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[独りごと]"どうしても手に届かない悔しさがあるから星は星なのだろう"

「諦めるな。」、「今日は無理でも明日にはできるようになっているかも。」、
「継続こそ力なり。」
励ましや、継続の美を語る名言ってきっとこの世にごまんと在る。

だいぶん、屁理屈だけれど正直言いようだと思う。

ひとつ何かを諦めることで、もう一つ上の次元というか枠組み(世界)みたいなものが一気に見えてくる時がある。

「諦めて別のことに打ち込み続けたら、人生を生きたいと思えるようになった
。」、「今日無理だったから、明日も無理だろう。では、そもそも行き先を変えてみよう。」、「断念は勇気なり。」

時間は有限である。タイミングは実力や才能前提だと思う。

人生(未来)は未知数である。←これが問題なんよな。

もし、夜に光る星々に向かって毎日ハシゴを作り続け、毎晩手を伸ばし続ける
良い年した大人がいたらきっと大勢が嘲笑うだろう。

それは、科学っていう人間の主観よりひとつ上の次元(枠組み)による説明によって星がとてもとても遠いところにあってハシゴを使っても届かないということを多くの人が知っているからだと思う。

この場合の"科学"、もっというと、"毎晩良い年してハシゴ作り続けている大人が科学の存在を知り、そして受け入れること"は、諦めであると思う。
そして届かないから。または届く事がないから。
彼にとって、星はとても輝いて見えるのだろう。

彼には実は、別の才能があってその才能を使えばその他一般人にとっては
"星"であるものに届く可能性があるかもしれない。
この場合、彼はきっとハシゴ作りをやめてその才能を活かす方が豊かに、幸せに、人の役に立ち、生きていけると思う。

夜に光る星々には、ロケットを作る才能がある人間や、空気が無くても生きていけるような人間が手を伸ばせば良い。その方がみんなハッピーだ。


もし、それでも彼がハシゴ作りを辞めないのならそれは、
"私にとっての幸せは、届かない星々に向かってハシゴを作り続ける行為そのものだ。"というくらいの覚悟というか信念がないとダメだと思う。

大衆向けの商業コンテンツのクリエイター(J-POP作曲家、漫画家、小説家etc…)として生きていく事を目指す人間にとって、この問題はとても大きなジレンマを抱えていると思う。

なぜなら、"大衆向けの商業コンテンツのクリエイター"がそもそも星に届くことが前提の職業だからである。

"私にとっての幸せは、届かない星々に向かってハシゴを作り続ける行為そのものだ。"と言いながら、"大衆向けの商業コンテンツのクリエイター"を目指したり、自称するのは矛盾にあたると思う。

本当に悔しいが、悔しくてたまらないが、そうだと思う。


自分は、夜空に輝く星に手を伸ばすことは諦めようと思う。
そして、自分に託された才能をしっかりと見つめて、
他のみんなにとって遠く離れたところにある何かにこれからの時間を費やしたい。

もう一度言う。
人生(未来)は未知数である。

どうしても手に届かない悔しさがあるから星は星なのだろう。


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