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思考について

1.初めに

「思考」について書き出してみようと思う。

思考。人間が何かしらのアクションを取る上で、能動的、あるいは受動的に働いてしまう脳機能。

多くの場合、学校などの公的教育機関を除き、人は本やメディアなど様々な媒体、あるいは人伝いによって知識を得る。そうして得た知識を、生活や仕事などに生かしている。

そうして得た思考の過程において、思考する事の意味や価値、その重要性とはどんなものがあるだろう。

例えば、お金を稼ぐ事。または、命が助かること。
後者に関して言えば極端かつ広義だが、要は生活において損をしない事。である。

確かに、一概に全ての物事が、思考をしたからどうにかなるというものではない。生まれた環境、育ってきた環境、自分に投資できる資金限界、思想や考察力を育てられるような人物との出会い。いわゆるチャンス、運が必要になってくる場面はあるだろう。

だが、思考するという事の意味はまさにそこにある。思考を繰り返すことで自分の欲しているものが理解できる。欲していない物が理解できる。

心を疲弊させて病むことが減ったり、人間関係(あるいはそうした社会の枠以外でも)においての悩みを軽減させることができるのだ。

損をしない。言い換えれば常に得をしている状態。しかし得をする為にも、何がアドバンテージなのか、バリューを持っているのか自分軸で分かってなければならない。

これらを総じて、思考する事の価値は根深くあると言えると思う。
とはいえ、まだまだそれらを完璧に説明し切ることはできない。

ただし、思考するという事は、その当人において大きな意味を持つと僕は考える。

2.思考しない弊害

まず初めに、僕は思考する事に価値を持っている派だ。

思考する事によって、これまでの人生においても選択に後悔をした事はないし、それどころか自分を信じる気持ち(この場合思想が偏り吟味せず盲信している訳でない)が強くなっている。

思考する事で得をすることは多いが、まず考えられるは対人関係においてである。

思考を日頃からしている人の話は面白く、内容が濃いので話のトピックがなんであれ、非常に興味関心の沸く物だと思う。

話し方や、面白く分かりやすく説明するスキルが高ければさらに言うことなし。
こういう人間を嫌いになることはまずあり得ないだろう。それは芸能人やひな壇でトークの上手いお笑い芸人を見ても明らかだ。

では、思考しない人はというと、話が単調でどこか聞いた事のあるような話。

ちょうど買ってきてカスタマイズしていないミニ四駆や、構築済みデッキのままカードゲームで大会1位を目指そうとするようなものだ。

話をするというのは勝ち負けではないが、話の中で使われるトピックは自分なりの解釈(この思考する過程で咀嚼(試行)回数)が重要になる。誰かの話において秀でることはなく。わかりづらい話ばかりをしてしまうからだ。

当然、人からは中々好意的に思われないだろう。
一つは、馬鹿だなーと思われるからというのもあるが、単純に要領を得ない話がストレスになるからだ。

つまり、思考が少ないというだけで、他人にストレスを与える人になる。

考えるのが得意じゃない。という議論もあるだろうが、
この場合、考えるのが得意かどうかではなく、思考しない事で損している事に気づけるかどうかというのがポイントになる気がする。

気づく力が弱い人は?という議論もあるだろうが、気づく力が弱い人は、そもそも自分なりの解像度の高い考え方を培ってきていない可能性があるので、やはり後天的な知識吸収と思考回数が足りないと言わざるを得ない。

思考しない=ばか、ではないのだが、
思考する事そのものは誰にもできる(この場合およそ身体的なハンデがある人を除く)為、やはり本人が地道に培って会得する物なんじゃ無いだろうか。


1と2まで書いて思ったが、考えてるトピックが多すぎて、筆が止まってしまったので、一旦ここまで。

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