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続・イーロン・マスクとNeuralinkは脳科学をどう変えるのか(2020年版)

こんにちは、東京大学の池谷裕二先生の研究室で脳と人工知能の研究をしている紺野大地と申します。

「脳とコンピューターをつなぐ」ことを目的にイーロン・マスクが設立した会社Neuralinkについて書いた昨年の記事やツイートを多くの方に読んでいただき、大変感謝しています。

去る2020年8月28日に、Neuralinkから約1年ぶりの”progress update”がありました。


本noteではその内容を振り返りつつ、去年のnoteで挙げた疑問がどの程度解決されたのかについて振り返りたいと思います。

かなり分量の多いnoteとなってしまいましたが、さっそく始めましょう。

1.今回の発表の概要

まず、今回のNeuralinkの発表を振り返っていきます。
主な内容は、以下の4つです。

・第2世代の電極(The LINK)が開発された
・手術ロボットがアップグレードされた
・ブタに電極を挿し込み、慢性的な脳波の記録に成功した
・FDAへの申請が完了した

簡単に見ていきましょう。

・第2世代の電極デバイス(The LINK)が開発された
昨年紹介された第1世代の電極デバイスは「頭蓋骨」と「耳の裏」の2ヶ所に穴を開ける必要がありましたが、新たに紹介されたデバイスはコインのような形状になっており、穴を開けるのは頭蓋骨だけになりました。
手術による身体への負担を考えたとき、この違いは小さくないと思います。

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去年(左)と今年(右)のデバイスのイメージ図

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コイン型の今年のデバイス

・手術ロボットがアップグレードされた
去年Neuralinkが発表した論文に載っていた手術ロボットは以下の写真のようにメカっぽさの強いものでした。

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これはこれでサイバー感があってカッコいいと思いますが、今回の発表では以下のような手術ロボットが紹介されました。

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この手術ロボットにイーロン・マスクが込めた想いは、「安心感と親しみ」だと思います。

攻殻機動隊やソードアート・オンラインのような世界観にワクワクする人も多いとは思いますが、Neuralinkが目指すのは「誰もが電極を埋め込む未来」です。
そう考えたときターゲットとすべきは、
「今そこまでNeuralinkに興味がない人たち」、「Neuralinkのテクノロジーを怖いと思っている人たち」です。
彼ら彼女らに電極を埋め込んでもらうには、現状の医療と同レベルの安全性をアピールする必要があります。

そこでNeuralinkは昨年のようなサイバー感満載の手術ロボットから、今回のように清潔で安心感があり、丸みを帯びて親しみを感じられるデザインにしたのではないかと思います。


・ブタに電極を挿し込み、慢性的な脳波の記録に成功した
今回の動画で最も私の予想と異なったのは、ブタの登場でした。

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イーロン・マスクは昨年の時点で「2020年中にヒトに電極を刺す」と公言していたため、今回のイベントでは
「もしかしたら、既にヒトに電極を刺してしまっているのではないか」と思いました。

ですが今回登場したのは、ヒトでもサルでもなく、電極を刺したブタでした。
これにはいくつか理由があると思います。

一つは、さすがにFDAの申請許可が間に合わなかったこと。

もう一つは、動物愛護への配慮です。
昨年のツイートでも言及しましたが、欧米における動物愛護の意識は日本よりはるかに強く、動物実験には最大限の配慮が必要です。

そういった点を考慮して、今回Neuralinkはサルではなくブタを採用したのだと思います。
(もちろん、ブタなら動物実験に利用して良いというわけでは決してありませんが、サルよりも批判が少ないのは事実です。)

このように、Neuralinkは動物愛護についてもしっかりと配慮をしているということが、今回の動画の端々から伝わってきました。

・FDAへの申請が完了した
Neuralinkのデバイスをヒトに刺すためには、FDA(アメリカ食品医薬品局)の認可を受けることが必要です。
今回の発表においては、この点も進展が見られました。
具体的には、FDAへの認可「申請」が完了したとのことです。

とはいえ、申請が許可されるのかどうか、また、許可されるとしてもどのくらいの時間がかかるのかについては不透明です。
(申請許可には数年かかるとも聞きます。)

この申請が許可されないことにはNeuralinkが描く、
「誰もが脳に電極を刺す未来」は絵に描いた餅で終わってしまいます。
今後の進展に要注目と言えそうです。

ここまで、この1年間におけるNeuralinkの”progress update”を見てきました。
私自身の率直な感想としては、
「去年の発表に比べるとインパクトには欠けるが、Neuralinkが思い描く未来を実現させるために、着実に進んでいる」
というものです。

以下では、去年挙げたNeuralinkへの疑問について考察していこうと思います。

2.去年の疑問への考察

去年のnoteでは、
"Neuralinkの発表には、いくつか気になる点や不安な点もあります"
と記しました。
それらがこの1年間でどう解決されたのか(または、依然として未解決なのか)を見ていきましょう。
(疑問については昨年のnoteを転載しており、太字の部分が本noteで追記した部分になります。)

・本当に倫理審査を通るのか?
似たような先行事例があるとはいえ、倫理審査が通らなければどうしようもありません。その場合、中国や北朝鮮でこっそり行うのでしょうか…。
→上述の通り、FDAへの申請は完了したようです。この先の展開に要注目です。

・電極の劣化の問題は?
電極は時間とともに性能が低下します。Neuralinkが発表した論文中では「一生使える電極を作成した」と主張されていますが、根拠となる技術は記載されていませんでした。「性能が劣化したから埋め直す」ことはできないため、とても気になります。
→今回の発表ではこの点について言及されませんでした。
私の知る限り、脳に埋め込んだ電極の劣化を10年単位で防ぐ方法は現時点で存在しません。
 今回の動画中の、
「埋め込んだ電極を後日取り外してもブタは障害なく生活できている」
という部分はこの点に対するアピールではないかと思います。
しかしながら、実際に電極の抜き差しを行うと周辺組織の瘢痕化は必須であり、電極を再度埋め込むことは非常に困難です。
 今後Neuralinkがこのデバイスを普及させようと思った場合には、この電極の劣化が最大の問題点になるのではないかと思います。

・脳深部の血管も避けることができるのか?
Neuralinkの動画では確かに「脳表面の血管」は避けていましたが、果たして「外から見えない脳深部の血管」も避けることができるのでしょうか? 個人的にはかなり疑わしいと思います。脳深部の血管であっても、損傷により重大な障害が出ることに変わりはなく、その点の保証がないうちにヒトに対して埋め込むのは時期尚早だと思います。
→こちらについても今回の発表では進捗がありませんでした。
 動画を見る限り血管を画像として認識しているようなので、技術的なブレークスルーがないと深部の血管を避けることは難しいかもしれません。

・ワイヤレスにできないのか?
発表されたデバイスは「耳の下からUSB-Cケーブルが露出し、有線で脳活動を記録したり脳を刺激したりする」ものでした。しかしながらその場合、コードの長さに活動範囲が制限されてしまいます。論文中に「いずれは完全ワイヤレスにしたい」との記載がありましたが、現状できていないのは通信の安定性や速度の問題だと思うため、あと何年すればその問題が解決できるのかは定かでありません。
→この点については明確な進展が見られました。上述したThe LINKはデバイスそのものも充電もすべてワイヤレスになっています。

・刺せる部位は大脳新皮質だけなのか?
Neuralinkの論文中には「大脳新皮質をターゲットとする」との記載があったので、脳深部に刺すことはあまり想定していないようです。しかしながら例えばパーキンソン病で重要なのは脳深部に位置する「黒質」と呼ばれる部位ですし、記憶に深く関わる「海馬」をターゲットとしたい場合も出てくるでしょう。「脳深部」に対しても電極を留置できるようになるのかも気になるところです。
→この点は進捗がありませんでした。後述しますが、大脳新皮質だけでできることはそこまで多くありません。
 海馬や視床下部といった深部の領域にも電極を刺せるようになるかどうかが、Neuralinkの今後を考えるうえで大きな焦点となりそうです。

・頭蓋骨に穴を開けずに済む方法はないのか?
発表では、「頭蓋骨に小さな穴を開けるだけで電極を埋め込むことができる」と主張していました。しかしながら、いくら小さいとはいえ頭蓋骨に穴を開けるのは大きな負担ですし、穴を通じて菌が入ろうものなら髄膜炎という命に関わる病気を引き起こしかねません。「頭蓋骨を開けずに電極を刺す方法」ができれば良いのですが、そのようなことが可能なのか、個人的には全く案が浮かびません。
→この点も、Neuralinkが侵襲型のデバイスを目指す限りはなかなか避けられない課題でしょう。
 そして、頭蓋骨に穴を開ける限りは髄膜炎など命に関わる感染症のリスクは消えません。
 昨年のnoteにも記しましたが、上記の電極の劣化、脳深部の血管を避けること、そしてこの手術による感染症の問題が解決できない限りは、ヒトに対してNeuralinkのデバイスを埋め込むことは時期尚早だと個人的には考えます。

このように、単純計算で1勝4敗1引き分けです。
この先Neuralinkがこれらの課題をどう折り合いをつけていくのか、安全性という点でも目が離せません。

3. 続・イーロン・マスクとNeuralinkは脳科学をどう変えるのか

ここでは、今回のNeuralinkの発表を受けて私自身が感じたことや、脳科学の未来についての期待を記したいと思います。

Neuralinkはこれらのテクノロジーを人間に適用する際、まずは四肢麻痺の患者さんに用いると明言しています。
たしかに、四肢麻痺の患者さんに電極デバイスを埋め込むことで、ロボットアームや車椅子を念じるだけで操作することが可能になるでしょう。
病気で苦しんでいる方々をNeuralinkのテクノロジーで救うことができるのは、紛れもなく素晴らしいことです。

とはいえ健康な人にとって、ロボットアームや車椅子を動かしたり、念じるだけでスマートフォンの操作ができるようになる程度で、上述のような様々なリスクを負ってまでNeuralinkのデバイスを埋め込みたいと思うでしょうか?

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"念じるだけ"でiPhoneを操作するイメージ図

正直、大多数の人間にとってはリスクの方がはるかに大きいと思います。
私はかなりのサイエンス・テクノロジー好きですが、それでもNeuralinkのデバイスはリスクが大きすぎて、少なくともこの先10年は埋め込みたくないというのが本音です。

Neuralinkのデバイスが将来的に社会のインフラになるためには、
「頭蓋骨を開け、多少のリスクを負ってでもNeuralinkのデバイスを刺したい!」
と誰もが思うような明確なメリットが必要だと思います。

たとえば、以下のようなことができるとしたらどうでしょうか?

 ・電極で刺激するだけで一瞬で眠りにつける / スッキリ目覚めることができる(Neuroscience-based のび太
 ・電極で刺激するだけで満腹感を感じ、ダイエットができる(Neuroscience-based ライ○ップ
 ・電極で刺激するだけでコールドスリープできる(Neuroscience-based 冬眠

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Neuroscience-based のび太やNeuroscience-based ライ○ップのイメージ図

これなら埋め込みたいと思う人が多少は増えるのではないでしょうか。

(これらのアイディアについては以下のnoteに記載してあるので、興味がある方はご覧ください。)

しかしながら、これらを達成するためには、
「脳深部の領域に電極を刺すこと」が不可欠です。
睡眠や食欲、性欲のような言わば「原始的な欲求」は、大脳新皮質ではなくもっと脳の深い領域でコントロールされているからです。

また、記憶や感情といった多くの人々が興味を持つ事柄も、海馬や扁桃体といった脳深部の領域が担っています。

そう考えると、今後Neuralinkのデバイスが多くの人々に受け入れられるためには、「2.去年の疑問への考察」で述べたような「脳深部へのアクセス」や「様々な安全リスク」といった課題を解決することが最も重要になると思います。

このように、Neuralinkのテクノロジーにはまだまだ解決すべき点が数多いものの、それでも今回の発表に対する世間の注目度は、去年とは比べものにならない熱を帯びていました。
これだけ多くの人々の注目を集め、脳科学・神経科学に興味を持つ層を増やしたことは、紛れもなくイーロン・マスクの功績だと思います。

日本でも、藤井直敬先生の声がけで「BMIやろうぜ」というfacebookグループが立ち上がっています。


先日行われたイベントでは、藤井先生や金井良太先生といった起業家から牛場潤一先生や栁澤琢史先生といったアカデミアの研究者、そして将棋プログラムPonanzaの開発者である山本一成先生までが集まり、非常にアツい議論が交わされていました。

去年の記事で私は、
"Neuralinkの発表を機にGAFAなどメガIT企業が脳科学にどんどん投資を増やしたり、昨今の人工知能業界のように企業とアカデミアの人材の流れがもっともっと流動的になったりすることを期待します。"
と記しました。

先日のイベントのように、アカデミアと企業間のつながりが増すことは脳科学の進歩にとっても非常に好ましいことですし、私自身も人類を先に進めるような研究に多少なりとも貢献したいという思いです。

そして、こういった大先輩方に負けないよう、私たち若手でもこの業界を盛り上げていければと考えています。

長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


というわけで、脳科学やろうぜ!!!


P.S. 神経科学や人工知能、老化についての最新研究を月3回深掘りする"BrainTech Review"も連載しています。
興味のある方はぜひご覧いただければ嬉しいです😊(初月無料です!)

Image Source: ingeniousexpress.com(ヘッダー画像出典)

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