大地 PT臨床教育家

 こんにちは、大地です。みなさん理学療法を楽しんでますか?今回は私がどうして臨床や職場での教育に力を入れるに至ったかについて、これまでの私の体験を振り返りお話したいと思います。半分は関係のない話ですがお暇な方はお付き合いください。

過去を振り返る


就職

 「3年間程度はしっかり勉強をしよう」とぼんやりとした目標を持って地元から離れた病院に就職しました。振り返ると本当にしょうもない学生だったと思います。(今もそうですが💦)

1~3年目

 就職した病院では院内教育に力をいれており様々なことを学びました。毎朝30分、各曜日で”解剖・運動学”、”生理学”、”ボバース”、”SJF”、”触診”の勉強会が開かれました。このような知識の積み重ねのおかげで日々の診療は楽しくなり、さらなる自己研鑽の意欲が高まりました。そして、様々な院外の研修会にも参加しました。

 良かったのは『偏ることなく様々なことを学べた』ことだと思います。”研修会の冒頭で他の手技・理論を否定することからはじめる””理論は異なるがやっていることは他で伝えている方法と類似している””手技がベースとなり患者さんをおろそかにしている”などおかしな点に気づくことができました。もちろんそれぞれの研修会から学ぶことは多くあります。しかし、一方の視線からでは偏った見方しかできません。いくつかを同時に学び比較することで悪い点もみえてきます。

1~3年目では様々な知識・技術を学ぶと共に「どんなことにも良い点と悪い点がある」ということを学びました。これは普遍的な考え方だと思います。

4年目

 実家にいる大好きだった曾祖母が亡くなりました。曾祖母は亡くなる4年前ほどから徐々に体は弱くなりデイサービスや訪問介護を利用して生活していました。分かってはいながらも実家と離れて暮らしているため曾祖母のことは家族に任せきりになっていました。

 このころは日々新しい技術や知識がついていく事が楽しくて、はっきりとした目的を持たずに勉強をしたりや研修会に参加したりしていました。そんなある日のことです。曾祖母が亡くなったという連絡が入りました。しっかり事実を受けいられないまま実家に帰りました。葬式で曾祖母対面した時に感じたのは、悲しさと薄情さでした。「せっかく知識や技術がついてきたのに曾祖母には何も還元できていなかったのではないか?本当に大好きだったと言えるのか?」と感じたのです。

これをきっかけに「自身の能力をどのように活かしていきたいのか?」と考えるようになりました。知識・技術はつけるだけだはなく、大切な人にしっかり役立てないといけないと学びました。

5年目

 病院に新任医師が赴任しました。その医師の方針でこれまで行ってきた診療や勉強会の在り方が一変するという事態が起こりました。私は反対しましたが5年目のPTの意見が通る訳もなく...その時に病院における医師資格の絶対的な強さとそれに簡単に従う上司・コメディカルスタッフに幻滅したのを覚えています。

5年目で「理学療法士」の社会的な立ち位置・その弱さを強く実感しました。それを踏まえ自分が本当にしたいことは何か、そのために何をしないといけないのかを考えるようになりました。

6~7年目

 5年目に感じた医師という”肩書”は圧倒的でした。そのためこの時期は「医師免許を取ろう」という思いで過ごしました。元々”肩書”に拘ったり主張したりすることは嫌いでしたが、自分のやりたいことをやるために”肩書”が必要になることがあると経験したからです。

 病院で働きながら空いた時間を利用して勉強しました。平日は4時間、休日は10時間の勉強を1年半続けました。(病院を辞めるリスクをとれないところが私です。)センター試験を2度受けましたが目標とした点数には達しませんでした。

 社会人になってからの勉強は高校生の時に行った勉強とは異なりました。点数をとり、試験に受かるためのズルい!?勉強もしました。勉強は目的ではなく、手段なのだと感じました。

 これまでは”勉強をする”ことが大切だと思って勉強に取り組んできましたが、この時期は初めて”医師になりたい”という目的を達成する手段として勉強に取り組みました。また、勉強をして得た知識により仕事や生活での見方が変わるのだと実感することができました。


8年目~

 臨床実習教育の責任者になりました。これまで臨床実習責任者であった先輩が昇進するにあたり、後任として命じられたことがきっかけです。正直に言うと初めから臨床教育に興味があった訳ではありません。しかし、実際に取り組んでみるととてもやりがいのある仕事でした。指導した学生が患者さんを良くする姿を見ることは、自分自身が患者さんをよくするよりもうれしいことだと感じるようになりました。

 教育責任者になったことで、教える側の視点と(受験生を近年経験したため)学ぶ側の両方の視点を持つことができました。両方の視点から物事を考えるという事は教育だけでなく臨床や仕事、普段の生活でも役立つ視点でした。学生に対する思いは以前noteに記載したのでお時間がある方は目を通してみてください。

https://note.com/daichipt/n/n954ad9f59cea

臨床教育に取り組むきっかけは上司からの任命です。今はやりがいをもって取り組めているので任命してくれた上司には感謝しています。

11年目~

 職場で管理者としての仕事をするようになりました。これまで、理学療法士として働くには”知識と技術をつけること””その知識と技術を患者さんに還元すること”が大切だと思って取り組んできました。同じようなことを後輩にも求め、それができない後輩には厳しく指導しました。しかし、後輩と話をしていると、決してやる気がないのではなく、同じような思いをもっているにも関わらず「やりたくのにできない」という人が大勢いることに気づきました。そして、必要以上に残業したり、想像以上にできない事と葛藤している後輩が何人もいることを実感しました。また、それぞれが仕事に対するモチベーションや人生において仕事に対する思いの比重がことなることにも気づきました。

仕事(理学療法士)とキャリアに関して興味がある方は以下の記事を読んでみてください。

 後輩指導に関しては現在進行形で悩み中です。学生とは違い、理学療法士に関わる分野を教えればいいわけではなく、社会人としての立場や個人の生活(心身の健康状態、育児中、介護中など)にも配慮した関わりが求められるため日々悩んでいます。答えがみつかる気がしません(笑


まとめ


 入職時は知識や技術を増やすことを考えて勉強や仕事に取り組んでいました。それが経験を重ねるごとに知識や技術はどのように患者さんに還元できるのか、家族など身近な人にも還元できないか、どのようにすると後輩に上手く伝えられるかなど、使い方に悩むようになりました。

 

知識・技術をつけることは大切で、それにより自身の引き出しは確実に増えます。しかし、それは手段にすぎません。「自分が何をしたいのか」をしっかり意識してその引き出しを上手く利用することが重要なのだと今は感じます。今は身につけた知識・技術。経験を学生や後輩のために使いたいと思っています。そのため日々の勉強と思考を続けていきたいと思います。