第23回哲学カフェ活動報告 テーマ:「芸術」とは?

○日時:2022年11月26日(土)13:00~14:00

○場所:「Cafe伊太利庵堺東店」

○参加者
淡野(40代男性)
Mさん(20代男性)
Tさん(30代男性)
ウルフさん(50代男性)

○テーマ:「芸術」とは?
●「芸術」を巡る議論
・古代において、「芸術」を巡る議論はプラトン「国家」の詩人追放論が典型です。「イデア」を分有する個々の「事物」は「イデアの模倣」であり、「芸術作品」は「事物の模倣」という意味で、「二重の模倣」であるが故に、人を真理から遠ざけるものであるという考え方です。・一方で、ホメロスの叙事詩に代表される「神の賜物」として詩人に与えられる霊感は真理を直観するものとして称揚します。この「芸術」への両面的評価というか態度は、その後の芸術を巡る哲学的議論で何度も繰り返される問題です。

・また、古代から中世にかけて、「真・善・美」は一体と考えられ、感覚によって把握される美よりも、知性によって把握される美の方が上位であるというような認識枠組が優勢でした。

・近代に入って、それらの認識枠組に疑念が持たれるようになって初めて、「美・感性・芸術」を一体として論じる近代美学が成立します。そして、現代美学は近代美学への異議申し立てとして継続中ですが、私が見る限り、新たな認識枠組を確立できたとは言い難いのが現状でしょう。

・では、皆さんは「芸術」について、どのように論じてみたいでしょうか?

●「芸術」の条件
・そもそも論ですが、「作品を作る」という行為だけでは「芸術」にはならないと思います。今では「芸術作品」とされるようなものでも、当時の人々は宗教的動機や職人仕事として作ったものが沢山あると思います。

・確かに、宗教の布教目的等で絵画や彫刻、建築物が作られるのはよくある話です。では、どういう条件であれば、「芸術」と呼べるでしょうか?

・例えば、本人が「美しい」と思って作ったものであっても、別の文化圏の人から見れば、醜いものであったり、恐ろしいものであったりすることはあり得ると思います。

・その意味で、「芸術」にしろ、「美」にしろ、人類に普遍的なものと、特定の歴史や文化に基づくものとの混合ではないかと思います。

・私は「その人の生き方が形になったもの」が「芸術」だという考えです。勿論、その作品が作者にとって「美しい」のは大前提ですが、他者に「美しいもの」、あるいは「価値あるもの」と認められるかどうかは結果論ではないかと思います。

・つまり、「本人にとっての美しさ」と「他者も認める美しさ」は別という理解で良いですか?

・その通りです。むしろ、「本人にとっての美しさ」とはその本人にとっては絶対的なものだと思います。

●「美しさ」の根源性
・そこをもう少し詳しくお願いします。

・私が考える「美しさ」というのは、本人にとって「価値あるものの根源」だということです。「美しさ」のあるものだから存在を保証する、ないものは捨てたり壊したりしても構わない。人間の選択の根源は、善悪や真偽ではなく、美醜だと私は考えています。

・C・S・パースが規範学について、「論理学が倫理学に、倫理学が美学に依拠している」と主張したのと同じような考え方ですね。

・ただ、そのような「美醜」の美学を根源として、「善悪」の倫理学や「真偽」の論理学が生まれるとして、それは個人の主観にのみ基づくものでしょうか?

・私にとっては、「美しさ」とはあくまでも主観に基づくものです。これが他者に認められるようになった時は別物になってしまう儚いものだという考えです。

・私はそうは思いません。生物学的特性に基づく普遍的な「美しさ」だけでなく、歴史や文化に育まれる「美しさ」がある以上、「美しさ」は主観によるものと間主観的、あるいは社会的なものの混合だと思います。

●「作品」と「商品」
・「美しさ」にも種類があるということでしょうか?

・私は「美しさ」そのものというよりは、「制作」の動機や「作品」の価値に種類があると考えます。例えば、何かの衝動に従って制作するのと、お金や名声が欲しくて制作するのは違います。また、作品を見て何故か心が動かされるのと、高い値段がついてるから凄いと感じるのとでは違うでしょう。

・それは同じ対象が「作品」として「美しい」か、「商品」として「値段が高い」か、別の評価基準によって判断されているような気がします。

・しかし、そこを厳密に分けて考えることはできますか? むしろ、現代社会においては、「芸術の価値」ですら「金銭的価値で評価されるもの」であるのが当たり前ではないですか?

●「芸術」と「文脈」
・古代や中世において「芸術」が「宗教」と不可分だったように、現代では「芸術」が「政治」や「経済」と不可分であるということだと思います。

・確かに、「現代芸術」は政治的文脈で語られることが多い印象です。「既存体制への抵抗手段としての芸術」なんかが典型例です。

・「投資対象としての芸術作品」は経済的文脈の典型例ではないですか?

・「賄賂としての芸術作品」は、政治と経済の両方の文脈で利用される事例でしょうね。

・過去に宗教的作品として作られたものや、工芸品として作られたものが、「現代では芸術品として扱われる」というのも現代的文脈の特徴だと思います。

〇雑談
●「哲学」と「芸術」
・「自分の生き方や世界観を言語で作り上げる」という「哲学」は、典型的な芸術だと思います。

・ロマン主義等が代表ですが、「哲学」を「詩」の一種とする人たちも居ますが、皆さんはどう思いますか?

・私は「哲学」は「論理」を重視すべきと考えるので、「感性」とか「論理を超える直観」とかを「哲学」とするのは何か違う気がします。

・「哲学」は「詩」と同じ「直観」を重視する部分と、「論理」を重視する部分との混合だというのが私の立場です。

・私も「哲学」には、「芸術」というか「職人芸」的な暗黙知的な部分と、「論理」を突き詰めて明晰に言語化・概念化する形式知的な部分の混合だと思います。

○今後の方針
・次回開催予定:12月24日(土)13:00~14:00

・次回テーマ:「宗教」とは?

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