあるタイトルに

狭間でゆらゆら揺られる

 最近、自分の中で何かが足りない。これがなぜなのか何とも表現するのがもどかしいところだけど、少し前まであった物事に対する高揚感だとか新しいことに挑戦する意欲だとか、そういったものがだんだん削がれていっている気がしてしまう。  その原因って、思い巡らすと頭に浮かんでくることがいくつもある。年齢を重ねて落ち着いたということも言えるかと思うし、コロナのせいで行動に制限がかかってうまく立ち回ることができないということもあるかもしれない。  きっとね、こういうのは積み重ねだと思う。

ムクドリの逆襲

【前書き】 特に実のある話でもなく、私の周りで起きた出来事を振り返る回です。  駅への道を歩くたびに、「キイキイキイキイ」と声がする。何だかめっちゃ近くに鳥がいる!と思っていたら、続いてその声に呼応するかのようにそこから少し離れたところから「キイキイキイキイ」と声がするではないか。  こんな至近距離で愛の囁きを交わしているのか、それならば近づいて一緒に行動すれば良いのに。と若干呆れた。すると次の日も同じ場所から同じような声がするではないか。  変だなと思って調べてみたら

あたまの中の栞 -水無月-

 早いもので新しい年を迎えてから半年が過ぎようとしている。「光陰矢の如し」とはきっとこんな時に使うんだろうな。6月に入ってからは毎日のように雨が降っていて、正直な話気が滅入った。もう地面が陥没してしまいそうなくらい雨が降り続けて不安が胸を掠める。  ここ一ヶ月長い物語を書いているうちに気がつけば1日が終わっている、という日々が続いた。物語を書くのは全然私にとっては苦ではなくて、あー私生きてるって思ってしまった。なんて単純なんだろう。自分が紡ぎ出す物語の世界に没頭することによ

聞こえぬはずの声を聴く

 昔カナダのバンクーバーから1時間程度の場所にある、ヴィクトリア島に留学していた時がある。  その当時仲良くなったメキシコ人から「ユー、ホエール見に行かない、ホエール」と誘われ、半信半疑でゴムボートに乗って見に行った。その時一緒に乗ったクルーのひとりがブラジル人で、明らかに顔色が悪く「おおぅ、大丈夫だろうかこの人」と思っていたら、案の定数分経ったのちその人の中にあったものが盛大に海へ還っていった(詳細省く)。  その後はもう眩しいくらい、彼がスッキリした顔をしていたことを

あたまの中の栞 -皐月-

 そろそろ春の暖かい季節も通り過ぎて、ジメジメとした季節に突入しようとしている。5月は個人的にはとても好きな季節。都会ではあまり見かけなくなったけど、私が住んでいる田舎町ではところどころで鯉のぼりを見ることができる。柏餅も食べることができるし、黄金色に輝く休みだってある。  なかなか贅沢かつ楽しみが詰まった月だと思う。例年であれば、だいたい休みを数珠のように繋げて、海外へ特に目的地を定めるでもなくプラッと飛ぶ。残念ながら依然として「名前を言ってはいけないあいつら」が猛威を振

おもはゆい

 再び家で仕事をする時間が増え、通勤時間が無くなった分、以前よりも柔軟に時間を使るようになったのは喜ばしいことだ(いくつかの弊害はあるものの)。  世間では連日のようにコロナウイルスのワクチンの行方を巡って、ニュースキャスターが「これは深刻ですね」と原稿を読み上げる。いかにも由々しき事態が起きました、という顔つきだ。部屋から一歩も外に出ないことで、この世の中で起きている出来事がまるで映画の中のワンシーンの一コマではないか、といった錯覚に陥る。 *  小さい頃、私はいやに

ストーリーの作り方(備忘録)

 気がつけばnoteを始めてから1年が経ったことに驚きを隠せないでいる。年々時が過ぎていくのが早くなっていく。思えば書き初めの頃は自分が一体何を表現したいのかがよくわかっていなくて、そして残念ながらいまだによくわかっていない(情けない……)。少しずつ小説的な何かを書くようになって、登場人物たちが思うように動いてくれずヤキモキしてしまう。  本当はどこかできちんと脚本術を習いたいな、と思いつつも一体どこで何を学べば良いのかと生まれたての子鹿のように暗中模索で手探りをしている。

今夜は心地よい炭酸の上で

 ようやく明日からゴールデンウィークとなるわけだが、毎年やっときたー!というような異様なハイテンションにはなることができないでいる。それもこれも突如降って湧いた”やつ”のせいであるが、もうみんなが同じ状況なので四の五の言うことはできない。  まだまだしばらく海外へ行けなさそうなので、どうにも魂だけでもどこか浮遊したい気分になってくる。(そういえば昔ゲゲゲの鬼太郎のアニメ版において、鬼太郎が魂だけ飛ばして地上階を見下ろす回があったような気がする。私も魂だけでもこの状況から抜け