この日、この時、この場所で。

 様々な出来事があり、行き過ぎてまるで一周してスタート地点になっているそんな気分の中、こうキーボードを叩いている今。

 こんばんは、岡崎モユルです。

 思ってみれば、何故このような行動に出てしまったのか。自分らしくなく、愚かしい感情に支配されていたなと思い返す時は誰でもあると思う。

 若い時なんて後先の事考えず行動し、もたらされた現実を突きつけられて後悔しながら時を刻み大人への道を進んでいき、そして何時しか感情が素として無となり、何もできず時間を摩耗するだけの時を過ごす事となる。

 多分これがここ数十年前から今に至る大人の階段というセオリーなのだろうか。。。

 まあ、バカバカしい話である。

 私は今、こうして昔から憧れていた東京という街にこの歳にして住めるようになり、その機会を与えてくださった今私に関わる全ての方達に感謝してもし尽せぬ想いをこの胸に馳せて生きている。

 この街の事も割とよく分かったつもりで、個人的に出会った方達とも可もなく不可もなく、時折妙な出来事にも出くわしながら過ごしてきた訳なのだが、今言える事はただ一つ。

 私はこの街が好きだ。

 ここへと自分の運命を運んできてくれた方達も大好きで、多少誤解や語弊もあるが、この街で出会った方達にも感謝しなければならない。

 しかしながら、別にここが私の死に場所ではなく、きっとターニングポイントの一瞬なのだろうと感覚している。

 昨日の雨音の中で、柄になくに学生終了後の大阪時代からこの東京に住む今に至るまでの記憶の振り返りを珍しく行ってみた。

 思えば遠くへ来たもんだ。ではなく、様々な場所や人が私の隣を過ぎ去っては消えていった。

 高校時代の恋敵。バンド仲間。海で突如現れた変態。酒で飲み、商店街でバカ騒ぎしてくれた奴ら。ゴミくず扱いして出ていった奴。涙化粧で頬を貼ってくれたくれた奴。仕事で出会った仲間達、愛すべき上司。その他諸々。

 振り返れば暗く細いトンネルの道筋を見ているようで、そこには何もなく可もなく不可もない。もうそこには帰れないし、変えられないからこう表現するしかできない。

 しかし、前を見ると路は広く眩い光りがそこにある。眩すぎて何かは分からないが、何かがあるとだけ感じられればそれでいいと思う。

 だからこそ先に進むしか考えなくてはならず、迷う事も悲しむ事もこれから先の方が多いのだろう。

 昔、私がライブのMCで言った、「今ここにある事はすべて吐き出せ、思い残すことは、すべて吐き出せ」の様な無責任な事は、この歳にはもう言えない。

 それは多分自分が少し卑屈になっているのだろう。自覚しているからにやりと苦笑いしてしまうのは否めないのだが、胸の高鳴りに逆らわないという素直さがまだこの胸に残っているという事だけは信じたい。

 悲しみに暮れている場合ではなく、今は足元を見つめながら試行錯誤してほくそ笑むくらいが丁度いいのかもしれない。

 

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