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『社会学史』(大澤真幸著)

社会学についての入門書などを覗くと、政治、ジェンダー、差別、アイデンティティ、都市、はたまた猿人類まであります。
何を研究しているのかが分かりにくいのが、社会学です。
それでも、「学」という名前が冠されている以上、何かしらのまとまり(ディシプリン)があります。

では、社会学は何を研究しているのでしょうか?
その問いに答えてくれる本があります。
それは、『社会学史』(大澤真幸著,講談社現代新書)です。
社会学者として著名な大澤真幸さんが、社会学の歴史を書いた本です。
『社会学史』によると、社会学を学として成り立たせているのは「社会秩序はいかにして可能か?」(p17)という問いです。
この問いは、ホッブス問題として有名です。
『リバイアサン』の著者として有名なホッブスです。
彼は『リバイアサン』という本の中で、次のように考えました。

人間は「自然状態(本能のままに生きている状態)」では、自分の利益のみを考えてしまい、暴力が横行するだろう。
なので、旧約聖書に出てくる海の怪物「リバイアサン」のように、個人を超える大きな(権)力が必要だ。
そのような(権)力があれば、人々は言うことを聞いてくれるだろう。
あるいは、必要以上の暴力を使わなくなるだろう。
なぜなら、自分が暴力を使うと、より巨大な(権)力によって制裁されるからだ。

つまり、リバイアサンのような個人を超える権力があれば、一つの社会が成り立つと考えました。
言い換えると、個人を超える権力があって初めて社会が成り立つという考えです。
個人を超える権力とは、現在では「政府」や「国」と呼ばれるものになります。
あるいは、「会社」「組織」「家族」である場合もあります。
普段、私たちは「私たちを超えた何か」によって、自分自身の考えや行動を制限しています。
そのような制限によって生まれた秩序を社会秩序と呼ぶことが出来ると思います。
そして、その社会秩序こそが、社会学の研究対象であると言えます。


別の表現をします。
まず、「私」がいます。
私は、他の誰でもない一人の人間として生まれます。
次に、「あなた」がいます。
あなたは、私ではない他者です。
そして、「私」と「あなた」は、「私たち」として生活をしています。
私たちは、社会です。

ホッブスの主張は、「私たち」を創り出すためには「リバイアサン」が必要だ、ということになります。
無政府主義者の主張は、「私たち」を創り出すためには最低限の命の保証だけが必要だ、ということになります。
福祉国家主義者の主張は、「私たち」を創り出すためには権力による福祉が必要だ、ということになります。

このように見ていくと、「社会秩序はいかにして可能か?」とは「「私たち」はいかにして可能か?」と言い換えることが出来ます。
現在の社会では、様々な他者と出逢います。
その他者といかにして「私たち」は可能か。
あるいは、不可能なのか。


違う宗教を信じる人と「私たち」になれるのか。
違う国籍の人と「私たち」になれるのか。
違う世代の人と「私たち」になれるのか。
違う性別の人と「私たち」になれるのか。



etc

このような問いに答えようとする営みこそが社会学であると言えます。

#読書感想文 #社会学 #社会学史 #大澤真幸  

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