お花見 33

 お花見とは、なんと素晴らしい風習ではありませんか。そもそもは、豊作を願って、桜のもとで田の神様を迎え、感謝する行事だったそうなのです。
 その際に神様を迎えるための料理や酒をお供えし、人々もそれらを一緒にいただいたという流れだったようなのです。
 自然を愛し、自然と一体となって楽しむ、感性と心の豊かさは、日本人ならではの大切な宝であり、風習なのだと私は強く感じます。
 この日本ならではの自然を楽しみ、家族や仲間達とコミュニケーションを楽しむ素晴らしい機会なのです。日本人にとっては、折々の季節とその自然に感謝しつつ、先祖や親戚にも感謝する絶好の機会となるのです。
 日本の春といえば桜、お花見といえば桜、という認識が日本人に広がったのは、奈良時代頃からのようなのです。
 万葉集では、春の歌には桜よりも梅が用いられ、平安時代の古今和歌集になると、春を詠んだほとんどの歌に桜が登場しています。
 鎌倉時代以降の武士が主役の時代になると、それまで貴族の間で親しまれていたお花見が、武士の間にも広まっていきます。
奈良時代初めに、役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山(吉野~大峯)に修験の霊場を開き、その後、中世にかけ修験道のメッカとして隆盛をきわめました。
吉野の桜の由来は、修験道の開祖役行者が、修行によって金剛蔵王権現を祈りだした時、その姿をヤマザクラの木に刻み、お祀りしたことに始まるといわれているのです。
 また絶頂の勢力を誇っていた頃の太閤秀吉が、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将や茶人、連歌師たち総勢5千人の共そろえで訪れた「吉野の花見」も歴史的に有名な話です。
しかしながら、庶民が本格的にお花見を楽しむようになるのは徳川三代将軍家光公の時代頃からなのだそうです。「庶民に花見を楽しませる」という心持は、家光公以降の将軍にも継承され、とくに八代将軍徳川吉宗は、さらに隅田川や飛鳥山へ桜の木を植樹させました。
 そして、花見の取締りについては大目に見るように粋なお達しを出し、江戸の町民たちが心からお花見を楽しめるよう、心遣いしたそうなのです。
また、江戸時代の女性たちは、お花見が男性との出会いの場でもあったようで、お花見のために新しい着物を新調し、お花見弁当の盛り付けには工夫を凝らし、優雅にふるまうことを心がけたそうなのです。
 現代のお花見では、江戸時代の風「粋」なお花見をからに優雅に楽しむアイディアも出てきております。
例えば、目黒川でのお花見の様に、ワイン片手に散歩しながら花見をするスタイルや、ビアガーデンのような屋外テラスで豪華なフルコースを味わいながら桜を鑑賞する優雅なスタイルもあるのです。
 お花見グッズにも思考を凝らして、花ござやお洒落なシートを敷いてみたり、キャンプ用品のテーブルを活用したり、茶道の様に抹茶をたててみたり、本格的なコーヒーを作ってみるのも良いかも知れません。

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