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BAND☆やろう是 第九章 当日の朝

 ふと目が覚めて時計を見てみると、早朝五時を差し掛かるところだった。
 寝る前にアラームは五時に合わせていて、ちゃんと起きられるのか正直不安だったのだが、どうやら体内目覚ましはちゃんとセットできていたらしく、自分でも驚くほど爽快な目覚めを遂げていた。
 寝起きによる不快感と、今日という日を迎えたという意識をはっきりすべくシャワーを浴び、準備を急いだ。

 イータダの家にたどり着くと、同じ時間帯に寝た筈の大ちゃんと智さんが今日乗っていくと思われるファミリータイプの車の前でストレッチをしながら待っていた。
「おお、岡田。おはよう!」
 背伸びをしながらだが元気な智さんの声が聞こえてきた。その横で大ちゃんが前屈をしている。
「岡田君、おはよう!」
 体勢を直した大ちゃんはいつもより爽やかな笑顔を見せた。
 たどり着いたばかりで少し息を切らせていた僕は、二人の眩しい程の態度に直ぐには対応できなかったが、少しばかり経って挨拶に応じ、何気なく腕時計を見ると針は五時四十五分を差し掛かろうとしていた。
 意外と早くたどり着けたのだなと思い、そっと胸を撫で下ろしたところで周りを見渡すと、家の主であるイータダとトースの姿が無い事に気がついた。
「あれ?イータダは?」
「俺らがたどり着いた時に起きたらしくてさ、今必死に用意しているんだと思うよ。」
 いつの間にかストレッチを止めていた大ちゃんは最近買ったらしいPHSの画面を見ながら素っ気なく答えた。
 一体彼らは何時にたどり着いたのかという疑問はお約束のように聞かずとして、とりあえず二人がたどり着くまではどうする事もできない。仕方がなく僕も智さんの横で合わせてストレッチをする事にした。
 しばらくして何やら家の入口が騒がしく開き、イータダが息を切らして僕達の傍に走ってきた。
「ごめんごめん。お待たせしましたっ!!」
 時計を見ると僕がたどり着いた時間から十分くらい過ぎたくらいで別に特別待った感覚はない。約束の時間内なので何も問題はないと思ったのだが、何故か智さんが不機嫌な様子だった。
「イータダ…。俺達がたどり着いた時に起きたとは何事だ…?」
「す…すいません。昨日なかなか寝れんくて…。」
 智さんは呆れたように溜息をついた。
「俺達も二時間くらいしか寝てはいない…。言い訳はよしたまえよ。まあ、時間通りには現れたから良しとしよう。」
「は、はい!ありがとうございましたっ!!」
 それで二人のやり取りは終わったのだが、智さんの態度がどうも気にかかる。

『何故執拗にイータダにだけ厳しいのか?』

 確かにこの事は前から感じていた事であるのだが、僕がまだまだ新参者としての立場を捨てきれないが故、聞きたくても聞けずにいた事然り。
 しかし、今の一連も去る事ながら、何故か知っておかなくてはならないという責務に駆り立たされた。
 本人達に直接聞けばいいのだが、それはどこか気が引けたので僕の横で退屈そうにあくびを噛み殺している大ちゃんに真相を確かめる事にした。
「なぁ、大ちゃん…。」
「んあぁ?」
「ちょっと思ったんじゃけどな、何で智さんイータダにあんな厳しいん?」
「んっ?…あぁ。」
 俯いてそう呟くと、何を考えているのか軽く目を瞑っていた。
「俺も真意は分からないけど、師弟関係みたいな間柄みたいだからね。何か彼らなりにあるんじゃない?」
「えっ?大ちゃんも知らんの?」
「うん。知らないよ?」
 何かを悟ったかの様に今度はいつもの笑顔で大ちゃんは力強く言った。
 そう言い切られてしまうと追及する術も見出せない。そもそも僕が知るには野暮な話だったのだと自分に言い聞かせ、「うん、分かった。」とピリオドを打った。
 それよりもトースが一向に姿を現さない事に不安を感じざるを得ない。イータダにここまで強く当たっているのだからトースが現れた時には智さんはどのような反応を示すのだろうか?
 思ってみても仕方がないような事を考えながら、祈るような気分でトースの到着を待った。
 時計の針が六時に差し掛かるぎりぎりでやっとトースが姿を現した。
「ごめん!寝坊しちゃって!!」
 ごめんと謝る割には汗も掻いておらず、へらへらと笑いながらベースを肩から降ろした。
 時間ギリギリ、もしくは遅刻するのはいつもの事ではあるのだが、今日はいつもとは訳が違う。僕は不安な気持ちで智さんを見てみると、なんと優しそうな眼差しで溜息をつきながらトースを見ているではないか。
「トース、遅いじゃないか。早く車に荷物を積みなさい。」
「はーい!」
 やり取りはそれだけで終わり、いそいそと車に荷物を積み始めた。
 その智さんの態度に誰も不信感は抱いていない様子で、寧ろ僕だけが細かい事を感じすぎているだけなのではないかと思ってしまう程である。
「岡田、君も早くしないか。」
 智さんの声がしてふと我に返ると、車の傍に見た事ない女性が立っていて、メンバー達と何やらと親しそうに話していた。
 僕は徐に荷物をトランクに放り投げ、その女性を囲む形で立っているメンバーの元へと急いだ。
 全員が揃った事を確認して、智さんは話始めた。
「えー。今日は待ちに待ったライブ当日だ。もうここまで来たら俺からは何も言う事はない。心してその時を迎えようじゃないか!」
 その言葉に皆は血を沸かせ、肉踊らせ、目を輝かせて聞き入っている様子だった。
「それと、今日俺達をお世話してくれる方だ。」
 女性が一歩前に出て、軽く頭を下げた。
「岡田は会った事ないとは思うがイータダの母君だ。」
「え!?イータダのお母さんなの!?」
 驚いて僕はもう一度女性の姿を確認するように見つめた。
 身長はそんなに高くはないのだが、服の上からでも抜群のスタイルを誇っているのが分かる。目鼻立ちはくっきりしていて、一見冷たい印象なのだが、笑顔になるとふと柔らかな雰囲気になるのは、少し明るめの髪に緩いパーマが当たっているからなのだろうか…。
 多分イータダとこの女性が一緒に歩いていたら、少し歳の離れたカップルと間違えられても可笑しくないと思うくらい若々しい出で立ちである。
 何気なく彼女を見つめていると、ふと目が合っている事に気づき、僕は徐に視線を外した。
「正の母で眞由美と申します。息子がいつもお世話になっております。」
 声が聞こえたので視線を起こしてみると、彼女は僕に深々と頭を下げていた。
「あ、岡田です。今日はよろしくお願いします…。」
 合わせるように深々と頭を下げたがその行為はどこか照れ隠しの様にも思え、我ながら驚いていた。何故メンバーの親である女性にこんなに胸躍らせている自分がいるのか訳が分からなかった。
「よし、そろそろ出発する事にしよう。眞由美さん、よろしくお願いします!」
 智さんの声が上がり、止まっていた時計が動き出した様に辺りは慌しく動き始めた。
「はい、分かりましたわ。」
 眞由美さんの言葉を合図にメンバー達はぞろぞろと車に乗り込み始め、僕を最後に扉が閉められた。所謂自動ドアである。
「出発しますわよ?」
 眞由美さんの声は夏の暑い日差しには似合わないほど柔らかで、その声を車のエンジン音が掻き消し、徐々に景色が変わり始めた。
 僕達の最初で最後の夏の一日の始まりである。


 皆、緊張のせいなのかヤケにテンションが高く、四方八方から言葉が飛び交う状態でライブ会場である松山サロンキティまであっという間にたどり着いた。
 建物の前に車を横付けしてもらい、各自機材を素早く取り出すと、皆は頭上にでかでかと存在しているサロンキティの看板を圧倒されているように見入っていた。
 それぞれ様々な想いが交差しているのだろう。暫くはその場に立ち尽くし、決意を心に刻み込む。そして皆それぞれの目を見合わせて一つだけ頷き、建物の中に吸い込まれていった。
 入口を入るとすぐ右側に受付台があり、正面には見渡す限り真っ黒な壁に包まれていた空間が広がっていた。多少、人がごった返しても問題ない広さだと思うのだが、その壁紙の色のせいなのか、混沌とした雰囲気がヒリヒリと肌に伝わってきているせいなのか、そこまでの広さを一切感じさせない。 
 テーブルも椅子も無く、窓もないのでとにかく暗い。今は入口から入る光が空間を映し出しているからなんとか見えるのだが、もし扉を閉めるとどのようになるのか…。想像すると何故か鳥肌が立った。
 その奥にある大きな扉の前に、中肉中背で背広姿のサラリーマン風の男とヒョロっとした体格に白TシャツとGパンというラフな格好をした男が二人立っていて、僕達の姿を確認すると微笑みながら近づいてきた。
 なんだかアンバランスな二人を何食わぬ顔をして眺めていたのだが、いきなり智さんが深々と頭を下げだしたので、思わず他のメンバーも合わせるように頭を下げた。
 背広姿の男と智さんが握手を交わし、僕達の方に顔を向けた。
「こちらがサロンキティさんの総支配人である松平さんだ。」
 背広姿の男が僕達に軽く頭を下げた。
「そしてそちらが今日のイベントのチーフマネージャーである石川さんだ。」
 ラフな格好の男がヘラヘラと笑いながら軽く手を上げた。そして智さんは僕達から背を向けた。
「私含め、ここにいる全五人がZEAL BANDでございます。今日は精一杯ステージに打ち込むべく、毎日練習を重ねて参りました。どうかよろしくお願い致しますっ!!!」
「よろしくお願いしまぁぁぁすっっ!!!」
 智さんの声に続き、他のメンバーは声を張り上げながらもう一度頭を下げた。
 智さんのライブに対しての熱意を心で受け取れた結果であろう。皆、口と体が勝手に動いていた。
 その姿を満足そうに見つめながら松平は何度も頷いていた。
「はっはっはっ!威勢がいいのはいいバンドの証拠だよ!先ほどご紹介に預かりましたこのライブハウスの総支配人である松平です。君たちのライブは初めて拝見させてもらうけど、きっといいものだろうと思う。期待しているよ!」
 智さんが恐縮そうに頭を下げていた。そんな彼の姿を今まで見た事ないメンバーはどうしていいか分からず、ただ息を呑むばかりである。
 僕達の姿を見て何を思ったのか、石川は満面の笑みで僕達に声を掛けた。
「まあ、そう固くならずにリラックスしなきゃ!僕は今日のイベントを取り仕切っている石川だよ。君達みたいなフレッシュなバンドマン達が今日のイベントに参加しているよ。緊張せずにいいライブを見せてくれ!」
 一見、そこいらに座っていそうな兄さんだが、やはり締めるところは締めるらしい。人は外見で判断してはいけないというのはこの事だ。
 終始微笑んでいる石川の横で何故か意地悪そうに薄笑う松平。
「こんな感じで彼は君達をしなりと観察しているんだよ。君達には教えておくが、石川君がこのイベントの審査基準の根源を占めていると言っても過言ではない。言わば彼に逆らったバンドは真っ先に落とされるという事だ。心するように!」
 何だか楽しそうに頷きながら石川の肩をポンと叩くと、彼ははっきりと迷惑そうな顔をして松平を見つめていた。
「また…。松平さん…。」
 相変わらず意地悪そうな表情を浮かべる松平に石川はそれ以上の言葉を投げかけようとしない。
 その言葉を聞いてからトースとイータダは俯き縮こまってしまい、大ちゃんと智さんでさえ態度には現してはないものの、表情は極めて硬いものとなってしまっている。
「はっはっはっ。まあ、とにかく今日は頑張るように!石川君、彼らを楽屋まで案内して。」
 意地悪そうな顔のまま松平は言い放ち、背中を向けて奥の扉の中に消えていった。
「松平さん、全バンドにこんな事言ってバンドマンの反応を見て楽しんでいるだけなんだよ。確かに態度も審査基準には入るけど、ちゃんと公平な審査の元で行われるから安心してな。じゃあ、こっちへ…。」
 困った顔をして優しそうに言うと、僕達を楽屋まで先導した。
 奥にある大きな扉を抜けると、少し離れた処にもう一つ扉があり、眩い光が見えた事からそこが会場だと理解した。
 その通路の途中に扉があり、開く頭上高く聳える螺旋階段が現れた。石川は無言で手を差し伸べ、僕達を誘導しながら上がると、そこに広いフロアが現れた。
 下のフロアと対照的に壁紙は白く、やけに窓と鏡が多い。そんな中でバンドマン達が個別に寄りあえるボックス席が約五席ほどあった。
 そして、その席には出演するバンドマンと思われる奴らが当たり前の様な顔をして陣取っていて、只ならぬ雰囲気を醸し出している。
 とりあえず石川は残り一つ空いている一番窓際のボックス席に先導し、智さんと何やらやり取りを交わしてその場を去った。
 ライブハウス側の気遣いか椅子はヤケにふかふかで、それを囲むようにガラスで作られた机がある。とりあえず皆はそれぞれの荷物を一か所にまとめて、奥に詰めるようにして椅子に座った。
 智さんは石川から渡された書類を机に順々に並べ、何かを確認する様にメンバー達の顔をゆっくりと見つめながら一つ頷いた。
「遂に戦場へと潜入した訳だが、とりあえず石川さんから渡されたこの書類に目を通してほしい。」
 その書類は三枚程あって、一枚はメンバーの名前と住所が書かれた一覧表をコピーされている紙と、また一枚にはステージの上の画なのだろうか?その上にはステージング表と書かれてあり、その下には何やら書きこまなければならないと思われる空欄の上にセットリストと書かれていた。
 そして最後の一枚はライブハウス内でのルールやステージ上での禁止事項等が書かれてあり、軽く目を通すと、どこにでも書かれてあるような一般的な注意事項そのものだと思った。
 何だか鬱々しい気分に苛まれ、読むのを止めて隣に座るトースへと手渡した。真剣に書類を眺めているトースを横目に、敵対しているバンドのメンバーの様子を密かに窺う事にした。
 通路を挟んで僕達のボックスの隣に座るバンドは何だか爽やかそうな感じの四人組の男性達で、メンバー内で何気ない雑談をしているのだろうか?テーブルに清涼飲料水とお菓子の袋を並べて、和気藹々とした雰囲気を醸し出している。何となく誰にでも愛されそうな曲を演奏しているのだと自然と思える程である。
 その後ろのボックスに座っているバンドは、メンバー全員が女性で構成されている五人組のバンドらしい。皆金髪でメイクばっちり決め込んだ、所謂ギャルバンドというやつなのだろうか…。
 とりあえずこんな感じの女性どもはうちの街には少なくともいないせいか、まるでヤンバルクイナを真近で見たかのように眺めてしまった。
 すると僕の視線に気がつき、睨みを利かせてきたので思わず視線を逸らしてしまった。『君子危うきに近寄らず』とはまさにこの事である。
 そして僕達の後ろ側のボックスに座っている連中は、五人いるメンバー全員が黒服黒髪ロングで統一されていて、ふてぶてしく足と腕を組み、目を瞑り、無言で俯いているだけだった。
 まるで静けさを身に纏い、誰しも近づかせないと鋭い刃を辺り一面に突きつけている感じから多分ダークなビジュアルバンドだと特定できた。
 そんなに気取っていてよく疲れないものだと心の中で労いの念を向けた。
 その後ろにある席は、荷物は置いてあるものの誰もおらず、テーブル端に『予約席、AMD』と書かれた札が置かれていた。
「智さん。」
「どうした?」
 書類はメンバー全員に行き届いたようで、智さんは先ほどの何だかよく分からなかった空欄に走らせているペンを止めて顔を上げた。
「あそこの荷物置いてるだけの席って何?」
 智さんは僕の指を指す方向に視線を移し、瞬時に確信したかのような面持ちで僕の方に視線を戻した。
「あそこは去年このイベントの優勝者の控えなのだよ。ライブハウスから逆ブッキングしたらしいから手厚い施しを受けているのだろう。審査基準対象ではないらしいから俺は然程気にしてはいないがね。」
 それだけ言って再び書類に目を落とし、ペンを走らせた。
 智さんはどう気にしていないかは分からないのだが、愛媛登竜門であるこのライブハウスから手厚い施しを受けているバンドがどんな曲を演奏するのか…。考えただけでも身震いする想いに包まれた。
 そして入口に一番近い席に座っているバンド(ギャルバンの後ろの席)は、何か違う意味で驚愕した。
 男性四人のバンド構成らしいのだが、メンバー全員が何故か学ラン坊主頭で、見たくれがそう思わせているだけなのか、どこかオドオドしく頼りない雰囲気なのだが、こんな場所で、しかもこのような状況なのにも関わらず、どういう訳か七並べをして遊んでいた。
 椅子を囲むテーブルの端にはテレビアニメで見たようなモビルスーツプラモデルが七並べをしているスペースの他に所狭しと並んでいた。
 以前、頼さんの部屋で見た事のあったようなデザインだった為、何のアニメなのかは直ぐに分かったと同時に、この集団は所謂アニメオタクだという事は十二分に理解できた。
 改めて観察してみると、七並べに飽きたのか次は本体のないスーパーファミコンのコントローラーを四人同時手に取り、大げさなアクションを取りながら皆、振り乱していた。
 何が面白いのかは分からないのだが、一心不乱に四人で何かと格闘している姿がどこか狂気的に思え、僕の中にも何かを植え付けられそうな感覚に囚われてしまったのでこれ以上見るのを止めた。
 気がつくと入口に石川の姿があり、何か一枚の紙を手に取り、部屋の隅々を見渡しながら声を出した。
「はい、皆さま。今日は高校生バンドフェスティバル イン 松山へ参加頂き、誠にありがとうございます。先ほどご紹介に預かりました石川と申します。今日はどうか宜しくお願い致します。」
 そう言って石川が頭を下げると、まるでパブロフの犬のように部屋にいる全員頭を下げた。
「えー、今から順々に各バンド二十分のリハを行なっていきたいと思いますが、順番はバンド名のアルファベット順で行わせて頂き、それに伴いまして、本番もこの順番での出演とさせて頂きますのでご了承下さい。AMDさんは諸事情によりリハなしという事で、初めにEARTH HEAVENさん。」
 いきなり僕達の隣のバンドが立ちあがり、先ほどの和気藹々な雰囲気が嘘と思えるほど真剣な眼差しで辺りに一礼をして部屋を出ていった。
「はい、その次がTOM BOYさん。そしてVELVET ROOMさん、ホワイト・デヴィルさんと続きまして、最後にZEALさんという順番でさせて頂きたいと思っております。リハ間でのお待ちのバンドさんは自由時間にして貰って結構なのですが、時間厳守を必ずお守り下さい。では、今日は皆さまでいいイベントを作っていきましょう!では、後ほど…。」
 そう言うと石川もいそいそと部屋を後にした。
 EARTH HEAVENは言葉に反応したので誰なのかは分かるのだが、他のバンドさんは石川の言葉に特に反応を示さなかったので、いまいち把握できなかったのが少し残念に思えた。
 周りを見渡してみると、どうやら僕を除くバンドメンバーの様子が少しおかしい。
 皆、どこか視線が定まっておらず、イータダとトースは向かい合ってグーを出せばグーを出し、チョキを出せばチョキを出し、パーを出せばパーを出すという、リフレインじゃんけんを展開していて、良くは理解出来ないが、ここはいつものクオリティなのでいいとしよう。
 大ちゃんは溜息なのか深呼吸なのか、とにかく大きく息を吐いては吸う事を繰り返し行なっていて、何やら落ち着かない様子なのだなという事は何となく理解できた。
  そして恐る恐る智さんの方を見てみると、何故か頭を抱え深く沈んでいた。
「と、智さん…?」
 声に反応が無く、意気消沈している様子である。
 皆の様子からして何が起こっているのかさえ理解出来ない自分は恥じるべきなのか? 暫くは考えてみたのだが、やはり何も見出せない事に気づき、思う事を止めた。
 部屋内を見渡してみると自分達以外のバンドは退出したらしく、どこか閑散とした雰囲気が夏の空気と共に辺り一面漂っていた。
 時計を見てみると針は十時に差し掛かろうとしているところで、リハの時間を逆算してみても、一時間以上は自由時間という事になる。
 相変わらず周りの人達は混沌としているのだが、意識が戻った後に詳しく話を聞こうと、僕は部屋の片隅に置き去りにされたように佇む向日葵をぼんやりと見つめながら時に流される事にした。
 ふと、頭の中に眞由美さんの顔が過ったのは何故なのだろうか…。堪らず僕はきつく目を閉じた。


 暫くするとメンバー達も次々と息を吹き返していき、極めて重度であった智さんが気を確かに持った事を確認して、件の真相を確かめる事にした。
 どうやらこのイベントのトリを飾るのは自分達だと知り、アルファベット順との事だから仕方のないとは頭では理解していたものの、極度の緊張感と責任感からこのような状態に陥ってしまったのだと智さんは語った。
 大ちゃんも同じ想いだったらしく、智さんの言葉に何度も相槌を打っていた。
 イータダとトースはというと、何故か誇らしげに「退屈だったから終わらないゲームをやっていた」との事で、二人揃ってヘラヘラと笑っていた。
 そんな態度が大ちゃんの逆鱗に触れたらしく次の瞬間、彼の拳が二人の鳩尾を華麗に捉えていた。
 二人とも締まりのない笑顔のままソファへ沈み、まるで何事もなかったかのように残りの三人は机を挟み、顔を見合わせた。
バンド参加当初は大ちゃんに殴られた二人をよく心配したのだが、今となれば大丈夫な事は分かっているので、さほど心配もしなくなっていた。    
 慣れとは恐ろしいものだ。
 しかし、彼らの態度に戦慄を覚えるほどの事ではないと僕は思っていた。出番など真ん中だろうが最後だろうが演奏するには変わりはないので、寧ろそこまで思い詰める程の事なのだろうかと感じてしまったのだが、敢えてそれは伝えず二人に軽く相槌を返した。
 別に大ちゃんに殴られるのが恐かった訳ではない事を敢えて言っておこう。
 時計を見ると十時四十五分を少し廻ったところで、自分達のリハまではかなり時間があった。
 とりあえず空いている時間を食事で埋めようという話になり、大ちゃんは転がっている二人に渇を入れると、まるで爽快な目覚めを遂げた人みたいに二人とも飛び跳ねるように起き、何故か打撃を与えたはずの大ちゃんに感謝しまくっていた。もしかするとこれも新たな睡眠の形なのだろうか?なんだか頭が痛くなってきたので考えるのをやめた。
 やはり体は正直なものでどうしても空腹には耐え切れず、皆そそくさと部屋を後にした。
 階段を下りると会場と思われる部屋から、ベースやギターのランダムなうねりと、マイクチェックをしているのだろうか「ワン・ツー」と誰かの声がスピーカーから流されていた。
 それを横目に建物から外に出て空を見上げてみると、雲ひとつない紺碧の空がまるで歓迎してくれているように僕達を覗いていた。
 智さんが前へ前へと進んでいくので、皆それに流されるがまま進んでいくと、一つの交差点にぶつかり、そこを左折したその先には全国的に有名なフランチャイズのファミリーレストランがあった。
 どうやらこのレストランはハンバーグメニューが売りのお店らしく、鉄板の上で踊るように焼かれているハンバーグと野菜のポスターがでかでかと入り口の横に掲げられていて、それが空腹で仕方がない僕達にはまるで人間第五欲求全てを刺激している感覚に囚われた。
 そのポスターからいい匂いまでしてきているような気がして、なんとなくふらふらとメンバー全員が吸い寄せられていった。
 暫くはそのポスターを呆然と眺めていたが、イータダとトースがどこか不穏な面持ちでふるふると体を小刻みに震わせはじめた。
 今までの経験からして述べると、感情が限界にまで達したのだろう…。
 二人は体を屈ませて、まるでゾンビのように体を漂わせながら入り口までノロノロと進ませてドアノブに手を差し伸べ、静止した。
 やはりリーダーの許可を待ち侘びているのであろうか?ドアノブを引く気配は一向にない。二人の眼はまるで獲物を得た獣のように妙な光を宿しながらこちらの様子を伺っていた。
 智さんは何かを思い悩むように腕を組んで目を瞑り、頭を揺らしていた。
 何に悩んでいるのかは分からないがとにかく今は腹が減っている。そこには美味しいと思われる料理が待っているのに何を考える必要があるのかと、苛立ちを覚えた。
 大ちゃんもどうやら同じ事を考えているらしく、足を揺すりながら目が据わっていた。
 智さんは何かを発見したような聡明な面持ちではっきりと言った。
「皆、やっぱりここはやめよう…。」
そのまさかの言葉にメンバー達は一斉に声を荒げた。

「えええええええええええええええっ!!!!!!」

 イータダとトースはその言葉に脱力したのか、膝から崩れ落ち、両手を地面に叩きつけながら涙をこぼしていた。
 大ちゃんも例外ではない。
 やはりこのポスターの魔力に取りつかれたのか、身振り手振りと必死に智さんへと訴えかけていた。
「智さん、いくらなんでもあんまりじゃない!いいじゃんここで!何が悪いの!?」
 彼は少し困った顔で、しかし笑顔を絶やさずに言った。
「対バンするリハを控えで聞きながら食事にしたいんだ。今日は遊びに来たのではなく、戦いに来たのだという事は皆に認識して頂きたい。」
 そう言いながらポスターを一つ見て、唇をかみ締めた智さんの姿を僕は見逃さなかった。
 彼も今日の為に様々な事を犠牲にしてきたのは今までの事柄から火を見るより明らかであり、今日に掛けている志も人一倍強い。
 自分の感情を殺しながら人の感情も制さなければならないというのはかなりの精神力を要するであろう。それをやって除けている智さんに対して尊敬の念と同時に胸が熱くなった。
 イータダとトースは神妙な面持ちになってはいるものの、相変わらずしくしくと泣きながらこちらへと戻ってきて、何故か大ちゃんの元へと崩れ落ちた。
 彼らの背をそっと撫でながら困った顔をした大ちゃんと視線が合った。
そして智さんの方を見ると、彼は目を合わそうとせずに相変わらず唇をかみ締めていた。
 ふと気配がして辺りを見渡してみると、次々このお店に来店された方々が僕達を囲み、眺め立っていた。
 どこか迷惑そうに、しかし心配そうに無言で立ち尽くしている姿から全ての内容を聞いていたのだろう。
その中の先頭に立っていた多分三十代半ばくらいの男性が僕達に語りかけてきた。
「君ら、今日サロンキティでライブする子らなん?」
「そ、そうです。」
 突然の言葉に驚いた様子で智さんは答えた。
「僕も今日そのライブを見に来たんよ。色々話聞かせてもろたけど、君らのライブも必ず見るけん、頑張ってな。」
 その言葉にイータダとトースも正気を取り戻したのか、ただ単にバンドマンを気取りたいだけなのか、背筋を伸ばし、聡明な面持ちで男性の方を見つめていた。  
場面により変わる態度と表情がどこか浅はかに思い、正直気持ち悪いと思ったのだが、場が場でありそんな事を言える筈もない。
「は、はい!頑張ります!失礼致しました!!」
 智さんは場の空気を読んでか、焦った様子で頭を下げて僕達の背を叩くようにその場を立ち去った。


「あー。びっくりしたよ…」
 智さんは胸を撫で下ろしながら言った。
 今までは何気なくバンドの雰囲気に浸かっていたから分からなかったのだが、人前に出る立場である僕達が私情を周りに見せるのはタブーである事が件の出来事で極めて認識できた。
 結局、食事はお弁当という事で、ファミリーレストランから然程離れてはいない所にある我が街でもお馴染みのコンビニエンスで購入する事にした。
 すたすたと先導する智さんは松山の地理に長けているらしい。僕自身はこの街に来た事なんて指折り数えるくらいで、どこか羨ましく思えた。
 イータダとトースは先程の騒ぎなんてなかったかのように珍しく大ちゃんを含めての三人で和気藹々と会話を弾ませながら歩いていた。
 夏の日差しも優しく僕達へと降り注いでいて、どことなく安息に包まれていた。
 しばらくするとコンビニエンスに辿り着き眺めると、佇まいも我が街に在るものと一緒で、強いて言うなれば広い駐車場がないという事だろうか?中に入ってみると陳列も同じで、お弁当コーナーもまったく同じなラインナップで多分全国各地同じなのだろうと知り、何となく安堵感に包まれた。
 お馴染みの店、お弁当という事もあり、皆は迷わずいつも買っていると思われるお弁当と飲料水を手に取りレジへと並んだ。
 次々と店を後にして、全員が揃う事を確認してメンバーはサロンキティへの道を戻っていく。
 先程のファミリーレストランで生じた傷が深かったのか、はたまたただの食いしん坊な集団なだけなのか、メンバー全員が道中にて歩き食いする為の食べ物を同時に袋から取り出し口に運ぶと同時に互いに目が合った。
 そして徐に一口噛み締めて、もう一度互いに目を合わすと同時に爆発的な笑いが起こった。

「あーっはっはっはっは!!!」
「あーっはっは!いや、愉快だ!!」
「智さんだってやっぱ腹減っとったんやんかっ!!はははは!!」
「ほんまじゃ!!あーっはっはっは!!」
「そりゃ、あんなん見たらさすがの智さんもたまらんわな!!あーっはっはっはっは!!」

 笑い声はまるで地元まで聞こえているような気がした。
 それぞれ、食べ物を頬張りながら戦場へと戻っていく。束の間の安息が夏の暑さと戦慄を忘れさせていた。
 僕は何気なく後ろを振り向くと、先程揉め事があったファミリーレストランが陽炎に翻弄されているように揺れていた。
 そこにはもうあの人だかりはなく、まるで何も起こっていなかったかのように、夏の風が当たり前に吹き抜けていた。
 温い風が僕の頬をなぞり、焼けたアスファルトの匂いがヤケに鼻につくと同時に、それが現実へと引き戻した。
 ゆっくりと前を見て、僕はメンバーの群れへと帰っていった。

第九章 当日の朝 おしまい  第十章 当日・本番までに続く

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