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盗作?盗用?剽窃?「美しい顔」をめぐる問題の本質とは

文藝春秋後援の「高校生直木賞(http://koukouseinaoki.com/)」という会がある。高校生が直木賞候補作を読み、議論を交わして、独自の受賞作を決めるというものである。そのOB・OGが集まり、独立する形で立ち上げられたのが「大学生芥川賞」である。

活動内容は、察しのつく通り、大学生が芥川賞候補作を読んで、議論を交わし、独自の受賞作を決めるというものである。7月18日、第159回芥川賞が発表されるのに先駆けて、同月14日、第3回目となる「大学生芥川賞」を行った。

今回の芥川賞といえば、「美しい顔」の盗作疑惑が話題になっている。
「美しい顔」の出版元である講談社は、参考明記を怠ったと謝罪を表明したが、それに対し、新潮社は納得のいっていない様子だ。

もちろん、参考明記を怠ったことは非難されてしかるべきことだ。しかし今回の「大学生芥川賞」では、さらに本質に迫った議論ができたように思うので、一部紹介したい。

リアルなフィクションとして震災を描くことの意義

「美しい顔」は、群像新人賞を受賞し、一部から絶賛された作品であるが、何がそこまで衝撃的だったかというと、一人称によって、高い純度でありありととらえたという点である。

これまでの震災小説といえば、いとうせいこうの『想像ラジオ』などが有名であろうが、フィクション性の強い作品であった。
「美しい顔」は震災後、七年目にして初めて、被災者の抱えるサバイバーズギルトとも言える苦悩を生々しく描き出したのである。

しかし、ここに一つの疑問が生じる。果たして「リアルな」被災者の痛みを伝えるならば、フィクションよりも当事者の生の声(ノンフィクション)の方が威力を持つのではないか、という問いだ。

これに関しては「大学生芥川賞」の会においても、ある一定の距離感を取ったからこそ描き出せたものがあったという意見や、それに対して、マスコミへの「感動ポルノ」批判的内容を含むにもかかわらず、この作品自体がそのような傾向を少なからず有してしまっているという反論もあった。

相対的なできのよさを評価していいのかという問い

「美しい顔」が震災文学の中で秀逸な作品であることは間違いないだろう。それは今回の騒動で価値が減ずるものではない。
しかし果たして、「相対的に」できがよいだけで十分なのだろうか?
震災というシビアな問題を扱い、被災者を傷つける可能性がある以上、ある種、「絶対的な」できのよさが求められるかもしれない。

他にも様々な論点を議論

「大学生芥川賞」では、他にも様々な角度から作品を議論した。
それはもちろん、「美しい顔」に限らず、他の候補作についても同様である。
果たして、今回の候補作の中から大学生が選んだ一作品とは何だったのか。
今回の記事の内容に加え、詳しい議論の様子は、アメブロの方に記載したので、ぜひ確認して欲しい。 
#芥川賞 #美しい顔 #小説 #文学 #本 #送り火 #風下の朱 #もう 「はい」としか言えない #しき #大学生



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