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手術/腫瘍の正体判明

間違いなく、人生最悪の2週間を過ごしたので
手術と術後の辛い思い等を整理。
長いので目次付けてみます。


⬛︎入院〜術前(手術4日前)

 7/22(月)手術予定に対して4日前の
 7/18(木)に入院。
 検査等は終えているので、血液検査ぐらいで
 メインの目的は食事制限
 ドロドロの美味しく無いメニューが
 初手から来るので心が折れかける。

⬛︎手術前日(7/21)

 特に前日だからと言って、イベントは無い。
 ひたすら暇なので、色々考える時間が自然とできる。

 ただし、僕の場合はここまで来ても
 自分ごとに捉えられなかったので
 ひたすら映画を観て夜もぐっすり寝れた。

 ある意味いい迎え方出来たのかなと思う。
 しばらく風呂には入れないので
 しっかりシャワーを浴びるように忠告される。

⬛︎手術当日(7/22)

 予定スケジュールは以下の通り
 ・8:00 家族と面会
 ・8:30 着替え
 ・9:00 オペ室移動
 ・9:15 オペ開始
 ・15:00 オペ完了

 僕の病院では1時間前から家族との面会が出来る。
 8:30ごろまでにグダグダ手術着に着替えて
 お喋りしながら、オペ室にみんなで移動。

 オペ室は入り口が2重ゲートになっており
 家族とは1つ目のゲートで分かれることになる。

 空港の保安検査場みたいな無機質な雰囲気の
 どデカい空間がまずあって
 それぞれの先生ごとにゲートのような感じで
 オペ室が分かれている。

オペ室手前イメージ ここを自分も通る

 オペ室の手前は良くドラマである感じの手洗い場やら
 医療器具がひたすらある。
 その場で担当してくれる麻酔医と挨拶する。
 この時も「途中で起こさないでくださいね。」と冗談を
 言えるぐらいの余裕はあった。

 そしてすぐにオペ室に入れられる。
 やたらと天井が高い空間で
 色んな器具が垂れ下がっている。あと異様に広い。

 僕の場合はロボットを使った手術なので
 どデカい器具の下に手術台があり、そこに案内される。
 (ダヴィンチと言う、これまたイカつい名前が付いてるロボット)

体感的にはもっと天井が高かった
天井からぶら下がっているロボット

 手術室には医師が集中できるための
 音楽が流れている。
 「何が流れているのか確認して来い」
 と言う妻からの指令で
 一生懸命に音楽を探しました。
 結果、オルゴール調の
 Pretenderが流れてました。
 「Good Bye 大腸」と言うフレーズが頭をめぐる。

 そんなこんなで手術台に寝かされて
 最初に呼吸器を付けられます。
 麻酔は左胸のポートから入れるとの事で
 とりあえずは呼吸器で息を吸う感覚を練習。

 何も言われずに、ふと麻酔を入れられて
 だんだんと眠くなり、記憶がプッツリ。
 ここから先、覚めるまで記憶無し。

⬛︎手術直後

 この世の終わりみたいな目覚めとなる。
 間違いなく人生最悪の瞬間。
 結果としては約10時間かかり
 予定時間より大幅に超過した
 そこそこ大袈裟な手術でした。

 まず、手術室でゆっくり目が覚める。
 意味が分からないが、周りは大騒ぎしている。
 次の瞬間には以下が一気に襲ってくる。

  • 手術箇所の激痛

  • 気持ち悪さ

  • 寒気、悪寒

  • 震え

 そんな状態で身体を持ち上げて
 ベッドを移そうとしてくる狂気の医者達。
 「ちょっと待って」の声も出ず移動用のベッドに移る。

 その後、家族と会いましたが
 何も言えない・何も聞こえない状態なので
 振り絞った一言が「ぷ、ぷりてんだぁ」で
 流れていた曲名だけ嫁に伝えて
 ミッションはコンプリートしました。

 多分、家族にはこの後
 病状の状況説明していると思われます。

 その後、一晩は集中治療病棟で過ごすことになります。
 いわゆる、ICUというやつです。

 常に呼吸器から酸素濃度を監視されて
 少しでも乱れがあればモニターがピロピロなるアレが
 頭の近くに置かれている状態なので
 ドラマでよく見る入院患者を経験してきました。

 部屋につくなり、早速痛み止めを要求しました。
 起きてから5分も経ってはいないのですが
 速攻で痛みが出ました。

 ちなみに、痛み止めは常に投与してもらえるのですが
 痛みが消えると言うよりは、少しマシになるレベルで
 期待している効果は得られないので覚悟しておくべき。
 もちろんその日は痛すぎて寝れないです。 

 また、飲水もNGなので、うがいだけ看護師さんに
 手伝ってもらいながら行うことになります。
 ただし、首だけを動かして器用にやる必要あるので
 ほぼ首周りにこぼします。

 そんなこんなで、寝れない長い夜を過ごす。

⬛︎手術翌日(7/23)

 境目は分からないが、おはようの時間になる。
 相変わらず痛みが続く。と言うか激痛のままでした。

 こんな状態で午前中には自分の病棟に帰らされる。

 お腹を切っているので、呼吸・咳などの全ての所作に
 激痛を伴うわけだが、今度は自分で
 「ベッドから車椅子に移れ。」
 と言う無理難題を押し付けられます。

 介護手すりをつかみ、5分ぐらいかけてやっと
 ベッドから車椅子に移動。
 その後自分の病棟に帰ってくる。

 この日はずっと痛みの隙を観て寝ることに集中する。
 トレイは全く行きたく無い+尿管が通っているので
 そんなに心配はなかったです。

 ちなみに、手術が終わり身体に刺さっていたものは
  ・尿管
  ・お腹のドレーン
  ・右腕の点滴
  ・左手の点滴
 と、サイボーグのような管だらけ人間でした。

 この日も、痛み止めはマックス使ってもらい
 何とか誤魔化して1日を過ごすが
 やはり夜は寝れず、携帯も確認できませんでした。

⬛︎術後2日目〜3日目(7/24~25)

 なんだかんだで1番辛い期間。
 激痛続いて、身体も管だらけなのに
 いよいよ便意が再開してきてしまい
 自分でベッドから起きて
 トイレに行かなければならない。

 しかも、朝晩問わず1時間おきに
 ちょびちょび便意が発生する。


 歩くだけで腹は大暴れしているのに、
 更にトイレまで自分で行く必要があるので
 間に合わずにひたすら大の方を漏らします。

 オムツを履いているのと、そもそも固形物を
 食べていないのでそんなに心配要りませんが
 とにかく起きてからトイレが間に合わない。
 3日目ぐらいまではベッドから立ち上がる度に
 激痛が走り、億劫になります。

 また、お腹のドレーンという管から
 体液が漏れまくってましまい
 シーツ、パジャマもビシャビシャになり
 気持ち悪さもひたすら付きまとうので
 すげー萎えます。

 加えて、このタイミングで同部屋のメンツがヤバいことに
 気づきました。
  ・看護師を捕まえては1時間ぐらい自分語りを始めるお爺ちゃん
  ・大音量Youtubeお爺ちゃん
  ・Hey Siri 大相撲の結果は?お爺ちゃん
 耳栓をしているわけでもないのでとにかく
 賑やかなBGMが痛みとともに襲ってきており
 メンタル的な疲労も溜まる入院生活でした。
 (この日から退院までずっと)

⬛︎術後4日目(7/26)

 この日は術後の最大の山場である
 尿管を外す日となる。(麻酔無しの人力で引っこ抜きます。)
 実際、どのぐらい深くまで管が入っているのか不明だが
 看護師に「痛いですよ。」と平気で言われる。

 いざ、抜かれるのですが
 恐怖で、自分のイチモツを看護師のねーちゃんに
 見られる事は何とも思わないです。

 重要なのが、看護師との呼吸合わせ。
 「3、2、1、ドーン」のタイミングを合わせて
 呼吸を吐くと同時に、一気に引き抜く。
 という説明を受けて、タイミングを合わせます。

 体感的には30センチぐらい入ってたんじゃ
 無いかと思うぐらい、すげー長い管が出てきて
 血も出ました。痛みとしては経験したことないので
 なんとも言えない感触でしたが、普通に痛いです。
 これこそ麻酔使ってやるべきことだなと思いました。

 直後にトイレに行き、使い物になることを確認して
 一安心しました。

 また、管が1本抜けるだけで、身体の自由度は増加するので
 ものすごくこの日から回復している実感を感じます。

 そして、流動食が始まるものの
 味はヤバいので全く食べずに終了。

⬛︎術後5日目(7/27)

 ベッドから立ち上がる事が少し楽になる。
 また、歩きやすくなってくる。
 ただし、傷の痛みで背をピンとまっすぐには
 できないので
 おじいちゃん歩きでリハビリをしてました。
 イメージは点滴のガラガラを歩行機に見立てて
 捕まりながらゆっくりゆっくり歩く感じです。

 食事は少し形があるものになりました。
 申し訳程度のお粥+ゼリー等が出てきますが
 相変わらず味はヤバいのでゼリーのみ食べて終わり。

⬛︎術後6日目(7/28)

 ついに最後の管、ドレーンを抜きました。
 そもそもこのドレーンとは、直接腹にブッ刺さっており
 傷口から体液を排出するための管で
 常に膿っぽい黄色い液体が通ってます。

 そして、お腹に入っているので
 このドレーンがずれたりして
 臓器に触れて痛みや違和感を発生させるので
 これが抜けると、ものすごく体が楽になります。

 ただし、問題もいくつかあって、ドレーンが抜けた後も
 体液は止まらず、傷口からドロドロと
 黄色い液体は流れ続けるので
 3時間おきにガーゼは交換してました。
 また、この日から朝イチ+寝る前に
 血栓予防のための注射をお腹に打つことになるのですが
 この注射がそこそこ痛い。

 ご飯も慣れてきて、食べれるようになる。
 3部お粥という、米が少し残っているお粥と
 ちょっと味のする固形物。

 どれもものすごく美味しくないが
 食べ物を食べている感覚を思い出す。

 また、術後の癒着性腸閉塞を防ぐために
 ひたすら歩くように言われて歩く。

⬛︎術後7日目(7/29)

 ちょうど境目の1週間が経過する。
 この辺から退院日の目処を話すようになる。

 また、完全回復では無いが、6割ぐらいは
 身体の自由が戻っており、だんだんと普通に歩けるようになる。

 ただし、相変わらず下痢が続く。
 この1週間は便意を感じるとすぐに出てしまい
 オムツには大変お世話になりました。

⬛︎術後8〜10日(7/30~8/1)

この期間は日常生活に戻る練習。
特にやることなし。

⬛︎術後11日・退院(8/2)

約2週間の入院生活を終えて、ついに退院。
とにかく、食事のことしか頭になく
速攻でご飯を食べに行く。

が、ここで普通の1人前の食事が
食べきれないことに気づきました。

そして、ちょっと歩いただけで倒れそうになるぐらい
疲れる+疲れが取れない。
歩き方もスターウォーズのC3POみたく、よちよちあ歩き。ふとした瞬間に便意&下痢を催し、
時には腹痛で動けない。

そう、全然身体は戻っていません。
そんなこんなで家でもリハビリ生活ですが
病院より数倍マシ。

⬛︎退院後1週目

家から特に出ないで過ごす。
食事はヨーグルト、お茶漬け、素麺など。
質素なものかも知れないけど
とにかく美味しいと感じて食べてました。

便はゆるゆるの状態かつ
消化能力が弱まっているのか
米粒がそのまま出てくる感じでした。

腹痛は時々痛みが出る。
多分この辺の腸を切ったんだろうなぁと
痛みの感じる箇所で分かったので
改めて人体の不思議を感じてました。

⬛︎退院後2週目

少しづつ、外を歩く練習をする。
初めは犬の散歩で軽く5分程度歩いてました。
また、この辺りからようやく背筋を伸ばして
歩けるようになってました。

ただし、ちょっとの散歩でも
しばらく動けなくなるレベルで疲れました。

会社にも一度出社したものの
着いた時には疲れ過ぎて、ほぼ脳みそが働かない状況。
この時思ったのは、ヘルプマーク付けてても
東京の電車は本当に冷たいということ。

そんなこんなで、若干イラッとするぐらいには
元気になり始めてました。

食事は相変わらず制限しているものの
甘いお菓子的なものは食べても問題ないぐらいに
なりました。

⬛︎退院後3週目(病理検査結果)

ついに、切除した腫瘍の病理検査結果が出る。

結論としては以下のような事を言われました。
 ・癌のステージは3b
 ・腫瘍は大腸の筋肉を突き抜けては居ない。
  (深達度はT3)
 ・リンパには1つ転移が認められた。
 ・後半も予定通り、抗がん剤治療を行う。

できれば、もう少しマシなステージだったら
良かったな。とは、やっぱり思いました。
ステージ3bとは、いわゆるステージ4ギリ手前で
なんとか持ち堪えているぐらいの立ち位置だし
まだ、転移して癌が発病していないだけで
体の中には癌細胞が巡っている可能性大なので
少しは凹みましたかね。

ただ、ポジティブに捉えると
まだ治療できる状態であり
余命宣告されたわけでもなんでもないので
腹括って抗がん剤やっていこうと
その日のうちには切り替えできてました。

⬛︎術後4週目以降〜現在

相変わらず、疲労感がハンパないので
足ツボマッサージに行きました。

リンパ転移しているので、血流良くなる
マッサージってヤバいのでは?とも
思ったんですが、どうやら良いらしいので
いってきました。
マッサージ師さんに「腸のあたりが疲れてますねー」
と、ドンピシャで当てられてので
やはりプロは凄いなと実感。

食事はようやく普通に戻せており
マクドナルドとかも問題なく食べれました。
お酒も解禁しており、抗がん剤が始まる前に
楽しんでます。

そのほかにも、リハビリで軽くランニングしたりと
徐々に元通りの体にはなってきてます。

ただし、前半の抗がん剤の後遺症?
なのか定かでは無いのですが
手足が少し麻痺していると言うか
痺れる感触がチラホラ。

車の運転とか、日常生活には
全く支障は無いのですが
気になる程度のレベル感でピリピリします。
まぁ、どうせ抗がん剤始めたら
痺れるので。

今時点では、全然元気になっているので良かったのですが
手術は暫くと言うよりは2度と受けたく無いので
頑張って健康体で生きていこうと思います。

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