【読書感想文】愛と家族を探して 佐々木ののか

本書は、7組のかぞくの形を佐々木ののかさんがインタビューしたものをまとめてあります。

書評的な文を書くのがはばかられる気持ちがあったので、ぼくが考える「かぞくってなんだろう」におつきあいください。

キャッチしたメッセージ

家族って一概に決められたかたちとはかぎらないよね。というモヤッとしたイメージはあった。でも、どこからどこまでがかぞくと呼べるものなのか、ここまでは家族でそれは家族じゃないとどこかに境界線が引けるものなのか。そんなことも考えたことないままに「どんなかぞくだって家族だよね」と漠然に受け止めていたつもりだった。

本書をすすめるなかで、家族の概念が音をたててくずれた。
ぼくの人生では交わってこなかったかぞくのあり方が描かれていた。

かぞくというともしかしたらちょっと語弊があるかもしれない。(と書くとぼくの固定概念が影響していそうだけど)
人と人との関わり方をかぞくと呼ぼう、と決めてみた。そんな感覚があった。

例えばののかさんが試していた「生活ユニット」(という名付けをしていた)や契約結婚をして他に恋人をつくる可能性があるかぞくのかたちなど。思いつきそうでイメージできなかった、関心があっても実践にいたらない領域に踏み込んでいる。


ぼくが本書でいくつか衝撃をうけた言葉があるので、抜粋する。

「逆に精子バンク以外の方法に抵抗がありすぎた。」
「恋愛には向いていないけど、誰かと一緒には生きていきたい」
「家族とは意思をもって作って、選んでいくもの」
「人生のフェーズが変わったら、離婚、再結成もある。」
「じゃあかあちゃんも不倫してるの?悪いことしてるってこと?」
「いや、あおちゃんがいいって言ってるからいいんだよ。」

意図は文脈をよんでほしいので、ぜひ本書をてにとってみてください。

かぞくってなんだろう

家族を広辞苑で調べると、夫婦の配偶関係や親子・兄弟の血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。とでてくる。

ぼくの解釈だと「血がつながってるひとたち」となった。
仮に血がつながっている人が家族だとして、家族がいない人は可哀そうなのか。と自分に問うと、可哀そうとまでいかなくても、守ってあげるべき存在だな、という気持ちがわいてくる。OK。ぼくのなかでは家族は守ってくれる存在にちかいとらえかたをしているのだろう。

仮に仮をかさねて、家族は守ってくれる存在なのだとしたら、血のつながりは関係なかったとしても築くことができそうだ。

いまのところぼくは男性性で、恋愛対象は女性だ。結婚したいのは今のパートナーで、女性だ。彼女と遺伝子を共有したこどもを授かって、かぞくを作っていきたいと考えている。

だから僕は、いわゆる一般的にいわれる家族のかたちにあてはまるかぞくを望んでいる。と同時に、多様なかぞくを望む人たちとはまじわることができないんじゃないかという失望感が夫婦の配偶関係や親子・兄弟の血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。ていた。だが、あくまでいまのところだ。今後、ぼくば今のパートナーと結婚して子育てがはじまったあとでも、意思をもって作って、選んでいけるものだとしたら、後天的な家族が作っていける可能性がある。そう思うと希望がわいてくる。

バラエティは可能性だとぼくは考えている。その人と生活またはそのた生命活動の一部を共有することがかぞくと言えるのであれば、守る守られるの関係をあたりまえのように飛び越えてコラボレーションが発生する。

この人生、いろんなかぞくに触れてみたい。試してみて、共有することで豊かに生きられる可能性を模索していきたい。

かぞくの先に

愛がある。と断言するのは早計かとも思ったが、本書を読んでいて一般的にドライだ、といわれそうな関係のなかにも愛の要素が滲んでいるようにかんじた。

ぼくの知っている愛とはさわり心地は異なるのだろう。かぞくの先に何があるのか、ぼくはまだ分からないけれど、あいがあるのだと仮説をたてて検証してみたい。

ぼくは、このnoteを読んで佐々木ののかさんを知りました。関心があれば。ぜひ。


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