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私と575の出会い(回想)

575は癒す

こんにちは。早期引退を夢見る、外資系サラリーマンだいだいです。俳句・川柳に惹かれ始めたのは初めて管理職になった30代の頃。川柳作家として一世を風靡した時実新子さんが週刊誌に連載されていた「新子川柳」に半年ほど投稿していました。初めて採用されたのが次の句です。お題は「道」。

「いつまでも頼られている長い道」

3人姉妹の長女で、親に早く死に別れ、家族の厄介ごとをいつも引き受けてきました。たまには人に頼りたい、と思っていた時に30代半ばで部下を持つ身になり「かんべんしてくれー」と叫びたい気持ちがするっと出てしまったのでしょう。自分の心から出た言葉に癒された、初めての経験でした。

ところが、30代から40代の頃の私はエッセイや小説などの長文作品に挑戦したい気持ちがあり、川柳の投稿もストレスフルだった管理職をお役御免になってからご無沙汰していました。

575は失恋に効く

仕事の傍ら、カルチャースクールでエッセイや小説の書き方を習っていた30代後半を経て、40代になった私に、失恋とリーマンショックが同時にやってきました。2008年の秋、職場では仲間がの4割が1日でリストラになり、昨日まで机を並べていた人が今日はいないという状態の真っただ中。私は幸運にも生き残ったものの、喪失感でいっぱいでした。なのに、通勤電車の中でスマホをONにすると、泉のように、次から次へと575が沸いてくるんです。

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それまで何年もの間、俳句も川柳もご無沙汰だったくせに、なんで?意味不明です。そして、一人ぼっちのクリスマスが迫っていました。おりしも、J-WAVEの番組で「恋愛575」の公募があると聞き、書き溜めた575を適当に投稿しました。もちろんすべて失恋を詠んだもの。他の人は幸せいっぱいの句を投稿しているだろうってことは承知の上。賞の対象は4句程度だったと記憶していますが、なんと・・・特別審査員のボニー・ピンクさんが「ボニー・ピンク賞」に選んでくれました。

「傷ついて ここにハートがあったのか」

自分で「採用される見込みが一番低い」と思っていた句です。でも後から思えば、これが飾らない本当の気持ちでした。アウトプットして、投稿して、遠くから自分の心を他の不特定多数の人と一緒に見ているという不思議。その過程で少しずつ癒されている自分がそこにいました。

失恋が、又吉さんのサイン本をくれた

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季節が冬から春へ、春から夏へ移ろう中で、失恋の傷はかさぶたに変わっていきました。とはいえ、中途半場に治ったかさぶたを無理やりはがされるような痛さは、断続的に訪れます。そんな中で迎えた、翌年の夏。J-WAVEの番組で自由律俳句を募集していて、一瞬ひらめいた句を投稿してみたのです。

「君とつないでいた手に日傘」

それは、まだ作家デビューを果たす前の又吉直樹さんが文筆家のせきしろさんと組んで出した自由律俳句の本「カキフライがないなら来なかった」をPRする目的で編成された番組で、投稿作品の中から優秀作を選んでサイン本をプレゼントする、という企画でした。

又吉さんだったか、せきしろさんだったか、私の作品を見て感想を一言。「40代女性、で失恋ってきついですね」「うーんそうですね」苦笑、です。まさにそうなんですが、失恋して早1年が経とうとしていました。サイン本が私の手元に届くころには、私のかさぶたは自然に取れて、じめじめした感傷もなくなっていきました。

575、いいですよ

ある精神科でうつ病の治療に俳句を取り入れていると聞いたことがあります。治療法としては少数派になるのでしょうが、しんどい時に575が泉のように、いや汗のように湧いてくる経験を何度かして、これにはうなずいてしまいます。

苦しい、自分が嫌だ、どうして?もっとこうしておけばよかった、という重い気持ちを軽くするためには、外に出すのが一番です。友人や家族に話すという手もありますが、かえって不幸を増幅してしまうこともあります。カウンセラーのお世話になる手もありますが、相性が悪いと逆効果です。長い文章でなく575なら仕事や家事の合間にも気軽にでき、客観的に自分を見ることで重い気持ちから解放されるうえ、お金も減らないし人間関係も壊れません。まさに、いいことづくめなんです。

575を積み重ねていくと、笑っちゃうようなダメ句もたくさんできますが、自分でも驚くようなキラリと光るものができることがあります。賞や景品をもらえなくても、いいものができれば単純に幸せになれます。それが失恋の句でも、満足感が得られるのです。まあ、自己満足ですけど。というわけでコロナ禍のいまだから、575はじめてみませんか?ルールや格式は後でついてきます。気軽に、リラックスして、やってみましょう♪



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