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クリスの物語(改)Ⅱ 第十七話 マーティスの同僚

 用心して何度か舟を乗り換え、ポセイドーンからはだいぶ離れたところでクリスたちは下船した。その辺りは、石造りの小さな家が建ち並ぶ住宅街だった。
 水路をせき止めた一区画で、水遊びをする子供の海底人が何人かいた。その内の一人の少年が水から上がると、マーティスに挨拶をした。

『こんにちは。マーティスさん。おとうさんなら今出かけてるよ』
『ああ』
 少年がマーティスに話しかけると、マーティスはそっけなく返事をした。
『だが、もうじき戻ってくるだろう』
『マーティスさんがそう言うのなら、きっとそうだね』
 少年は嬉しそうに微笑んだ。それから、クリスたちに視線を向けた。

『この人たちは?』
 マーティスに視線を戻して少年が聞いた。
『おとうさんやマーティスさんのお仕事に関係ある人?』
『まあ、そうだ』
『はじめまして。ぼくは、ラメクです。ローワンの一人息子です』
 自己紹介をすると、ラメクと名乗った少年は丁寧にお辞儀をした。
『おとうさんが帰ってくるまで、うちで待っていてください。こっちです』
 ラメクは笑顔を振りまき、先頭に立って歩き出した。見た目はほんの5歳くらいだというのに、歩く速度は速く足取りもしっかりとしていた。

『ここです』
 案内されたのは、石造りの小さな家だった。周りには、まったく同じ造りの家が続けて何軒も建ち並んでいた。表札すらない。
 ここに住む人たちは一体自分の家をどうやって見分けているのだろうと、クリスは首をひねった。

『マーティス』
 通りを挟んだ向かい側から、髭を生やした背の高い男がマーティスに向かって手を振った。頭は少し禿げ上がり、腹も少し出ている。マーティスが手を上げると、男は小走りでやってきた。緑色の服を着て前掛けをしている姿は、何かの職人を思わせた。
『おとうさん。おかえり』
 玄関から顔を出して、ラメクが嬉しそうに言った。
『おお。ラメクも帰っていたのか』
『うん。モーレで泳いでたら、ちょうどマーティスさんたちに会ったんだ。それで、おとうさんが帰ってくるまで、どうぞ家で待っていてくださいって、案内したんだよ』
『そうか。ありがとな』
 ラメクの父親は微笑んだ。それから、マーティスと握手を交わした。

『申し遅れましたが、私はローワンと申します』
 クリスたちに向き直って、ラメクの父親は頭を下げた。
『マーティスとは、かつてセテオスの中央部で共に仕事をしておりました』
『えー!そうなの?』
 クレアが驚きの声を上げた。
『それじゃあ、あなたは元々地底世界の人なの?』
 ローワンはうなずき、手で玄関を示した。
『ここで立ち話もなんですから、ひとまずどうぞお上がりください』

 石造りの伝統的な趣のある外観とは対照的に、室内は近代的な造りだった。それに、外観から想像できる以上に広かった。
 1階には広々としたリビングがあり、テーブルやソファが置かれていた。奥にはダイニングキッチンもあった。キッチンの左手には下へ下りる階段がある。床にはブルーのタイルが敷き詰められ、全体的に涼しげな雰囲気だった。

『おかえりなさい』
 奥の階段から女性がひとり上がってきた。
『おかあさん、ただいま』
 ラメクが駆けていって抱きついた。
『いつも主人がお世話になっております』
 ラメクの頭を撫でながら、女性が挨拶した。色白で背が高く、伸ばした黒髪は腰までの長さがあった。

『妻のアリューシャです』
 ローワンがその女性を紹介した。
 それから、ちょっと話があるから下を使うとアリューシャに告げて、クリスたちを階下へと案内した。

 階段を下りた先には廊下が伸びていて、左右にいくつか部屋が分かれていた。その一番奥の部屋に一同は案内された。
 小ぢんまりとした部屋だった。隅に置かれたデスクには設計図や機材、それに工具類が乱雑に積み上げられている。

『ちょっとお待ちください』と言って、ローワンがデスクの上をかき分け始めた。
 そして野球ボールのような白い玉を取り出すと、くるくるとそれを回した。

 すると天井が開き、何脚かのクテアが上から降りてきた。クテアは円を描くように配置された。そしてその真ん中には、マンホールのようなクリスタルの小さな円盤が浮き上がっていた。

『さあ、どうぞおかけください』とローワンに言われ、一同は円盤を取り囲むようにクテアに座った。ベベはクリスが膝に抱えた。全員が椅子に座ると、マーティスが一人ひとりをローワンに紹介した。
『それで、ローワンは今アトライオスに住んでいるのね?』
 ひと通りマーティスが紹介し終えると、クレアが早速質問した。ローワンは『はい』と、うなずいた。

『なんでセテオスを出て、こっちに住むことにしたの?』
『アリューシャと出会ったものですから』
 照れるように笑って、ローワンは鼻の頭をポリポリと掻いた。
『元々はマーティスと同様、セテオスとのパイプ役としてこちらへ駐在していました。地底都市と海底都市、お互いの優れたところを共有し合って、地球をより良い星にしていく目的です。ご存知だとは思いますが、そのようなやり取りはどの都市間でもかねてから行われています』
『それはもちろん知ってるよ。それで、奥さんと出会って、こっちに住むことにしたのね?』
 ローワンはうなずいた。

『でも、今もセテオスの駐在員として仕事をしているのでしょう?』
『いえ。アリューシャと結婚し、こちらで市民権を得て、私はもう海底世界の人間となりました。そのため、地底人としてセテオス中央部の任務を遂行するようなことはなくなりました』
『へぇー。それじゃあなんでマーティスと連絡を取り合っているの?』
 マーティスとローワンを交互に見て、クレアが追及した。
『それは・・・』
 ちらっと一度マーティスを見てから、ローワンは続けた。

『私が海底人としてこちらで生活するようになってから、駐在員だった頃には見えていなかった部分が、色々と見え始めるようになったのです』
『ふーん。たとえば?』
『たとえば・・・そうですね。海底都市は、地底都市や風光都市などと同様に、地球の中でも高度な思想や意識を持った都市のひとつでした。だからこそ、地底都市も海底都市と深いつながりを持ち、関係を維持していました。ところが、実際のところは低次元の意識を持った存在が多く、海底都市のあちこちで争いが起こっているのです。それをどうやら海底都市評議会は銀河連邦に報告することなく、もみ消してしまっているようなのです』
『えー本当?』
 大げさなほど驚いて、クレアは聞き返した。
『そのことに、銀河連邦はずっと気づかなかったの?』
 ローワンは黙ってうなずいた。それから額を拭うと、顔を上げてクレアを見た。

『正直なところ、闇の勢力によって情報が操作されていたことに気づくまで、銀河連邦も認識していませんでした。情報が操作されていることに気づくきっかけとなったのは、ここにいるみなさんのおかげだと伺っていますが』
 ローワンがそう言って一同を見回すと、『まぁ、そうだけど』と得意気にクレアが答えた。
『でも、その前からローワンやマーティスはこっちに来ていたんでしょ?それでも気づかなかったの?』
『お恥ずかしながら』
 クレアが問い質すと、ローワンは申し訳なさそうにうつむいた。

『しかし、マーティスは以前から確かに怪しんでいました。海底都市評議会から私たちに対する報告も、実際私たちが肌で感じている以上に品行方正、清廉潔白な内容でしたし。当時、私は気づきませんでしたが・・・』と言いながら、ローワンはマーティスに視線を向けた。
『そして、ちょうどその頃からクリスタルエレメントの話題が挙がったわけです。アセンションの時期が近づき、闇の勢力がそれを阻止すべくクリスタルエレメントを手に入れようと躍起になっているという。当然、海底都市評議会も闇の勢力にクリスタルエレメントを奪われることのないよう、全都市あげて取り組んでいます。しかし、そもそも海底都市評議会自体信用ができないのではないか。そう、私たちは考えています。闇の勢力の介入を否定できないのです。そこで、海底人となった今、石工職人として働きながら私が探れる範囲で探り、マーティスに情報を提供しているのです』
 ローワンが説明するとクレアは『ふーん』と言って腕を組み、黙り込んだ。

 すると、横から紗奈が質問した。
『それじゃあ、ローワンさんはスパイってことですよね?』
『いえ。先ほども申し上げましたとおり、私はすでにセテオス中央部の人間ではありませんし、セテオス中央部からの任務で動いているわけではありません。あくまで、個人的にマーティスに情報を流しているだけですから』
『でも、結局はスパイ活動をしていることに変わりはないですよね?それってローワンさんは危険じゃないのですか?』

 ローワンはまた額を拭って二、三度うなずいた。
『ええ。それは当然危険です。もしも海底都市評議会にばれてしまうようなことがあれば、命の保証はないでしょう』
『そうまでして、なぜ協力するのですか?』
『それが私の使命だからです』
 ローワンは微笑んだ。

『地球を闇の勢力から守り、アセンションへと正しく導くこと。それによって家族だけじゃなく海底都市、地底都市の人間、それにこの地球でともに生きる全生命を消滅から守るため。たとえそれがどんなに微力なのだとしても、その力になることが私の使命だと信じているからです』
 ローワンのその覚悟を聞いて、クリスは身が引き締まる思いがした。それと同時に恐怖心が募った。

『それで、わたしたちをこのように引き合わせたということは、ローワンの協力なしにはこれから先へは進めないということね?』
 マーティスに対して、エランドラが確認した。マーティスはエランドラにうなずき返してから、ローワンに向き直った。
『どうだ?ある程度目星はついたか?』
 ローワンはうなずき、『ちょっとこれを見てほしい』と言って、手に持つ白い玉を操作した。すると突然、室内が暗くなった。そして、中央のマンホールのような円盤から3Dホログラムが浮かび上がった。現れたのは、小さく縮小されたアトライオスのジオラマだった。

『青く点滅しているところが、今私たちがいるこの家です』
 中央のポセイドーンから右にだいぶずれたところに、青く小さく点滅する光があった。“アシナヴィス”という街のはずれに位置していた。
『水の超竜“アラルゴン”から残されたかすかな情報をたよりに、海底都市評議会が絞っているのが現在この5ヶ所です。やはり思っていた通り、アクアはこのアトライオスのどこかにあるようです』

 ジオラマ上に5ヶ所、赤く強い光が点滅を始めた。アトライオスの北東の街“カンナン”にひとつ。北西の街“トドゥーロ”にひとつ。南西の街“レグイア”にひとつ。そして、アシナヴィスにはふたつの光が点滅していた。その内のひとつは、ポセイドーン上にある。

『これだけ絞れていてなんでまだ見つかってないの?』と、クレアが突っ込んだ。
『分かりません。あまりに地中深く眠っていて探し出せないのか、もしくは人選ミスなのか。そもそも、クリスタルエレメントは伝説上の存在であり、それを封印した当時の神官を除いてこれまで誰も実物を見たことがないとさえ言われています。従って、どのようにして現れ出るのかまったく不明なのです』
 そうローワンが答えると、浮かび上がっていた3Dホログラムが消えて室内がまた明るくなった。

 皆黙っていた。場所がある程度絞られているからといって、そもそも存在が不確実なのだ。それを当てもなく探すなんて、気が遠くなる作業だった。
『それで』と、沈黙の中クレアが発言した。
『どうやって探し出したらいいの?ルーベラピスもまだ使えないんでしょう?』
 隣に座るマーティスの顔を見上げて、クレアが聞いた。

『いえ。5ヶ所まで絞れていれば十分です。ルーベラピスを使いましょう』
 マーティスの意見にローワンもうなずいた。
『どうするつもり?』
『手分けをしましょう。何人かに分かれて、5ヶ所それぞれの場所に向かうのです』
 マーティスの提案に、クレアが手を叩いた。
『なるほど。そっか。それでみんなが配置したところでルーベラピスを使えば、わたしたちの誰かがどこを指し示したかがわかるわけだね』
 マーティスがうなずいた。

『でも』と、ラマルが珍しく意見した。
『選ばれし者がいなければ、クリスタルエレメントは探し出せないのですよね?それなら、たとえ場所が指し示されたとしても、そこにクリスが一緒でなければ仕方がないのではないですか?』
 それを聞いてクレアが『あーそうだよ!』と嘆いた。
『その場にクリスがいなかったら結局ダメじゃん』
 マーティスは首を振った。
『いえ。もちろん選ばれし者でなければ見つけ出すことはできないでしょう。ルーベラピスを使う目的は、まずは場所を特定するためです。確認ができたら、アダマスカルに乗って改めて皆で特定された場所へ行きます。そもそも、海底人でない我々が海底に潜って探すこともできませんので』
『あーそっか。でも、そしたらルーベラピスが光を指し示している間に、海底人や闇の勢力にもそれを見られちゃうってこともあるんじゃない?』
『それは当然あります。ですので、オーラムルスで確認を取り合いながら、皆さんが配置についた時点でルーベラピスを発動させ、誰かが確認できた段階ですぐにルーベラピスの光を収めていただく必要があります』

 そう言って、マーティスはクリスを見た。期待の込められた視線を向けられ、クリスは緊張で手に汗がにじんだ。そんなクリスを安心させるように、ローワンが言った。
『それに、作戦を実行するのにうってつけの時がやってきます』

 作戦実行のタイミングについて、ローワンが説明した。
『現在、このアトライオスには地表世界からの訪問者が多数やって来ています。その間、地表人によるハナビがアシナヴィスで定期的に開催されるのです。そしてハナビが催される間は、アトライオス全域のソルーメンが一時的に遮断されます。つまり、空が暗くなるのです。その時を見計らってルーベラピスを発動させれば、気づかれずに済むでしょう』

『ハナビって何ですか?』とクリスが尋ねると、ローワンは意外そうに首を傾げた。
『ハナビって地表世界にあるでしょう?火の玉を空で爆発させて、空に大きく花を咲かせる催しです』
 ローワンのその説明を聞いて、紗奈が「花火のことじゃない?」とクリスに囁いた。
 なるほど、とクリスはうなずいた。飛んでくる思念のアクセントがおかしかったので分からなかった。

『それで、花火はいつあるのですか?』と、紗奈が質問した。
『もうじきあるはずです。放送が流れますから、それを待ちましょう。放送が流れてからそれぞれ持ち場に向かっても十分間に合います』
 こんなときでも相変わらず呑気だな、とクリスは思った。時間の感覚のない世界の人たちはいつもそうなのだろうか。

 それから、それぞれの持ち場を決めることになった。マーティスとローワンがポセイドーンに。クレアがアシナヴィスのもうひとつのポイントである西のはずれの広場に。
 エランドラは北西の街トドゥーロ。ラマルは南西の街レグイアへ。そして、クリスと紗奈とベベが北東の街カンナンへ向かうことになった。
 ルーベラピスを発動させるのにあまり人に見られないところがいいというローワンの見解により、クリスたちはひと気の少ない街へ行くことが決まった。ローワンはオーラムルスを持っていないため、マーティスと共に行動する。

 アシナヴィスを出て他の街へ行くためには、オエノボスが乗せてくれたような空を飛行する船でなければ行けないということだった。
『それについては心配いりません』と、ローワンが言った。
『アリューシャの伝手で船は手配してあります。地底都市から客人が来ていて、観光させてあげたいと伝えたら快諾してくれたそうです』

 それから皆それぞれオーラムルスで街並みを表示させ、目的地まで辿るシミュレーションをした。
 クリスたちの持ち場である“カンナン”は、波止場から目的地までそれほど離れていなかった。道も単純だったため、問題なく辿り着けそうだとクリスも紗奈も安心した。
 オーラムルスで全員が同時につながる“オーネクト”という機能も試し、準備を整えた。

『では、放送があるまではゆっくりとくつろいでください』と言って、ローワンはさらに下の階のゲストルームへと一行を案内した。ゲストルームにはラプーモやポルタール、マルゲリウムにキッチンなどすべてが完備されていた。
『これらはすべてセテオス中央部から提供されたものです。私が海底人に帰化したときにも、餞別にといって残してくれました』
 当時を懐しむように、ローワンは宙を見つめた。そこへ、アリューシャとラメクが飲み物と軽食を盆に載せてやってきた。テーブルの上にそれらを置くと、ローワンはふたりに礼を言った。
『では、ごゆっくり』
 そう言い残して、ローワンはアリューシャとラメクを連れてゲストルームを後にした。

『クリスさん、ちょっとよろしいでしょうか?』と、ベベを抱いてクテイラに座るクリスにマーティスが声をかけた。
『ルーベラピスを発動させるカンターメルと、停止させるカンターメルを覚えていただきたいのですが』
 クリスはうなずき、ベベを置いて立ち上がった。

『今からお伝えするカンターメルは、唱えないようにしてください。今唱えてしまえば発動してしまいますから』
 部屋の隅へ移動してから、マーティスが言った。
『分かりました』と、クリスは真剣な表情でうなずいた。
『まず、発動させるカンターメルは、“アデュシーレ・エイ・アクア”です。いいですか?“アデュシーレ・エイ・アクア”です』
 マーティスは、呪文のような言葉“カンターメル”をはっきりと聞き取れるようにゆっくりと発音した。

『続いて、停止するカンターメルは“フーガ”です。もう一度言います。“フーガ”』
停止のカンターメルもゆっくりと繰り返すと、『よろしいですか?』とマーティスが確認した。
 クリスはどちらのカンターメルも頭の中で復唱した。

『もしも忘れてしまったらオーラムルスでも調べられます。それにオーネクトで繋がっていますから、その場で聞いていただいても結構です』
 クリスはそれを聞いて安心した。重大な任務だけに、いざというときにカンターメルを忘れてしまったら大変だ。

 クリスがクテイラに戻ると、紗奈が「大丈夫?」と聞いた。
「うん。たぶん」
 クリスのその返事を聞いて、クレアがきっと鋭い視線を向けた。
『ちょっとしっかりしてよね。クリスにかかっているんだからね』
 たしかにそうだと、クリスは気を引き締めた。自分たちだけじゃなく、人類や地球の運命が懸っているのかもしれないのだ。

『まあでも責任は重大だけど、それが選ばれし者の運命だからね。それにわたしたちもいるし、大丈夫だよ』
 思いつめるクリスに、今度は励ますようにクレアが微笑んだ。


第十八話 海賊船

お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!