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炊飯器、一番上の引き出し、洗濯機、おでんの入った鍋。

まだまだ受け身の赤ちゃんだった、2020年。
我が家の次男にとって、2021年は、【世界を自分からのぞき始めた年】だったに違いない。
彼は「マーマ」「ここ」「あけて」「アッコ(抱っこ)」の4語で新たな世界と対峙し続けていた。

おもちゃ箱を持って来て「あけて」
絵本を持って「あけて」
パントリーで熟されているバナナを捕獲して「あけて」
みかんが置いてあるテーブルに座って「あけて」

色鉛筆やクレヨンやサインペンの箱を持ってきて「あけて」
あけてもらい、綺麗な色のそれらを並べて眺めて悦っている。


あかないおもちゃ(スノードーム的な)をじっくり見たあとにも
もちろん「・・・あけて?」

可愛いので一瞬迷ってしまうのだが、これを開けてしまったら、母にとっての「まだここにない出会い(リクルート)」が始まってしまう。


暇があれば、冷蔵庫を指差して「ここ」と言い「あけて」という。
あけた後にしれっと閉めようとすると、「アッコ!アッコ!」と自分のお腹を指差して「ここ」という。
どうやら冷蔵庫の中には「いいもの」が入ってるらしい、というのはよく知っているようだが、冷蔵庫が冷やしたり、凍らせたりする道具だとわかっているかは、わかならい。
抱っこしてあげると、前のめりになって何があるのかじっと眺める。2人の顔に冷気がかかる。気持ちよかったり、寒かったり。次第に冷蔵庫の扉が「ピーピー」と鳴り出し、母は「おしまい」と言いながら扉を閉めるのだけど、音が鳴り止むので、次男はそれを素直に受け入れている。本当はもっとじっくり見たいのだろうけど。

「あける」というのは、すごく重要な「出会い」に違いないと、子育てをしていて思ったのだ。

「あけて中に入る」という動作は、お店とかでもそうだけど、内側にいる人の中に「入れてもらう」という行為だったりする。
あけることによって、それまで隠れていたものが見えるようになる。
テレビや絵本やスマホの「あけて」は、ここという世界とは違う、どこか向こう側へいくことである。
ビニールに入ったお菓子やパン、箱に入っているケーキ、お弁当、バナナやみかん等、皮をむく果物、ジュース。
全部「あけて」の一言で、それらを自分のものにすることができる。(あけてもらえないことの方が多い)

彼は狭い家の中でさえ、まだまだ探検し尽くせていない。
「あれー、珍しく静かに遊んでるな?」と思い、次男を探すと
始めて認識したであろう、引き出しや箱を、ひっくり返して、黙々と手にとっては床に置いていく。その真剣な表情は「職人」だ。
私の存在に気がつき目があうと「ん?」という顔して動きを止め、立ち上がる。
ん?何か?


2021年の前半は、抱っこしてもらい、家の中を散策して、未踏のベランダや、未解決な引き出し、ご新規の箱やポーチを見つけていたのだけど
2歳近くになると、彼の視野も移動範囲も広がり、一人で部屋を行き来し、色々なものを自力で「あけられる」ようになった。
花火をむいて火薬をほじくる、公共のトイレのゴミ箱に手を入れようとするなど、善悪の判断がないのは時々ちょっと辛い。
こうしてハラハラしている母がいる一方で、次男は大変のびのとしていらっしゃる。

今年に入って、彼はどこかに「乗るという知識」と「手頃な椅子」を手にいれた。椅子を持って好きなところへ移動して、次から次へと、あけたことがないものをあけていく。
炊飯器、タンスの一番上の引き出し、洗濯機、おでんの入った鍋。上からのぞく、はじめましての世界。

2022年も、あの手この手を使って、自力で次々と世界を開けていこうとする姿を見たいなと思う。その姿を見せてくれ、この先もずっと。
「ん?」という顔の次男に、母は「よかったね!」「その調子だよ!」とエールを送りたい。


#2021年の出会い

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