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プロの哲学者が「生きる意味」を問わない理由

「職業は哲学者です」と自己紹介する。
謎の職業を聞かされ、戸惑いと好奇の混じった「へー」が返ってくる。
その惑いを引き受けて「大学で講義とかしてるんです」と補足する。
すると今度は、「すごい!教授なんだ!」と言われたりする。
「いや、教授ではないんです。教授って会社員でいえば部長みたいなもので、私なんか教授とは程遠いですよ・・・」と、興味のないだろう大学の構造を自虐的に説明してお互いがちょっと切なくなるのは嫌なので、
「まぁ、教員です」という曖昧な返事でごまかす。

ほかにも、「学生にモテるでしょ?」「いや、そんなことないです」の応酬や、帰る頃には「心理学者」と呼ばれているなどもよくある。
そんなふうに少し困ることはあるものの、多くの人が哲学者に興味をもってくれるので、ありがたい。
もっと小粋な対応をしたいなぁと常々思う。

ただひとつ厄介な質問がある。
「哲学者って、やっぱり生きる意味とか考えてるんですか?」というやつだ。
「生きる意味って何ですか?」と半笑いで聞かれることもある。
いや、決して嫌なわけではない。質問してくれてありがとうの気持ちは変わらない。
ただ、うまい返しが見つからないのだ。
なので今回は、この質問にまともに答えながら、楽しく哲学してもらうための最適な返答を模索する作業をしようと思う。



結論から言えば、いかにも哲学っぽい「生きる意味とは何か?」という問いは、実は哲学的にはとても不適切な問いなのだ。
私もいちおう博士号を取得し、大学で講義をして生活している身であるので、プロの哲学者と名乗らせてもらうが、プロの哲学者は決してこんな問い方はしない。ただし、哲学者が生きる意味を考えていないわけではない。

生きる意味を問うことのどこに問題があるか、いくつか挙げていく。

1. 生きる意味って、誰の?(あいまいな主語)


「血液型A型の人間の生きる意味とは?」と聞かれたら、
「え?生きる意味って血液型で違うの?」とびっくりするだろう。

では「日本人の生きる意味は?」だったら?
人によっては、あるいは戦時中などの時代状況によっては、命に関わる重要な問いになるだろう。

「生きる意味とは?」という問いには、主語がない。日本語ならではの主語のあいまいさ。
そして主語によって答えが違う可能性があるから、哲学者的な返答としてこう言いたくなる。

「主語は?」

返答候補①

主語が「日本人」とか「政治家」とかだと、その人の個人的な事情が入っているかんじがする。
つまり、主語の設定の時点で既になんらかの意図や使命感のようなものがうかがえる。
哲学の文脈で生きる意味を問うときの主語はたいがい、「人間」か「私」だろう。
哲学者からすると、これらの主語でさえ、その人の個人的な事情が入っているかんじがする。あるいは時代的な事情も。

「〇〇の生きる意味は?」と問う時点で、その「〇〇」はなにか特別なものだと考えれれている。
その主語には生きる意味を与えるにふさわしい何かがあるという期待、あるいは前提がある。
だから、あなたが特別だと思う主語をまず聞かないと、話が進まない。

そして、主語が「人間」だとしたら聞きたい。

「進化のなかの一生物種でしかない人間に特有で、なおかつ人間であれば誰もが共有するような意味があるって、なんで思うの?」

返答候補②

主語が「私」だったら聞きたい。

「私やあなたは、たまたま受精して生まれてきた一個体として存在しているだけなのに、なんで他の人とは違う特別な意味があるって思うの?」

返答候補③

足下のアリの行列の中の1匹よりも、「人間」である「私」が大事なのはわかるが、自身が属する主語は、「日本人」とか「男(女)」とか、他にもいくらでもある。

「上半身や右腕、左足首には生きる意味はなさそうだし、類人猿や脊椎動物に特有な生きる意味もなさそうだけど、「私」や「人間」には生きる意味があるって思うのは、なんで?」

返答候補④

人や時代によってしっくりくる主語とそうでない主語がある。
「人間」を主語にするのはキリスト教のような宗教の影響もあるだろうし、「私」を主語にするのは近代以降の、「人権」や「自由」という発想の影響もあるだろう。
逆にいえば、時代や文化によって、「人間」や「私」という主語を使う発想がないことだってあるのだ。
主語を設定する時点で既に特別な意図があることを無視してはいけない(実は問いの答えはそこに隠れていたりもするが、その話はここではしない)。

2. 時間設定、どうなってます?


「2023年のあなたの生きる意味はなんですか?」と聞かれたら、
「え?生きる意味?目標とか抱負じゃなくて?」と思うだろう。

主語が人間であれ、私であれ、生きる意味を問うときの時間スケールは「人生」という単位であるのが一般的だ。
つまり、産まれて生きて死ぬというこの生命活動に何か意味があるのか?ということだ。
しかし、哲学者的には、特に説明もなく人生という時間スケールで意味を問うことに違和感を覚える。なので、生きる意味の時間設定が人生である場合、こう問いたい。

「人生という時間単位に、変わらない一つの意味があるって、なんで思うの?」

返答候補⑤

生きる意味は人生のなかで変わるかもしれない。
2022年の生きる意味と2023年の生きる意味は違うかもしれないし、2024年はいったん生きる意味はなしってこともあるかもしれない。産まれて生きて死ぬという活動全体に意味や理由を求める時点で、やはりそこに意味があると思いたいという裏の意図を感じてしまう。
なぜそう思ってしまうのかといえば、その答えはきっと、人間が死ぬことを知っているから、やがて死ぬとしても、そこに意味を求めたいのだろう。

あるいは「人生」という幅のある期間ではなく「この瞬間」という時間設定もあるだろう。
いわゆる「私はこの時のために生きてきたのだ!」というやつだ。
この場合は、その後の人生は余韻でしかないということにもなるだろうし、別の瞬間がまたやってくるかもしれない。
もちろん、この実感がある人は既に答えが出ているので、改めて生きる意味を問うことはないだろう。
人生という時間単位に意味はなくても、今ここにいる意味はあるかもしれない(逆もしかりだ)。
なので生きる意味を問う人に、確認したい。

「あなたは人生に意味を求めたい? それとも、ある瞬間に意味を求めたい?」

返答候補⑥

どちらの時間設定がお好みなのかによって、その先の答えはかなり違ってくる。

3. 意味って、誰目線の?

意味=目的と考えてみる。つまり何を求めて生きるのか。
目的は誰かが設定するものだ。自分で目標設定してから「よし!産まれるぞ!」と言って産まれた人は(たぶん)いないので、産まれたときすでに意味をもっているなら、設定したのは自分以外のもの、たとえば親、家族、神、国、本能などが考えられる。
国の繁栄、子孫繁栄(遺伝子の継承)、天国にいくための努力なんかが具体的な目標になるだろう。

あなたの生きる目標について、いろんな人に聞けば、いろんな答えを教えてくれるだろう。外から与えられる生きる意味なんていくらでもある。
ただし、神様や本能が示す生きる意味に、あなたが従わなければならない理由はない。繁殖本能があっても繁殖しないことはできる。
誰かに意味=目的を与えられたとしても、それを受け入れるか拒絶するかは自分で選べる。どれを選んでもいいし、複数の目的を兼任したってよい。

なので哲学者的にまず確認したい。

「あなたの採用基準は?」

返答候補⑦

哲学者として、あなたの経歴、性格、求める結果や難易度、信用できるものなどをヒアリングして、最近のトレンドを考慮しつつ、世に溢れる生きる意味のなかで最適な生きる意味をマッチングさせてあげるのもよいかもしれない。
ただちょっと思ってしまうのは、

「っていうか、あなたは自分以外の何かに意味付けられたい指示待ち人間なの?ドMなの?」

返答候補⑧

外注の生きる意味を選んでもいいけど、自分でつくるっていう選択肢もある。たぶん自分でつくった方が自分にマッチするし、愛着もわくと思う。つまり離婚率が低くなると思う。
(とはいえ、「自分で決めるのがよい」は最近(近代以降)のトレンドにすぎない。最新トレンドはAIだろうか。)

でも、だとしたらこういう結論になる?

「生きる意味なんて人に聞かずに自分で考えろ!」

返答候補⑨

そんな突き放すような言い方は哲学者としてよくない。
そうじゃなくて、あなたの生きる意味を考えるために、哲学者がお手伝いしないと。
生きる意味を産み出すのはあなた。哲学者はただのお手伝い。お客様の特徴とご希望にかなった生きる意味を、お客様自身で見つけてもらうための対話と知識の提供。
うーん、でもその前にまだひっかかるところがあるんだよなぁ。

4.  なんで意味があることが前提なの?

意味=目的とするのは一つの考え方であり、やはり多くの期待や前提を含んでいる。たとえば、「人間は何かに向かってがんばるものだ」という期待。

意味=理由と考えることもできる。つまり、なぜ生きているのか。

宗教的には、たとえば神から与えられた使命(=目的)を果たすためにあなたはつくられた、という説明がある。
この場合、神の使命=生きる意味=産まれた理由=生きる目的になる。なんと明快なことだろう(仏教などは「理由=目的」ではないが、理由を知ればおのずと目的が導かれる)。

生物学的には、生きる原因は親が(たまたまあなたをつくる精子と卵子で)受精して出産したから。あるいは生物の生殖本能の結果とか、人類の繁栄の結果である。
この場合、あなたが生まれてきた原因はあるが、目的はない。
どんな事実にも原因があるが、その事実から「ではどうするべきなのか」という答えが出てこないこともある。

人が生きる意味を問うとき、原因ではなく、目的や、少なくともどうするべきかの方向性を知りたいという期待が入っている。
でも、そんなものないかもしれない。
というか、宇宙のことを知れば知るほど、「人間」や「私」に特別な意味があるというロマンチックな発想を維持できなくっていきそうだ。神様でもいれば話は別だが。

なので哲学者的にはまず最初にこう問うべきなのかもしれない。

「なんで意味があると思うの?」

返答候補⑩

人間は自分がかわいいので自分の生に特別な意味があると思いたいし、その辺の石コロより自分の方がすごいと思っている。
でも、そう思うためにはなんらかの基準を採用しなければならない。
物質としての複雑さとか、ホメオスタシス、エントロピー、遺伝子、脳、意識、精神、尊厳、霊魂とかを引き合いにして、自分を褒めようと必死だ。そうしたい気持ちもわかるけど、そうしないといけないわけではない。
だからこう聞いてしまいたくなる。

「生きる意味がないと生きられないって、誰が決めたの?」

返答候補⑪

人間と石コロになんの優劣もない。ただこの世界にあり、いずれ消えていくもの。するべきこともなく、何を残すでもなく、ただ一定の時間、存在するだけ。そこに特別な意味などない。
こういう考え方は洋の東西に限らず昔から数多くの思想家が説き、実践している態度である。

生きる意味を問うことは、こうした思想を無視して、石ころからマウントをとるように、他の生物や他人との競争のなかで自分を肯定し続ける終わりなき道に進むことを前提にしているのかもしれない。
そしてこの前提が、あなたを苦しめているのかもしれない。

つまり、助言の意味を込めてこう問うこともできる。

「生きる意味を問う時点で、あなたは茨の道を進んでしまうかもしれないけど、それでいいの?」

返答候補⑫

5. プロ哲学者たちのやりかた

たとえばあるプロ哲学者が、カントの『純粋理性批判』における超越的観念論について研究しているとする。
この人がやっているのはカントという哲学者の主著の内容分析だ。
だがカント哲学には「我々は何をなすべきか?」という、生きる意味を問う根本問題が含まれている。カントはこの問いに答えるため、人間の認識能力を分析するという方法をとった。そしてこの研究者はカントの分析をさらに分析しているのだ。
カント本人は人間の生きる意味について自分なりの答えを出しているので、この研究者も間接的に生きる意味について考えていると言えなくもない。

つまり哲学者の多くは、実際には「生きる意味とは何か?」という問いに関わってはいるが、決してこの問いを採用しないのである。なぜなら、これまで見てきたように、この問いにはいくつもの期待や前提が含まれているし、言葉の定義も曖昧なので、哲学の問いとして極めて不適切なのだ。

哲学者にとって、どんな問い(研究テーマ)を立てるかは、その答えよりも重要だったりする。哲学において問う能力は重要なスキルなのだ。
「生きる意味とは?」という問いは、極めて素朴であるからこそ重要な問いではあるが、問いとしては欠点だらけでまったくセンスがない。
プロ哲学者としてこの問いのセンスを評価すれば、まぁ哲学に興味をもってくれている感謝はあるので、30点くらいだろうか。

この問いに答えるためには、この問いではない別の問いを立てなければいけない。問いを研ぎ澄ます、それがプロの仕事である。
研ぎ澄ます作業のなかで、自分の中にある前提や期待が見えてくる。まずはなぜそのような前提や期待をもってしまっているのかを問うことが重要になるだろう。

6. 結論:「生きる意味は?」に対する私の回答

以上、「生きる意味は?」と聞かれたときの返答をいくつか考えてきた。
いや、わかってます。返答候補のどれにしたって、こんなこと言ってたら嫌われます。だから言いません。
まず質問に質問で返す姿勢が気に食わないですよね。ごめんなさい。

それも踏まえて、結論として私の回答は今のところ2つだ。
1つは、

「それはね、私の本読んでくれればわかるよ」

結論①

である。見事である。
その場で答えるのが難しい質問をかわしつつ、初対面の人に本を出してるアピールをして、あわよくば印税も狙っている。誰にもマネできない私だけの最高の回答。がんばって本を書いたものに許される特権。すばらしい。
というわけで気になった方は是非、私の本を読んでください(笑)


2つ目は、まさにその本に書いてある内容を実践する方法だ。
これに関しては、ネタバレになるので、本記事で無料公開はしない。それがプロフェッショナルの流儀だ。
というか、コミュニケーションスキルの要素もあるので、事前に知られてしまうと効果が薄れるおそれがある。
以下、有料で公開するが、マネするものでもないと思うので、私の本を読んだ方がいいと思いますよ。

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