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クリスの物語(改)Ⅱ 第五話 いざ、地底世界へ

「それじゃ、おばさんまた来ます。ケーキごちそうさまです」
 ケーキの入った箱を顔の前に掲げ、紗奈は頭を下げた。
「いいえー。今度はゆっくりしていってね」
 玄関のドアを片手で押さえ、クリスの母親はそう言って手を振った。

「それじゃあ、行ってくるね」
 かかとをスニーカーにねじこみながら、クリスも母親に手を振り返した。「あまり遅くならないようにね。ベベちゃんも迷惑かけないようにいい子にしてるのよ」
 クリスが肩に提げたショルダーバッグから頭だけのぞかせたベベにも手を振ると、母親は玄関のドアをゆっくりと閉めた。

 クリスは母親に、紗奈がクラスメイトから卒業パーティーに呼ばれていたことを忘れていて、急遽帰らなければいけなくなったと伝えた。ついでに自分も誘われた、と。
「残念ね」と言いながらも、クリスが積極的にそういった集まりに参加するようになってくれたのが嬉しいのか、母親はあっさりと認めてくれた。それにおみやげにといって、一緒に食べるはずだったケーキも持たせてくれた。

「ひとみちゃんがベベも見たがっているっていえば、ベベを連れて行くのも不自然に思われないよ。着替えなんかは、ベベを入れるバッグの底に詰めておけばいいんじゃない?」
 紗奈の言う通りにしたところ、ベベを連れて行くことにも疑問を持たれなかったし、バッグに詰めた荷物にも母親は気づいていないようだった。
「もし荷物に気づかれたとしても、卒業記念に今までの思い出の品を持ち寄ることになったとかいえば大丈夫だよ」と紗奈は言っていたが、よくそんなウソがすらすらと思いつくものだとクリスは感心してしまった。

 すると、自転車の錠を外していた紗奈がクリスの方を振り返った。
「いけない?でも、必要なウソなんだからいいでしょ?」
 頬に垂れ下がった髪を手でかき上げ、紗奈は言った。
 どうやらクリスの考えが伝わってしまったようだ。やたらと思いに言葉を乗せないように注意しないといけない。
『そうね』
 ちらっとクリスに視線を向けると、言葉を発することなく紗奈が言った。

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 クリスと紗奈がお城に戻ると、ラマルの首にまたがっていたクレアがしかめっ面をして太陽に手をかざしていた。ラマルが地上で人間の姿にシェイプシフトすることはきついと言っていたが、クレアにとっても少しきついのかもしれない。
 お城に上がったクリスが『待たせてごめん』と謝ると、クレアは『別に』と言って、肩をすくめた。

『ところで』と、クリスは疑問に思ったことを口にした。
『たしか地底世界への入り口は、どこか外国にあるピラミッドの中だよね?たとえ地底世界へ行ったら時間がかからないとしても、その地底世界の入り口まではエランドラたちに乗って行くんでしょう?そうしたら、そこまで行くのにすごい時間がかかるんじゃないの?』

 そうだとしたら、母親への言い訳などまた考え直さないといけない。
 そんなクリスの不安をクレアはあっさりと吹き飛ばした。
『地底世界への入り口ならすぐそこにあるよ』
 街の向こうにそびえる三角形の山を指差して、クレアが言った。
「ピラミッド山」と、地元の人たちが呼ぶ標高1千メートル級の山だ。
 その呼称の通り、その山はどこから見ても見事な正三角形をしている。

『あんなところから地底世界へ行けるの?』
『地底世界に行くための次元の狭間なんて、この地表世界のあちこちにあるよ』
 そんなの別に驚くことじゃない、とでも言うようにすまし顔でクレアは言った。
『といっても、こちらの世界の人たちにその存在が知られることはまずないけどね』

 なるほど。いずれにしても、ピラミッド山から地底世界へ行けるのだったら安心だ。そこまでならエランドラに乗っていけば、10分とかからないだろう。

 するとクレアが『クリス、これ』と言って、クリスに向かって何かを投げた。とっさにクリスが手を上げると、きらっと光るものがクリスの腕に巻き付いた。
「あ、これ」
 それは、ファロスが地底世界から地上へ戻るときにクレアが寄越した腕輪とそっくりだった。腕輪はクリスの袖口から服の中に入り込むと、蛇のようにくるくると手首に巻き付いてピタッと止まった。

『ミラコルンだよ。何頭もの強力なドラゴンのエネルギーを封じ込めた特殊なものだよ。幻獣封じの道具で、身に着ける人の秘めるパワーを最大限に引き出すことができるの。ドラゴンの石を手に入れるときにも必要になるはずだから。パパに頼んで、クリスの分も特別に鍛冶職人に作ってもらったの』

『くれるの?』
『うん。でも、絶対なくさないでよね』
『ありがとう。なくさないよ』
 手首に巻き付いた銀の腕輪は、よく見ると先端部分にドラゴンの頭のような装飾が施されていた。鱗のように細かく削りこまれた部分が光を発して、キラキラとまるで宝石が埋め込まれているかのようだった。

 紗奈がクリスの腕を覗き込んで「えー素敵!いいなぁ」と言った。
 するとクレアがそんな紗奈を上から下まで眺めまわして、『服、着替えてきたのね』と言った。
 紗奈はクレアの方を振り向くと『まあね』と言って、背負ったリュックサックの位置を直した。
 ロングスカートに薄手のニットを羽織って厚底のブーツを履いていた紗奈の服装は、ジャンパーにジーンズ、スニーカーといった遠足にでも出かけるような服装に変わっていた。

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「やっぱり歩きやすい靴の方がいいかなぁ?けっこう歩くことになるよね?それならやっぱりスニーカーがいいかなぁ?」
 クリスの家を後にしてから、紗奈の部屋で荷造りしているときに紗奈はひとり言のようにブツブツと言った。

「向こうってシャワーとかあるの?」
「えーと、どうだろう?前世では地底世界でお風呂に入った記憶はないけど・・・」
「そうなの?でも、一応シャンプーセット持っていこう。いざ必要になったときに向こうで売ってなかったら嫌だし。そういえば、お金はどうしたらいいの?日本円が使えるわけじゃないよね?」
「いや、向こうではお金は必要ないんだよ」
「え?どういうこと?」
「行ってみればわかるよ。それより、もうそろそろ向かった方がいいんじゃないかな?」
「ちょっと待ってよ。向こうに行けばどうせ時間が経たないんだからいいでしょう?」
「まぁ、そうだけど・・・」

 そんなやりとりがあって、結局紗奈の荷造りには三十分以上かかったのだった。
 紗奈の家を出る頃には、午後3時を回っていた。

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『さぁ、それでは行きましょうか。二人ともわたしの背中に乗って』
 エランドラがそう言って、橋を渡すように尻尾をお城の上に載せた。
「紗奈ちゃん、先に行く?」
 クリスの提案に、紗奈は首を振った。
「いい。クリス先に行って」
 クリスはうなずき、緊張した面持ちでゆっくりと尻尾の端を渡った。ところが、鱗に突っかかって前につんのめってしまった。

「『うわぁ』」
 クリスとベベが同時に叫んだ。クリスは転んだ勢いで一気に首元まで駆け上がって、エランドラの首に抱きついた。

『びっくりしたぁ』
 バッグから顔をのぞかせてベベが言った。紗奈はその後をうまくバランスを取りながら、一歩一歩確実に渡っていた。

『さあ、いいかしら?』
 二人がしっかり首にまたがっているのを確認して、エランドラが言った。
 ふたりは同時にうなずき返した。
 するとエランドラは大きな翼を広げて、力強く地面を蹴った。
 翼をひと仰ぎしただけだというのに、エランドラは一気に上空まで飛び上がった。

 はるか下方に小さく見える自分の家を見て、クリスは下腹がすくむ感覚を覚えた。
 一方そのうしろでは、紗奈が楽しそうにはしゃぎ声を上げていた。
 ベベもバッグから身を乗り出して、風に毛をなびかせながら気持ち良さそうにしている。

 クリスもあまり下を見ないようにして、景色に意識を集中した。
 すると徐々に恐怖心が和らいだ。
 ドラゴンに乗って空を飛ぶことは、空想の世界で何度も体験したことだった。
 それが夢でもなく、今実際に体験できている──────
 こみ上げる興奮を抑えられずに、クリスは「楽しい!」と連呼した。すると紗奈がクリスに声をかけた。

「ねえ、クリス!わたし、春休みにどこかへ行きたいって言ったじゃない?」
「うん!」
「こんな冒険に出ることになるなんて、まさか夢にも思わなかった。でも・・・小学校最後の思い出に超最高!」
 そう言って、紗奈はクリスの背中を激しく叩いた。

 “ピラミッド山”までは、ものの5分とかからなかった。
 山の中腹に差し掛かると、「何あれ?」と紗奈が山腹を指差した。
 紗奈の指差す先には、黒く大きな穴が開いていた。
 直径20mは優にある巨大な穴だ。それが崖になった山肌に、ポッカリと大きくその口を開けている。

「何あれ。洞窟・・・?」
 ピラミッド山にこんな大きな洞窟があるなんて、クリスも紗奈も聞いたことがなかった。4年生の遠足で登りに来たことがあったが、そのときにはまったく話題にものぼらなかった。

『亜空間の入り口だよ。ある一定の場所で、求めに応じて必要なときにこうして現れるの』
 ラマルの背に乗ったクレアが、振り返って言った。
 それから真っ暗な穴の中へと姿を消した。
 それに続いてエランドラもその中へと入っていった。

 穴に入った途端キーンとひどい耳鳴りがしたが、それは一瞬のことだった。耳鳴りが止むと、あたりは静寂に包まれた。何も物音が聞こえない。
 先ほどまで聞こえていた車のエンジン音や工場の機械音なども、一切聞こえてこなかった。空気が張り詰め、外界とは明らかに違う空間に来たという感覚があった。

 クリスは自分の耳が聞こえなくなったのではないかと不安になり、手を叩いた。
 すると、少しだけかすれた音がした。音自体がその空間に吸い込まれてしまっているようだった。

『何も音がしないね』
 紗奈が思念で言葉を発した。
『うん。耳が変になったのかと思った』
 クリスも思念で返した。

 クリスたちが入ってきた穴はどんどん小さくなっていき、やがて完全にふさがってしまった。同時に、黒の絵の具で塗りつぶしたかのようにあたりは漆黒の闇に包まれた。

『真っ暗』
 紗奈がそう言ってクリスのジャンパーをギュッと掴んだ。
 すると、数本の赤い光線が矢のように飛んできて、クリスたちの脇を走り抜けた。
 続いて青やピンクや紫と、ネオンサインのように様々な色の光線が次々と飛んできては走り抜けていった。
 やがて、周囲は色とりどりの光線で包まれた光のトンネルとなった。

「わぁ、すごい。きれい・・・」
 どこまでも先へと続く光のトンネルを見渡して、紗奈が感激の声を上げた。
 そしてしばらく途切れることがなかった光のシャワーが突然消えると、あたりはまた漆黒の闇に包まれた。そして、同時にキーンとまた強烈な耳鳴りがした。

 耳鳴りが止むと、張り詰めていた空気が緩んだかのように空気の質が変わった。そして、前方に小さな白い穴が開いた。
 針の先で突いたような小さな穴はみるみる大きくなって、まるでダムにせき止められていた水が放流されたように、まばゆい光がその穴から流れ込んだ。
 あまりのまぶしさに、クリスは目を瞑った。
 その光の出口へ向かって、ラマルとエランドラはゆっくりと飛翔した。


第六話 空飛ぶジェカル

お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!