若者が都会を目指す気持ち

僕は都会が嫌いでした。
東京なんてもってのほかです。

人はやたらに多くて息が詰まるような思いがするし、コンクリートで覆われた無機質な街並みでは心を落ち着けることもできません。
そう思ってました。

僕は北関東にあるそこそこの規模の街で生まれ育ちました。実家は農業を営んでおり、幼い頃から自然に親しむ機会は多かったと思います。

ただ交通の便が良い街だったので、首都圏のベッドタウン化は着実に進行していき、森や田畑はどんどんありきたりな分譲住宅やアパートに変貌していきました。
僕にとって「都市」とは身の回りから「自然」を奪い去る「侵略者」のような存在だった気がします。
それもあって都会は嫌いでした。

そんな生まれ故郷を離れ、いくつかの街に住み、今に至ります。



今住んているのは北東北のとある地方都市。
街の中心部から少し歩けば綺麗な川や広がる水田、青い山々が見えます。まさに自分が好きだった自然が多く残る街です。
僕はこの街が好きになれると確信していました。

ですが。
どうもおかしい。今の街に住みはじめてからというもの、生活に張り合いが無くなった気がします。外出が好きな人間だったはずなのですが、外に出ることも減り、休日をだらだらと過ごすことが増えました。思えばこの時は豊かな自然になんの感情も抱かなくなっていたと思います。

そんな時、業務で本社に出向し、1週間東京で仕事をすることになりました。
久しぶりに行く東京。あんなに嫌いだった筈なのに少しワクワクしている自分がいました。


池袋駅で降りました。
駅を出て、街を眺める。
そこは輝いていました。多く人で行き交う街には活気が溢れ、所狭しと様々な店が軒を連ね、どこへ向かおうとも自分を受け入れてくれる、そんな空間がそこにはありました。

僕は早速ジュンク堂本店で普段なかなか読めない本を買い、東北には無いチェーン店で食事を済ませ、初めて見るスタンドコーヒー店でコーヒーをテイクアウトし、満足顔で宿泊先のホテルへと向かいました。

1週間、仕事は順調に進みました。
仕事終わりは、毎日のように夜の街を散策しました。お酒はほとんど飲みませんが、居酒屋以外にも気になる店が夜でもたくさんやっていました。

そして、1週間が経ち僕は東京から今の街へ帰って来ました。

帰ったのは夜の7時ごろだったと思います。
駅を出て街に見た最初の感想は、
「寂しい」ということでした。

歩く人はほとんどおらず、駅前の商店街もシャッターばかりで、わずかばかり居酒屋が営業している程度。街自体が暗く見え、妙に星が綺麗に見えた覚えがあります。 

このとき僕は、地方の若者が都会へ出て行ってしまい、そのまま戻ってこなくなる気持ちが初めて理解できました。

地方は(場所にもよりますが)街自体が衰退し店も減少傾向で、自分の趣味を楽しめる場も多くありません。また、街中には老人ばかりが目立ち、若い人は珍しい。衰退する街の中にいると
「寂しい」「ここから逃げたい」「自分がいるべきところはここではない」という気持ちが出てくるのも頷けました。

その点東京は何でもあります。人が多いだけでは無く、若者も多いので活気があります。
何でもあるので、足を運べる場所も多く自分の「居場所」が用意されているような気すらしてきます。

であれば、多くの若者は都会を目指してしまうでしょう。他ならぬ自分がそういう気持ちになってしまったのは悔しいかぎりです。

幸いにして、住み始めて半年以上経ち気持ちにも余裕が出てきました。今は「無いもの探し」では無く「あるもの探し」の気持ちで生活しています。
シャッター街の片隅には昭和の雰囲気濃厚な渋い喫茶店があるし、見た目は貧相(失礼)な書店には驚くほどの尖ったラインナップの棚があります。

それでもやることが無くなればこうやって文章を書くこともはじめました。
これも都会にいたらやらなかったことかもしれませんね。

都会に行くことが悪いことではないと思います。
ただ地元に何も無いからと、消去法的に都会にいくことは悲しいことです。

自分も何らかの形で地方を盛り上げる助けになることをしたいと思う今日このごろです。

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