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ポストコロナのクラシック音楽の在り方は "日常に溶け込む音楽"

先日より、落合陽一氏のYouTubeチャンネルにて、「ポストコロナのクラシック音楽」という動画がアップロードされています。

2020年10月13日に開催予定の、落合陽一×日本フィル プロジェクトVOL.4 《__する音楽会》を控えての、日本フィル 平井理事長 × 落合陽一氏 対談動画です。

一通り見てみて、めちゃくちゃ興味深い洞察とクラシック音楽の未来について語られていて、「あっ!!」という間な35分間でした!

今回は、自身の感想や考察も交えて、動画の内容を書いてみようと思います。

こういう人に読んで(動画を見て)欲しい!
◆クラシック音楽に縁や興味がない人
◆音楽の1つのジャンルとしてクラシックに興味がある人
◆クラシックに何かの「固定観念」を感じている人
◆コロナ後のクラシック業界の展望に興味がある人
◆落合陽一さんが好きな人

※本文は文字が多めですが、読む(視聴する)価値大ありです!

動画のリンクです。

(以下、引用した文章は動画と多少相違があります。)

オンラインで生きるクラシック音楽とは

落合氏「オンライン上での配信を考えた時、同じ業界であれば、ベルリンフィルのデジタルコンサートがある。ベルリンフィルは、音質や映像のこだわりをもって、さまざまな企業とタッグを組み、配信している。まず、同じ土俵に立つのだから、ライバルとなる。

文化芸術は、他の理由も有れど、「競争」によりブラッシュアップし合ってきました。その原理が、オンライン配信でも、語られる要素となります。

両氏「また、クラシック以外の、邦楽、洋楽、ジャズ、などの他ジャンルの音楽配信とも対等な位置に立つため、どのように差別化をし、生きていくかが問題。」

この視点が、自分に欠けていた部分でした。

リアルでは、クラシックとクラシック同士の意識(狭い意識)が働いているけれども、オンラインでは、他ジャンルの音楽文化とのやり取り(広い意識)も考えられる、ということであります。

クラシック音楽が生き残るには、今の状況も含め考えてみると、困難なことが多いかもしれませんが、クラシック音楽のさらなる変容や進化を期待できるともとらえられます!個人的には楽しみしかありません。

落合氏「オーディオの限界を感じてコンサートホールへ向かうのに、そこからどのようにしてオンラインでの魅力を引き出せるのか、が課題となる。また、公益財団法人としての文化組織には、利益を出さない分どのように継続し、文化的貢献をしていくべきかということが、難しい問題として、コロナによって剥がされている。急激な人口変化が少なくなる未来に、どうやってクラシック音楽の普及を行うべきか、も考えるべき問題である。」

オーディオで聴くクラシック音楽じゃ物足りないから、コンサートで聴きたい、と思うのは勿論ありますが、個人的にはホール自体の造形やオーケストラのビジュアルを見に行きたい、という考えもあります。

その考え方からいけば、オンラインであろうがなかろうが、そんなに差がない要素かもしれません。

課題は、リアルでの体験とオンラインでの体験の誤差が、どの部分にあって、そしてどのように埋めるべきか、思考することだと思います。

”電子的な音”と”生の音”

落合氏「普段はプログレッシブやテクノ、トランスなどの電子的な音楽を仕事柄聞いていて、その中でクラシック音楽も、ただの音楽のジャンルとして聴く。バイオリンの音を目の前にした時、その音の複雑性がとても大切に想う。リズミカルな音に耳を浸したい時は電子的音楽、耳をリセットしたい時はクラシックを、と感じる。」

「ただの音楽ジャンル」としてクラシックを聴く。めっちゃくちゃ重要で、難しい方法ですよね。この意識が浸透したら、どれだけ多くの若者を取り込むことができるだろうか!(ちなみに僕は若者です。はい。)

落合氏「第九を生で見聞きしている時、本当に「生」の音だなぁと感じる。例えばあれが一つ一つスピーカーであったら、こんな音にはならないし、楽器と人間の僅かな揺れで、ここまで「生」なんだと感じる。

生の音を聞きに行っている時点で、「この音って本当に生だなぁ」と思ったことのある人、いますか!? 居たとしても少ないのではないでしょうか。

そう感じるために必要なのは、個々の意識において、「まさに今聞いている音と、ホール以外で聞いている音の落差を、はっきりと感じ取る感度を得る」ということではないでしょうか?

落合氏「クラシック音楽を直に学んできたわけじゃないけど、メディアアートもさまざまなコンテクストの中で引き継がれてきたモノである。クラシック音楽も過去の偉業などが脈々と引き継がれ、変異や進化を重ねて今がある。であれば、楽器を持つ奏者は、音が鳴るデバイスを持って、クラシック音楽を表現することも、何らおかしい変異や進化ではない、ということを、感じなければならない。

例えば、アイフォンや、何かしらの電子デバイスをもってステージに上がり、クラシック音楽を奏でるということ。今は、「??」と、違和感しか抱けないかもしれません。けれども、様々なアートの歴史の変遷をみれば、なんらおかしいことではなく当然である、という視点もあるといいます。

アイフォンや電子デバイスから出る音は「電子音」ですが、実は「生の音」なのです。それはもはや、電子的に処理された理路整然な音ではなく、「人」と「ホール」と「響き方」に多様性を引き出された、電子的な「生な音」なのです!

すごい!!なにも不自然ではありませんね!!

持続可能なクラシック音楽業界とは

落合氏「ヨーロッパの歴史には感染症がつきまとう。その中でクラシック音楽は引き継がれてきた。今回のことでクラシック音楽業界へのダメージや、課題などが浮き彫りになったとしても、変異や進化で乗り越えることが必ずできる。日本にオーケストラがやってきて100年ほど経つが、ここに存在する独自性をどう醸し出せるかが今後考えなければならない、持続可能なクラシック音楽には、必要なもの。

独自性。私にも想像できません。エンターテインメントとして、どう独自性をだせるのか、本当に難しい課題です。

両氏「文化活動や文化組織に対する、一般社会の理解が、まだ足りていない。国の文化活動の予算は約1000億円だが、ドイツなどはその倍。フランスは3倍。ヨーロッパの強み、例えばファッションブランドや、アルコールなど、そう言ったものにもアート芸術における根幹的な思考があり、それがこのような差につながるのではないか。経済、社会、文化を同列に見ている。経済を回すのは、人。人の営みである文化は、経済において外すことをしてはならない。文化があるから経済活動がある。そこが脆くなると、ウイルスの猛威が来た時に、綻びが出る社会と化してしまう。

スマホといったプラットフォームで、様々な処理が可能になった現代では、人と人の営みが減少していることは明確な事実です。

「人と人の営みの減少」、それは日本の経済を大きく揺るがす根幹であり、その営みの一端を担うのが「クラシック音楽」であると言います。

地元の文化、日本の文化、自分の興味や関心や思想などに、誇りを持つこと。大切にしたい部分ですね。

地方のアマオケからヒントを得る

落合氏コロナでのステイホームにより、より身近にアートを置きたいと思う人が増えている。例えばリモート会議の背景に気の利いた絵画を置きたいとか、五感で感じられる何かを持って過ごしたいとか、感じる人もいる。縮小しているようにみえて、拡大している側面もある。しかし、それは感度の高い人に偏る。

そもそもの問題として、どのようにアート、クラシックに興味を持ってもらうか、そこの課題をクリアしなければなりません。

音楽団体も、「良いものやってるんだから来いよ!」という感覚を捨て去らないといけない。

そもそも「良いもの」と、聴衆に強要をしてはいけないと思います。特に、乱立と失脚の激しいアマチュアオーケストラには、心に刻んでほしい言葉です!!

そういえば、今までは、プロのオーケストラ視点で語ってきた内容でしたけど、そもそも楽器演奏者の人口って日本は多いはずですし、アマチュアオーケストラも相当な数が全国にありますよね?

アマチュアに出来ることって、何かないのでしょうか?

平井氏地方は音楽などに触れる機会が少ない。どうにか、テクノロジーを駆使して、届けていきたい。地方のとコミュニケーションの大事さを、このコロナで学んだ。

「「「これだ!!!」」」

地方のアマチュアオケの奏者ほど、熱心で、クラシックに雄弁で、真面目で、直向きな人達は居ないと思っています。

地方のアマチュアオケの数は非常に少ないですが、その分、他のアマ団体との交流も盛んです。しかも、同県にプロ団体がいれば、「プロ×アマの交流」についても、盛んに、意識的に行われています。

地域コミュニティに関しては、人と人の距離は非常に近いです。開催が近い演奏会を軸に、交流が盛んです。

「音楽を愛するものとして、より平等に、人と人との営みが行われている」のが地方です!何かヒントはないでしょうか…。

日常に溶け込む音楽

落合氏人により近い存在となるクラシック音楽に変態するのも一つの手。例えば、食と音楽を繋げて、興味深い体験にする、など。いわば、生活の中のクラシック、オーケストラ。クラシック、オーケストラといういつもの狭い世界で考えず、他の文化や学問につながるものだと再考しなければならない。

アートや学問などの歴史は、必ずどこかの一点でつながり、分岐していると、落合氏は語ります。それは、落合氏自身のアート活動にて、明瞭な視点だそうです。

具体的には様々な「日常に溶け込む音楽」に関する案が思いつくと思いますが、前提としてあるのは、「気持ちいい!!心地よい!!」という感情だと僕は考えます。

これから聞くクラシック音楽の体験を「どこかで、聞いたことある様な。」と疑問を持たせるようなものにすること。そして、「ああ!あそこで聞いた音楽だ!あの時はあーでこーで、こんなことがあった…懐かしいなぁ。」と気持ちよく心地いい思い出とともに語られることが、クラシック音楽を好くモチベーションにつながるのではないでしょうか?

クラシック音楽を日常に溶け込ませようとしたとき、その視点をベースに配置していければ、いろんな感動体験を億万の人に与えられると信じています!

人は”インスピレーション”が欲しい

クラシック音楽を好まない人を、否定してはいけません。

人は個々に、何に感動し、号泣し、インスピレーションを与えられるのか、全く異なることだからです。

私だってもちろん、JPOPもたくさん聴きますし、それ以上にクラシック音楽も聴きます。いづれの音楽にも、感動を覚えることが多くあります。

人が動かされるのは、やはり「インスピレーション」そのものなんです。

落合氏主導で行われる予定の音楽祭だって、「音楽の中身」で、もちろん人々の心を動かしたいという気持ちがあるのは、当たり前にわかることです。

しかし、このコロナ禍で、その音楽祭を開催することの難しさを実感するという事実だけでも、素晴らしいインスピレーションを得ることができませんか?「ほんとうにこの人たちは、よくやっている、すごい」と感動を得られませんか?

芸術、とはそういうことだと思います。
「音楽」の「中身」。「音楽」が作られる「過程」や「メイキング」。全て芸術です。
落合氏は、それをこの音楽祭で表現するつもりではないのだろうか、と個人的には感じています。

残念ながら、この音楽祭には参加できませんが、今後の活動にも期待しかありません!

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