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時間の価値を考えたら、自分の「バイアス」に気付けた話

「時間の価値」という問い

いつも通りに起きて今日のTo doタスクを洗い出していたときにあるタイトルと記事が目に入ってきた。

「時間の価値を最大化する"時短テク10選"」(実際のタイトルままではありません)

それを見た瞬間、ある疑問を感じた。

生活の質と時短テクはどう関係しているのか?自分にとって時間の価値とはなんなのか?」ということだ。

このタイトルと記事は、時短テクを使いこなすことで時間の価値が向上すると言っているわけだ。つまりここでは、「限られた時間内でなるべく多くのことができる=時間の価値が高い」という関係性が成り立っている。

私自身も、定められた時間の中でやりたいことをなるべく多くできることは重要だし、意味があると感じる。そしてこれまでも、確かに業務の効率化やタスクの自動化などを活かして、時間あたりの作業量を最大化する工夫をしてきた自負もある。

それこそ、私が今働いている会社も、「混雑を可視化して人の列が生じないようにする(=自由に使える時間を増やす)」プロダクトを提供しており、その考え方に惹かれて入社した。

しかし一方で、「限られた時間内でなるべく多くのことができる=時間の価値が高い」という考え方にしっくりきているかというと、そうでもない部分もある。

30分でどれだけホチキスをたくさん留めたり、メールをたくさん返せても「時間の価値が高かった!最高!!」とはならない。

そこで、今回は「時間の価値」とはなんなのかをしっかりと言語化してみることにした。

では、早速考えてみよう。

「あなたにとって時間の価値はなんですか?」

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私にとっての時間の価値

まずは自分にとって時間の価値が何かを考えてみることにした。

今までの経験や思い出を思い返して、私が「時間に価値」を感じた瞬間を思い出してみる。そうすると、次のようなことがわかってきた。

自分は「楽しいとき」「成長を感じるとき」「感動したとき」「幸せを感じたとき」に価値のある時間と感じている。つまり、私にとって時間に価値を考えるヒントはここにあるはずだ。

ではこれらの場面では、なぜ時間の価値を感じるのか?共通点はなにか?
そこから出た1つの結論は、感情の振れ幅(どれだけ感情が動いたか)が価値に大きく関わっているのではないだろうかというもの。

どうもプラス(楽しい、嬉しいなど)方向に感情の振れ幅が大きいとき、「時間の価値が高い」と感じているようなのだ。

むしろ、感情が動いたとき、初めて時間を認識する・意識すると言った方が正しいかもしれない。

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日常を過ごしていても、常に「時間」を意識しているわけではない。何かイベントが起こり、感情が動くことで時間という普段は何となく過ぎているものを意識できるようになる。

つまりここまでをまとめると、私自身、日常的に時間について考えているわけではない。生活する中で、「失敗をした、締め切りで焦る、いい結果がでた、褒められた」、そういった感情が動く瞬間を経験して初めて時間を認識し、価値を考えられるようになっているようだ。

そして、そういった中でプラス方向に感情が動いた時、時間の価値が高いと感じる。これが私にとっての「時間の価値」のようだ。

「時間の価値=〇〇」なんてものは存在しない

感情が動くことが時間の価値にとって重要な要素になっていることが分かったものの、次に考えたのが、他の人はどうなのかについて。

この考え方は、自分だけのものなのか。それとも、多くの人にとっても共通することなのか?

その答えを求めて、周りの人に実際に聞いてみた。オンラインサロンのメンバー、友人、Clubhouseなど様々な場所で色々な人から聞いて、彼らはなんと答えるのか。

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結論、「時間の価値=〇〇」なんて言える共通のものははなかった。むしろ、全く異なる価値観を持つ人がほとんどだった。

ある人にとっては、「時間の価値=人生を豊かにするもの(家族・本・勉強等)」への投資余力」だったり。また別の人にとっては、「時間の価値=従業員満足度などの向上」だったり。中には「時間の価値=世の中に革新的なことを増やせるかどうか」という考え方の人もいた。

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考えてみると当たり前なのかもしれない。それぞれ働いている環境も、追っている成果も、大事にしている価値観も異なる。時間の価値が異なっていても全く不思議なことではない。

それでも日常で生活をしていると、知らず知らずのうちに私たちは思考や考え方のバイアスに絡め取られていたりする。

例えば時間の価値について今回考えるまで、冒頭でも紹介したように「限られた時間内でなるべく多くのことができる=時間の価値が高い」といった考え方を無意識のうちにしていたし、それに対して疑問さえ感じていなかった。

今回のように自分が持っている価値観について考えるきっかけがなければ、他の価値観があると考えることさえもなかったことにゾッとした。

バイアスは私たちが考えているより、ずっと身近にあるのだ。

「時間の価値」の問いから始める、バイアス探しのススメ

今回時間について考えてみて、分かったことが2つある。

まずこの問いを始めた目的だった、時間の価値を知れた。「自分が思う時間の価値」だけではなく、「自分ではない誰かの価値」があることを、そしてそれぞれが異なる価値観を持っていることを知れた。

もう1つ、自分自身が持つ思考・価値観のバイアスが思ったより身近なところにあることに気付けた。

世間でよく言われている「時間の価値=効率性」が、誰かにとっては全く価値のないものになりうると今回考えてみたことで知ることができた。私の「プラスの感情の振り幅が大きい」という時間の価値に対する考え方も同様だ。

でもそれでいいのだ。様々な価値観がある以上、むしろその方が自然なのだから。しかし日常を過ごしていると、そんな当たり前のことをつい私たちは忘れてしまう。だからこそ、自分の考えをしっかりと理解し、他の誰かとの違いに気付くことに、これを期に丁寧に向き合っていきたいと思う。

ぜひこれを読んで下さった皆さんも、自分の価値観について考えて欲しい。そして、「自分ではない誰か」の価値観に想いを馳せる瞬間をつくってみて欲しい。

それでは、早速考えてみましょう。

あなたにとって時間の価値とはなんですか?

おしまい

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