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履物の原型8種とその歴史④クロッグ

ホモサピエンスが直立二足歩行を獲得したおかげで世界で大繁栄を収めている履物たち。その歴史や特性を考える事は未来の履物を考えることに役立つかもしれません。そこで数多ある履物の原型を8種と仮定し、その歴史について、個人的な省察を主目的に情報をまとめてみたいと思います。

1.モカシン
2.サンダル
3.ブーツ
4.クロッグ ←今回はここ
5.パンプス
6.ミュール
7.オックスフォード
8.モンクストラップ
番外編(予定)


4.クロッグ
(木製の厚底ソール)


定義

クロッグもまた面白い履物ですが、定義が曖昧です。「エロチックな足」では厚底であるということをクロッグの特徴としており、高さを付与して性的魅力を高めるものはクロッグだ!と(だいぶ雑に)書いてあり日本の花魁下駄もここに含めてます。

まずはクロッグを辞書で引いてみましょう。すると「木靴、重りの木」と出ます。これはヨーロッパの農民が履いてたものと同義。

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国立民俗学博物館にて筆者撮影。木靴の製作過程。一番右が完成品です。藁が敷かれてるのに注目されたし。

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Google先生だと下駄と訳された。結構攻めてんな〜


という事でここではクロッグを「木製の(木製であるが故に)厚めな底を持つ履物全般」としてみたいと思います。上記の製作過程の写真のように木製だと彫刻のように削る工程が入りますし、削り過ぎると脆くなるので革のように薄く出来ません。材料と製法の特性で必然的に厚底になったのだと思います。下駄もそうですが、木材は手には入りやすく加工性に優れる利点があるものの、革や藁などのように食料の二次産物ではなく、小さくもなく手軽に扱える素材ではありません。個人で使用するだけなら各家庭で作製できたと思いますが、量産するには工房と職人が必要です。実際、革靴工だけでなく木靴工のギルドは別にあったようです。木靴職人の様子を描いた絵などはいくつか残ってますね。専用器具使ってゴリゴリ木を削ってます。


発生と歴史


木靴は西洋/東洋ともに古くから庶民の労働用の履物として広く利用されていたようです。木材自体は手軽に手に入れやすいうえ、防水性があり熱伝導率が低いことから、湿地帯での仕事に最適だったもよう。水田や泥地での農耕というとまさに稲作ですね。日本だと登呂遺跡(AD1世紀)から田下駄が出土しています。

さて、古代世界で見ていくと、クロッグの資料は西欧では実はあまり見られません。自分がいろいろ見た中だと、BC3世紀に始皇帝の兵馬俑で四角いクツを履いた人形が確認できます。四角い形状ってのがポイントで、革製だとそんな形になりませんよね。と言うことでおそらくこれは木製ではなかったかというのが個人的な推測です。漢(前200〜200あたり)の時代には儀礼的な用途で木鞋が使われてたようですし、3世紀の後漢には簡素な鼻緒式木靴は庶民の中でも履かれてたもよう。曹操や関羽はクロッグを履いていた…?

ということで世界的に見ると、木製民具としてのクロッグの発生は少なくとも紀元前3世紀以前、とかなり昔に遡って良さそうです。民具として活用されていたとするならば、もっと前からもありそうですけどね。ただ遊牧民族由来ではなく、稲作定住文化から発生した履物のように思えます。足の動きに追従しないから、運動性能はかなり低いのです。



ヨーロッパのクロッグ


木靴といえばオランダのイメージが強いですね。あとは低湿地帯が多くて木も豊富にあるベルギー、ルクセンブルク(ベネルクス3国)で特に親しまれていたようです。ポプラが加工性が良くて好まれていたそう。ちなみにオランダの木靴はklomp(クロンプ)という名前で、clog(クロッグ)はイギリス英語のようです。

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「靴のラビリンス」(1992) INAX BOOKLET



オランダの木靴「klomp」。下駄のような2枚歯を持っています。他にも木靴はヨーロッパの各地や、トルコやインド、中国…などの中近東〜アジア諸国でも広く見られます。その国々で呼び方が変わってていろんな形があって見てて楽しい。
改めて調べたらめちゃくちゃいっぱいあったので、ここで列記してみたいと思います。

オランダ…klomp
イギリス…english clog
フランス、ベルギー…sabot
スイス…zoggeli
イタリア…zoccoro
デンマーク、スウェーデン…trasko
ポルトガル…tamanco
スペイン…Cantabrian albarcas

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「靴のラビリンス」(1992) INAX BOOKLET

イギリスの「clog」の一種。耐久性を高めるために蹄鉄が着いている。泥炭地の炭鉱で履かれてたものらしい。外観は先尖りのプーレーヌや17世紀のミュールっぽさがあり、当時の流行を反映してることが伺えます。今でいうスニーカーショップで売られてたんでしょうね。

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スウェーデンの木靴。北欧といえば林業ですが、この脚まで保護する革や甲全体を分厚く覆う構造と関係があるのかも。言うなればブーツ系クロッグですね。

ベルギーのブルージュ民俗博物館にて。
筆者撮影

これはベルギー旅行した時にふらっと立ち寄った博物館で発見した現地のクロッグです。労働者が木靴を履いてる写真や、木靴の製作工房の復元もあってかなり力が入ってた。とても小さな博物館でしたが濃密で楽しかった…いつか再訪したい…


こんな感じで民具としてのクロッグは労働者階級ってイメージが思いっきりついていました。1789年のフランス革命では、労働者階級である下層民の服装の典型としてサボ(フランスの木靴)が履かれてる絵があるようです。自嘲も含めて、田舎育ちや貧民だったりの象徴でもあったのですね。


アジア〜中近東のクロッグ

トルコ…takunya
シリア…kapkap
インド…paduka
インドネシア…bakjak
フィリピン…bakya
マレーシア…terompah
朝鮮…ナマクシン
中国…木鞋
日本…木鞋、下駄

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Linda O’Keeffe(1996) 「SHOES」p.368

シリアのKAPKAP。歩くとカプカプと音が鳴るからカプカプらしい。日本のポックリ下駄と同じネーミングセンス。


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「靴のラビリンス」(1992) INAX BOOKLET

トルコのtakunya。オスマン帝国の皇帝が履いてたとされ、かなりの装飾が施されてます。後述のベネチアなどにも伝わっていったのかもですね。しかし前述の無骨な民具の木靴たちとは全く別物というイメージです。


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「靴のラビリンス」(1992) INAX BOOKLET

朝鮮のナマクシン。雨の日に履いたとされてます。土台の歯の形がハの字で独特です。アジア系のクロッグは日本の下駄に通じるところが多く見られます。



アジア圏でも民具としてだったり儀礼的用途だったりと広くクロッグが分布しています。前述のように中国では漢の時代(紀元前200頃)からあったようで、遣唐使経由で日本にも入ってきて、正倉院に木靴が収められてたりしてたはずです。

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「木履」の表記みっけー!
10世紀に編纂された百科事典に記載があります。このほかにも糸鞋、麻鞋、布鞋、錦鞋、単皮、鼻高鞋などいろんな履物が大陸から日本に入ってきました。

源順(931-938)「二十巻本和名類聚抄」
国立国語研究所 日本語史研究用テキストデータ集
https://www2.ninjal.ac.jp/textdb_dataset/kwrs/kwrs-012.html

と、世界のクロッグをいろいろ見てきたので、いよいよ日本が世界に誇るクロッグについても見ていきましょう。


日本のクロッグ「下駄」

お仕事用の田下駄

下駄は言わずと知れた日本の履物の代名詞。ただ下駄を語る前に、その元になる最も歴史の古い木製民具「田下駄」に触れておきます。

田下駄は前述の通り弥生時代の稲作伝来伴い発生。ぬかるみに足を取られないようにだったり、翌年の田を肥やすべく収穫後の稲を踏み鳴らすために使ったりしたそうです。

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現在の田下駄。もとは狩猟採集時代にあったカンジキがその原型。ナンバ、ナーバ(苗場)、オーアシ(大足)など地域によっても呼び名もいろいろ。弥生時代の遺跡からも発見されている日本のクロッグの原型。
潮田鉄雄(1973)「ものと人間文化史8 はきもの」p.100
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浜下駄なんていう激アツものもある。漁師が炎天下の塩田や砂浜で作業するのに足裏を熱から守るために保護目的で履かれたらしい。江戸期のもの。

潮田鉄雄(1973)「ものと人間文化史8 はきもの」p.130


普段履きの下駄へ

田下駄は主に仕事の時のみに使う特殊用途の履物でしたが、下駄は日常で使われていきます。
おもに家の中の水場や台所、雨の日など足元がぬかるんだり汚れたりした時に履いてたみたい。ただ下駄は底が硬いので歩きやすいものでもなかったでしょうから、大体は草鞋がメインの普段履きだったと思います。

※8世紀初頭の大宝律令や養老律令では衣服についても定められており、上流階級はクツ、下層階級は草鞋と決められたともあるそう。その後の平安時代以降の絵巻物には草鞋や草履が描かれてきます。

下駄が庶民の普段履きとして広まっていくのは江戸時代。台が木製の底が平らな下駄(駒下駄)は足触りが良くなかったけど、江戸末期に出現した丸鉋によって台を削ることで足裏にフィットする下駄(右近、芝カン(習元)?)が生まれ、需要が高まったとのことらしいです。更には人気役者が履いてたりして流行したんだとか。
てことで「日常履き」になったのは意外と最近の江戸末期でした。もっと前から日常履きになってるかと思いきや意外も意外。工具や工法が文化作る良い例だと思います。
フィット性を高めたり、インフルエンサーに履かせたりと、いまのマーケティングやデザインと似てるとこもすごくありますね。

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溪斎英泉「江戸八景 吉原の夜雨」(1843〜47)

江戸末期の浮世絵。太田記念美術館さんのnoteより拝借しました。雨の日に高下駄を履いてる様子がわかりますね。駕籠の人は草履で走ってる。でも急な夕立とかだと草履が痛んでしまうので、脱いで手に持って裸足になってたりもしたようです。
晴れの日は草履、雨の日は下駄って感じだったのかも。草履なら走ったり出来るし、屈曲するので歩きやすいからね。


クソまみれの世界の中心で愛を支えたはきもの(パトン)

このようにクロッグは非常に実用的な側面から生まれてきた履物です。基本的には水場や雨の日などに足を汚れから守る役割をしてるといった感じ。さて、「汚れ」と言えばみなさん人間が生きてく上での大事な生理現象をお忘れではありませんか?💩💩💩

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旧河本家本「紙本着色餓鬼草子」第3段「食糞餓鬼図」12世紀ごろ制作

うんこー!うんこー!

みんなで盛大にうんこしてる有名な絵ですね。餓鬼たちがお腹をすかせてるのもかわいいですが、ここでは足元に注目。おじいちゃんもお姉さんもおばあちゃんも子供も、みんな高下駄を履いてうんこしてます。
当時は街中にトイレなんて存在してないので、こんなことになってしまってます。そりゃ直接足を地面に付けたくないよね…そこでクロッグ(高下駄)の登場というわけです。

こんなクソまみれの世界は日本だけじゃありません。下水道は古代都市にもあったようですが、パリに下水道が初めてできたのは14世紀。ですが本格的な設置には至らず、排泄物は街路に放置だったようです。ペストとかコレラとか伝染病が流行るわけだ。19世紀の産業革命あたりから生活排水が問題になり下水道が整備されたようなので、意外と最近だなあというのにしみじみします。さて、そんなうんこまみれの大都市がある中世ヨーロッパでは貴族階級による支配の時代でした。「Patten(パトン)」は、そんな時代を代表する履物。当時の悪路や汚物から、足や室内履きを守るためのものでした。

民具のパトン。
こちらは金具の輪っかが台座に。水場や汚物から足や履物を守るためのもの。
「靴のラビリンス」(1992) INAX BOOKLET


「アルノルフィーニ夫妻像」(1434)
ヤン・ファン・エイク

北方ルネサンスの祖、恐るべき描写力の持ち主ヤンファンエイクの名作です。様々なキリスト教的諸要素が詰め込まれているこの絵ですが、ぜひ左下にご注目。

なんと室外履きの履物が転がってます!この異様に先が尖った形状…間違いなく14世紀に大流行したプーレーヌに対応するクロッグ(=パトン)でしょう。いや〜素敵。履物に沿って形作られており興味深いです。


ABsolute LONDON 「革靴の聖地ノーザンプトンで、靴の歴史を知る」2019.04.07 より抜粋
https://www.absolute-london.co.uk/blog/25326


なんと実物があるようです。ロンドン1865開館のノーザンプトン・ミュージアム・アート・ギャラリーからの写真。ここには15,000足も靴が収蔵されてるらしいですね。絵画の中のものと完全に一致。一度拝んでみたいもんだ。


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18世紀貴族階級のパトン。
いわゆるオーバーシューズ。パンプスと合体し、甲部分で紐で結ばれてます。
Linda O’Keeffe(1996) 「SHOES」


ブーツの回でも触れましたが、ルイ14世以降のフランス絶対王政時代(17-18世紀)は王権強化に伴い宮廷でサロンが発達し、そこでセンスや教養をアピールするのが重要になり、ファッションの中心になっていきました。そこで室内履きも装飾性を高めるものになり、高価な素材やレース編みが使われてきます。誰だってそんな高価な履物をうんこまみれにしたくはありません。とりわけ宮廷文化全盛期では履物にかける金額もとんでもなかったでしょうから、パトンはヒールやミュールとセット購入が必要だったのでしょうね。


より高く、より美しく(チョピン)

クロッグの実用的な側面としては、このように足を汚れから守るというものがありました。農作業での田下駄や民具としてのクロッグがその原型です。そんな実用的・庶民的側面が強い履物ですが、15〜16世紀に面白い形状の履物が生まれます。しかも民具的側面とは全く別の文脈から。

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Linda O’Keeffe(1996) 「SHOES」


驚くなかれ、これが名高い「チョピン」というベネチア生まれの履物。下のやつはなんと高さ20インチ(50cm!)もあるそう。しかし木製の台座がレザーやベルベットなどで飾られていて優美です。もはやこの履物に実用性の面影は微塵も見られません。明らかに民具から離れている。これをクロッグの回で紹介するのは適してるのか分かりませんが、冒頭に定義した「木製の(木製であるが故に)厚めな底を持つ履物全般」という面からここで紹介することにしました。

世界史を見てみると、ベネチアは11世紀以降の十字軍遠征の軍事的な中継ポイントにあったため、ジェノバと共にライジングした一大軍港都市の1つです。1202-1204年の第4回十字軍では、ベネチアでの滞在金を払えない十字軍が、ベネチアの意向により本来攻めるべきオスマン帝国を攻めず、逆にキリスト教圏で最重要拠点であるコンスタンティノープルを陥落させる…という本末転倒な状況も生み出してるほど強大な影響力を持つようになっていました。

そんなベネチア、当然様々な高官が立ち寄ったはず。そうなると関係性構築のために夜の交流も始まり、着飾って自分をアピールする必要が出てくる。まるでフランスの宮廷のようですね。そんな政治的背景に加えて、オスマン帝国文化圏から入ってくる様々な異国文化(前述のtakunyaなど)が混在することで、このような突飛な形態の履物であるチョピンが発生してきたのではないかと思われます。完全に想像ですけどね。
でも、そうでもしないとこんな変な履物、通常の人間の思考からは生まれてこないんじゃないかと思います。

(※追記:どうやらトルコ経由だったみたい。予想当たり!!)

しかし当然ながら歩くのはマジでハードモードで、両脇から支えてもらわなかったら歩けなかったと書いてあります。やばすぎるw
でも、それこそが富裕層である証明であり、歩けない履物を履いていること自体が、労働から離れたところにいる階級なのよワタシ!という象徴だったようです。このへんは纏足とも似ている。ベネチアの娼婦間でも大流行したそうで、コケて流産しちゃった人もいたことから1430年に禁止令が出ましたが、人の欲望はそんな事で消えるはずもなく。変わらず大人気だったみたいです。


Linda O’Keeffe(1996) 「SHOES」p.361

これは17世紀初頭?のイタリアのzoccoloという高台クロッグ。確実にチョピンの系譜を受け継いでます。アッパーには16世紀の流行であったスリットが入ってます。


「ウルビーノのヴィーナス」(1538)
ティツィアーノ・ヴェリッチオ

ティツィアーノが描いたこの官能的ヴィーナスのモデルであった娼婦も、チョピンを履いていたのではと思います。ちゃんとチョピンが描かれた絵画はあまり残ってないので残念ですね。

この時代以降チョピンはめっきり見なくなりました。非実用的なものは定着もしないので、一時的な流行で終わる宿命だったんでしょうが、高さへの希求という点では、後の時代のルイヒールの登場から現在のハイヒールに至るまで、脈々と系譜が受け継がれていっているのだと思います。背を高くしてスマートに見せるために、より高い履物を履くようになる…現代でもシークレットシューズなんてのもありますし、背を高く見せたいという欲望はどの時代にも共通のものなのでしょう。




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「靴のラビリンス」(1992) INAX BOOKLET

チョピンまでとはいかないですが、日本の花魁下駄こと三ッ歯の下駄は高下駄の一種ですね。チョピンと同じような分脈かもですが、こっちは花魁道中で目立たせるという役割も背景にあったはずです。(って書いてあったわ…)

現代のクロッグ

かなり多様な形状にわたって愛されてきたクロッグ。厚底シューズはクロッグに含まれるのかもしれませんが、現代の代表的なクロッグといえばこの2つかなあと。

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BIRKENSTOCK “Boston”
https://www.birkenstock.com/jp

18世紀末にドイツで生まれたビルケンシュトック。足の縦アーチ/横アーチを保持するフットベッドと、オブリーク型のトウ形状がブランドアイコンにもなってる歴史あるブランドですね。まさに足病医学をまんま反映したフットウェアという印象で好感度が高いです。
ボストンやロンドンなどのクロッグタイプが有名。フットベッドはコルクが使われてるものもあり、発泡製法が無かった19〜20世紀初頭においては極上の履き心地を誇ったフットウェアだったでしょう。コルク=多孔質=スポンジですから。

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crocs “Classic Clog”
https://www.crocs.co.jp/

もはや見ない時がないくらい広まりまくったクロックス。もう名前からしてクロッグです。あまり高いブランドイメージではないですが非常に安価なのであらゆる人が履いており、かなり繁栄に成功した履物と言えるでしょう。
安価を実現できるのはインジェクション製法で一体成型でき、組み立て(アセンブリ)工程がほぼ必要ないから。数量が万単位で出るものだとインジェクションは良いメリットがあります。クロックスのインジェクションフォームはかなり柔らかで足あたりが非常に気持ちいいのも魅力のひとつ。まあそのぶん歩く疲れやすくなるし、耐久性も落ちますが…でもこのコストパフォーマンスは十分すぎるほど賞賛に値すると思います。

もはや都市生活で汚れに接することはほぼ無くなり、オックスフォードが大繁栄する現代。労働のアイコンとされた民具としてのクロッグは、今も生き続け愛され続けていますが、他のカテゴリーに比べるとだいぶ数は少ない印象です。

これからのクロッグ: 木と向き合い、木と生きる

古今東西いろんなクロッグを見てきました。今回改めていろいろ文献を読み返すと新しい発見がわんさかあり、その発生と歴史にはかなり感慨深いものがありました。
汚れからの脱却と高さへの希求…今となっては我々にとって当たり前になったものですが、それをもたらしてくれた履物こそが、案外クロッグであったのかもしれません。

つまるところクロッグとは木という素材を通して人間を顕にしてくれる存在でもありました。
未来のクロッグが出てくるとしたら、それは人間が1個体として改めて「木」と向き合い、量産とは対極にある、家具のようなクラフト的履物を作るようになった時なのかも?しれません。

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Jan Jansen (1969)  “Woody” 
オランダ出身のレジェンドデザイナーによるクロッグの再解釈。まるでミッドセンチュリーの椅子のよう。


次回はパンプス!🥿

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