May(Losses Freestyle) - C.O.S.A. について語る
2020年6月21日「May(Losses Freestyle)」をC.O.S.A.がYouTubeにアップした。
2020年の6月といえばコロナウイルスの自粛が開け始めた頃であった。しかし、歌詞の中身から5月の出来事について書かれていることがわかる。つまりコロナ自粛中の感情をラップした曲である。
また、2020年6月21日は父の日であり、父としての視点でもラップしている。
BeatはDrakeのLossesのビートジャックである。
C.O.S.A.はたまにビートジャックでのフリースタイルをYouTubeやSoundCloudにアップすることがある。
C.O.S.A - Who Shot Ya Freestyle(2021)
The Notorious B.I.G. - Who Shot YA?
C.O.S.A - Good Die Young(2009)
Wu-Tang Clan - Reunited
Lyric
ここではコロナによって変化した人間の生活と変化していない自然とを比べ、この生活に違和感は感じるが現実を受け止めることの重要性を説いている。そして、幼い娘の笑顔に救われる気持ちもありながらも、この生活が当たり前と感じている娘への不安も込められているように感じる。
ここでは「人間としての自分」と「父としての自分」との比較が描かれいているように思える。
父としては娘を守るために転ばないように手を繋ぐが、人間としては当然苛立つもこともあり、転びそうにもなってしまう。しかし、父としての威厳を保つために堪えるというとても人間的であり、美しいリリックである。
ここではコロナ自粛の情景を描くと共に先ほどとは別の角度での比較が描かれている。
この曲に「みんな元気にしているか」というメッセージを込めている、なぜならLINEでそんなことをするような柄じゃないから、という何とも不器用なC.O.S.A.らしいリリックがあり、その後に「絵本や積み木で遊ぶのも柄じゃない…か?」というリリックがある。
ここでは本来不器用かつ子供と遊ぶような柄じゃない人間であったC.O.S.A. が父としての顔を持つことで柄じゃないこともできるようになるという先ほどとは別角度の「人間としての自分」と「父としての自分」との比較が描かれている。
また、父としての自分が人間としての自分を変えているという変化も
「…か?」から感じ取ることもできる。
ここでは、C.O.S.A.のハードかつタフな一面と家族への愛という二つの面を感じることができる。
(余談)
HIPHOPはサウスブロンクスで生まれた当時からメディアを忌み嫌う対象として捉えていた。それはテレビやラジオ、新聞では事実と異なったことを報道したり、一つの考えに偏ったことを報道するなどの問題があったからである。そのことから「メディアとは違いHIPHOPはリアルを伝えるもの」という考えが生まれた。
日本の現在のメディアは炎上した人間を過剰なほどに取り上げ、ネット上でより叩きやすい環境を提供しているような光景がよく見られる。それに対して、C.O.S.A.は家族の邪魔をすれば「誰が来ようとも容赦無く殴る」というスタンスを取っている。
これは2015年の1st album「Chiryu-Yonkers」に収録されているGZA1987のリリックで「リリシズムが原因でぶっ殺されても仕方ねーと俺は思ってるでよ」というリリックと似たものを感じる。しかし、このリリックとの違いは自分の主義主張を唱えた時に起こる弊害に対して、「誰が来ても関係ない」というスタンスではなく、家族の邪魔をすれば「誰が来ても容赦はしない」というスタンスであるということ。つまり、家族への愛が前提にあるということである。
この5年間、C.O.S.A.はタフであり続けているというのが一ファンとしての印象であるがこのように見比べてみるとそのタフの根源にあるものが変化しているということがわかる。
ここではC.O.S.A.のラッパーとしてのスタンスをみることができる。
ラッパーの歌詞の内容についてこのように書かれると一見普段聞いているHIPHOPとは違うと思う方もいるかもしれないが、これはかなり確信をついたリリックである。
人の悔しさを歌うというのはghettoでした辛い経験や家庭環境などのバックボーンを歌うということとして捉えられる。
日々の過ごし方というのは大金を使うということであったり、家族との時間であったり、友達と遊んでいる時であったり、一人でいる時であったり、など人ぞれぞれの現在について歌うこととして捉えられる。
娘の可愛さや妻の美しさというのは全員が全員歌える内容ではないが、妻の美しさという部分を女性の美しさについて歌うという意味として捉えれば、そういった曲は多い。
これはC.O.S.A.が小学校6年生(もしくは5年生)の時に初めてリリックを書いた時から変わっていない。ラップの内容は「ハードなもの」と「ブルージーなもの」と「ラブソング」のみ。このスタンスを貫きその結果としてこのような人の心を動かすリリックをかけるようになったのだろう。
最後には月が変わりコロナの自粛が明け自分は働きに行くという月の名前をタイトルにした曲の終わり方としては完璧な終わり方で締め括られている。
まとめ
この曲はC.O.S.A.のラッパーとしてのスタンスや考え方、これまで歌ってきた内容などが全て一曲に凝縮されたような曲であり、間違いなくC.O.S.A.の隠れた名曲の一つと言っていいだろう。
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