つい両手を合わせて祈りたくなるクラシック音楽まとめ
わたし自身はこれといった信仰対象はないのですが、ある特定のクラシック音楽を聴くとつい「祈りたくなって仕方がない」ときがあります。
両手を合わせて、静かに、無になった心で、その穏やかな響きに体を委ねたくなるのです。
そんなクラシック音楽について、かなーりの独断と偏見で数曲ピックアップしてみました!
ゆったりと穏やかな気持ちできける曲ばかりです。是非とも、見ていただき、聴いてもらえたら嬉しいです。
1、交響曲第5番より3楽章/ショスタコーヴィッチ
動画21:45〜
4楽章が非常に有名ですが、3楽章の無慈悲なストリングスに思わず祈らざるを得ません。気づいたら両手を合わせていました。
2、交響曲第3番より4楽章/カール・ニールセン
動画28:09〜
ニールセンの交響曲については、4番の不滅、また5番などが順次聴かれる機会が多いですが、この3番である、ひろがりの交響曲も最高です。
その中でもこの4楽章はとくに祈りを捧げたくなる楽章です。何かに優しく抱かれてるような、心地の良い安心感があります。
3、交響曲第7番より2楽章/ブルックナー
動画21:10〜
ブルックナーの交響曲はとても長く、マイナーの部類にあたります。しかしながらマイナーとして聴かずに距離を置くにはあまりにも勿体無い、神曲、神楽章が多くあります。(ヴァント指揮が非凡)
個人的にどの交響曲のアダージョも最高に祈りたくなるのですが、今回はこの7番の2楽章を推します。
跪いて、祈りを請いたくなるような、強大な力を感じるはずです。
4、交響曲第4番より2楽章/ブラームス
動画13:00〜
ブラームスの交響曲第1番が、わたし個人ベスト1のシンフォニーですが、祈りたくなるという見方をすると、この4番に軍配が上がります。
遥かなる高みから覗き込む神に対して、祈らなくてはならない。そう思ってしまい、いつもついつい祈りを捧げてしまいます。
5、交響曲第1番より3楽章/ボロディン
動画18:30〜
ボロディンの交響曲は未完成の3番を含めて3曲存在します。本業の科学者としての研究の傍ら、このような素晴らしい作品を残したボロディンを世界一尊敬しています。
1番の3楽章については毎度、心も体も傷つきいくアテのない放浪者を思い浮かべてしまい、そんな架空の人にどうにか幸せになって欲しいと、両手を合わせてしまいたくなります。
6、交響曲第2番より2楽章/エドワード・エルガー
動画15:37〜
エルガーの曲は、とてもしなやかで、広くて、紳士的なイメージを受けます。この2番もそのように感じ取れる部分が多々あります。
1楽章序盤からだいぶ祈りたくなるのですが、2楽章から感じ取れる、悲痛さなのか、それともしなやかな幸せなのか、どちらとも取れる曲想に、必然と祈りを捧げてしまいます。
7、交響曲第6番より3楽章/プロコフィエフ
動画27:42〜
このプロコフィエフの6番については、3楽章が特に祈りたくなります。
聴いてみるとわかる通り、3楽章序盤は明快に進んでいくのですが、終盤から様相が一変します。
調子に乗ってスキップしていた人々が、大きな障害物に引っかかってこけてしまい、痛い目を見たかのような感じ。
最後は崖から落ちるように、衝撃的におわります。そんな境遇に、祈らざるを得ない感情になります。
手を合わせながら聴く、エモい体験を
以上、7曲を紹介しました。
クラシック音楽における「交響曲」というジャンルは、宗教的な音楽体験から、一般民にも音楽体験に親しんでもらえるような試みの中で発展してきました。その流れの中で、貴族以外の庶民にも広がっていくことになります。
要するに、誰に対してもクラシック音楽は開かれている、ポピュラーな音楽だということです。何にも難しいことなんて、全くないんですね。
この7曲以外にも、つい両手を合わせて祈りたくなるようなクラシック音楽はたくさんあります。
手を合わせながら聴くと、ほわんほわんとしたエモい気分になること間違いなしです。
そしたら、よりクラシック音楽を楽しめること請け合いです。
是非、クラシック音楽に祈りを捧げながら聴いてみてはいかがでしょうか?
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