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クリスの物語Ⅰ 第一話 いつもの1日

 「6年2組」学級表札を3秒ほど眺めてから、クリスはいつもと同じようにチャイムが鳴るギリギリの時間に教室に入った。後ろの扉から音を立てないようにひっそりと。

 うつむいたままマジックで大きく「上村」と書かれた上履きにだけ視線を注ぎ、ゆっくりと歩数を数える。6歩、7歩、8歩・・・。ちょうど10歩目で右向け右をしてそれから8歩。前から5列目の自分の席についたら、ランドセルを肩から下ろして椅子に座る。
 そこまでの一連の動作を誰の顔も見ずに完了させることが、毎日の彼のミッションだった。

「おい、カマ野郎。相変わらず来るのがおせーんだよ」
 後ろの席に座るずんぐりとしたガマガエルのような少年が、そう言って丸めたノートでクリスの頭を後ろから叩いた。

「タケシ、そいつは歩幅が小さすぎて亀みたいにしか進めないんだから、しょうがねーんだって」
 一列挟んだ隣に座るヨウヘイが、すかさず言った。
 こちらは対照的にひょろっとしていて、まるでトカゲのような風貌だ。自分のうまい表現に悦に入った様子で、クククッと笑っている。

「おい、なんか言えよ」タケシがそう言ってもう一度クリスの頭を叩くとチャイムが鳴った。
 
 髪を後ろでひとつに束ねジャージを着た若い女性担任が教室へ入ってくると、二人は遊んでいたおもちゃに興味を失った子供のようにクリスへちょっかいを出すのをやめ、椅子に深く腰掛けた。

「きりーつ!れい!ちゃくせーき!」

 日直の号令に従って教師へ形だけの敬意を示すと、クリスは両肘を机に載せて広げた教科書を見つめたまま空想の世界に浸った。

 大抵がドラゴンやペガサスに乗って空を飛び回り、剣と魔法を駆使して悪いカエルや側近のあくどいトカゲを倒す物語だ。
 そうやって一日が過ぎるのを待つのが彼の日課だった。そしてその日は金曜日ということもあって、いつも以上に妄想に熱が入るのだった。

 ホームルームが終わって、生徒たちが次々と教室から出ていく。
 クリスはこれまたいつも通りカメのように丸くなり、最後のひとりになるまでじっと待った。いじめっ子たちと下校時間をずらすことで、余計ないじめに合う事態を避けられるからだ。

 基本的に彼らの視界に入りさえしなければ、いじめられることはないことをクリスは悟っていた。
 それに金曜日はタケシたちも少年野球があるから、残ってねちねちと嫌がらせをしてくることもない。

「さっさと髪切れよ、カマ野郎」
 後ろから平手でパシッとクリスの頭を叩くと、それだけ言い残してタケシは残党を引き連れ教室を出ていった。

 教室から人の気配がなくなったのを確認すると、クリスは顔を上げて窓から外を眺めた。
 秋晴れのよく澄み渡った高い空には、うっすらと天使の羽のような雲が大きく広がっていた。翼をまとって空を飛び回る空想にひとしきり思いを馳せると、がらんとした教室をクリスはとぼとぼと後にした。


第二話 幼なじみ

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