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「簡単なミッキーを着せるのはやめよう」と言われたこと

私が生まれたときに、お祝いのパーティーに招待されなかった13人目の魔女に、私は呪いをかけらえた。
「この子を一生、人と噛み合わない人生にしてやろう」

この日記はそんな呪いに抗いながらも懸命に生きる人間の記録である。

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長男が生まれた時、夫は言ったのだった。

「自分の子どもに、簡単なミッキーは着せたくない」

簡単な・・・ミッキー・・・??!!

「簡単なミッキー」と簡単に言ったが、これは簡単に解釈できる類のものでない。
暴力的で雑すぎる。
かといって雑に扱っていい言葉ではない。
オブラートに包まないと表現できないデリケートな何かを内包しているような気もする。
これはもう、剥き出しに放置できない。
放置したいけど、隠しきれない。
包みたいのに包めるオブラートが見当たらない。


こうして私は子育てと同時に
子ども服売り場やネットショッピングで
「これは簡単なミッキーか否か?」と自問自答する日々が始まるのである。

足りない頭で精一杯考えた。

まだまだ未熟だったあの頃、
「わあ!かわいい!」と思いながらも、
泣く泣く手放したミッキーもあったっけ。


これを読んだママ友から「ねえねえ、これって簡単なミッキーだと思う?」などと手持ちの洋服の写真がラインに送られてきても困るのだ。
5年向き合った私も、答えなど持ち合わせていない。

そしてぜひ、人に答えを求めず、自分で考えて、
そして自信を持ってほしいのだ。

「これは簡単なミッキーではない」と。

大事なことだから最後に強調したい。

夫は悪くない。
受け取り手の、解釈を託されたわたしの方に「心当たり」がありすぎたのだ。
「簡単なミッキー」と聞いて、思い浮かんでしまった柄やデザインがありすぎたのだ。
要は、キャラクターへのリスペクトがなかったということなのでは。

私は「これはこれは(笑)随分と簡単なミッキーですね(笑)」と何かを排除したいわけではなかったのだ。

「男の子だから水色でいいよね?」と簡単に物を選ぶように、「赤ちゃんだからミッキーでいいよね?」というような選択をしたくないという夫のメッセージを、私はうっかり聞き誤ってしまっていたのかもしれないが、結果的に5年間真剣に自分が可愛いと思う洋服を選ぶことができたと思う。

今の私は、全てのキャラクターデザインに「もっと誇りを!」と叫べる。
「簡単なミッキーってなんやねん」と。嬉しい。

#簡単なミッキーってなんやねん


これは本音を書こうと頑張るが、どうしても良く見られたいという欲が出てきてしまう人間の偽日常日記である。
(今回の自分解放率45%)


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