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全集を買って帰りましょう

 第62回神田古本まつりが始まる三日前、健康診断を受けるため昼過ぎに御茶ノ水を訪れた。健康診断では医師にかなりきつく叱られた。大人になってから赤の他人に叱りつけられるというのは堪えるものがある。神保町で軽く食事をすませると九段下まで歩いて帰ることにした。平日の靖国通りは、まばらに歩く会社員や学生の姿に新鮮みを感じるので好きだ。神田古本まつりを控えてか通りに提灯が吊るされて、そわそわした空気を帯びていた。

 澤口書店の前を通りかかると『耕治人全集』(晶文社)が店頭に積まれていた。耕治人といえば、詩作から本格的な作家活動を始めて、戦後発表された私小説を中心に小説家として評価を傾けられるようになる。とりわけ脳軟化症を患う妻との日常を綴る「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」に絶筆となった「そうかもしれない」を加えて「命終三部作」とも称されている。
 とはいえ知るひとぞ知る作家でもある彼の全集がほとんど無造作に積まれている光景は、なかなか見過ごすには忍びない。なにしろ文庫判で刊行された著書は、代表的な短編を中心に編まれた講談社文芸文庫の『一条の光|天井から降る哀しい音』のみで、それも現在品切になって久しい。

 耕治人を知ったきっかけは文芸誌の〈新潮〉2007年7月号、第20回三島由紀夫賞発表号だ。この時の受賞作は、佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』(新潮社)だった。選評と受賞記念エッセイのほかに、佐藤友哉と選考委員のひとりである高橋源一郎の対談「文学への責務が残る」が載っていた。対談のなかで高橋源一郎による言及で、はじめて耕治人と〈命終三部作〉を知った。学生時代に大学図書館の二階にある、コンクリートを打ち放した開架書庫の隅で読んだ。
 その後、私小説に興味を持ち始めた頃に『一条の光|天井から降る哀しい音』を読み、近代以降の日本の伝統的な私小説に通じる佇まいでありながらそれらとは一線を画す詩才を感ぜられる文章に、印象深い作家のひとりとして記憶されている。

 澤口書店の店頭に積まれていた『耕治人全集』は、全七巻が帯も揃ってビニールで梱包されていた。値札には月報も揃いである旨とともに、定価の二割以下という破格の値段が記載されていた。とりわけ私小説は作家の実人生が反映されている以上、名作傑作と言われるものを掻い摘まむよりも、執筆の流れにそって読むほうが発見も味わいもある。果たして通読するかはさておき、個人全集を持っておくのは無駄ではないだろう。
 しかし個人全集としては全七巻と冊数こそ控えめではあるものの、函装の本を七冊も持って帰るのは、ましてや同じくらいの値段で配送してもらうとなると購入も躊躇してしまう。またビニールの梱包を剝がして状態を確認することはできないと言われてしまい、いくら安くても本文の状態が芳しくないと損することになる。結局その日は購入を見送ることにした。

 何かをした後悔よりもしなかった後悔のほうがおおきいとする言葉があるが、生活のなかで得心することがまったく多いものだ。翌日の深夜、この「『耕治人全集』を買わなかった話」を電話でしていると、話しているうちに、どうして買わなかったのか煩悶が頭を擡げてきた。明後日には神田古本まつりが始まってしまう。そうなると、すぐに誰かに買われてしまうだろう。調べた限り、そもそも『耕治人全集』の相場がかなり安くなってはいるが、それでも定価の二割以下という暴落的な値付けは見かけない。やはり買っておくべきではないか。
一晩に亘って悩んだ末に翌日『耕治人全集』を買うためだけに私は神保町をふたたび訪れて、全集を買って帰った。かんじんの中身は、小口にやや染みがあったものの許容できる範囲の状態であったため、満足のいく買い物だったといえる。

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『耕治人全集』を買った翌日、第62回神田古本まつりが初日を迎えた。初日から休みをとって歩き回っていると、そこで今度は『八木義徳全集』(福武書店)を見掛けた。岩波神保町ビルの裏路地にならぶ露店の棚にビニール紐で結束されていたそれは、全八巻がこれもまた帯と月報揃いで定価の一割以下という、もはや自棄みたいな値付けだ。
『耕治人全集』を買ったばかりだというのに、さらに『八木義徳全集』まで買うというのか。とはいえ、八木義徳も耕治人ほどではないものの文庫で手に入るものはすくなく、その著書のほとんどが品切の憂き目にある。
 親切なことに『八木義徳全集』の棚の古書店主は中身の状態を確認させてくれて、結果こちらの望むものではなかったため購入を諦めることができた。一週間と経たずに個人全集をふたつで生活空間が圧迫される危機に至ることなく、購入の能わなかったことは残念ではあるものの、どこかで安心もしている。

『八木義徳全集』といえば、堀江敏幸『回送電車』(中公文庫)には「『八木義徳全集』の端本しかない理由」と題したエッセイが収められている。
 かつて十代の頃に「旺文社文庫の、島尾敏雄や田宮虎彦や山川方夫といった、たがいになんのつながりもない作家の短篇集を手にしていた」著者は、同じように旺文社文庫から刊行されていた八木義徳『摩周湖・海豹』も一瞥していたそうだが「八木義徳の世界に親しみをもって接するようになったのは、一九八〇年代のなかばあたりからということになる」と書いている。当時を振り返る文章のなかには耕治人の名前もでてくる。

 振り返ってみれば、村上春樹を筆頭にむこう十年の現代文学をさまざまな意味で活性化していく若手が台頭する直前に、野口富士男、島村利正、川崎長太郎、耕治人といった個性豊かな年長の書き手がにわかに息づいて魅力的な短篇を続々と発表するという、なにか真水と海水がまじりあって豊かな生態系がうまれる河口に似た時代で、これら独自の道を進んだ作家たちが晩年にむかえた繚乱たる活躍期のなかでも、八木義徳は際だって旺盛な筆力で文芸誌をにぎわしたひとりだった。

堀江敏幸「『八木義徳全集』の端本しかない理由」


 個人全集を持つことは、ひとりの作家の人生を書棚に置くことと同義だ。それだけで、見守られているような気持ちになる。揃いで買えるのも嬉しいが、散らばった一巻ずつを地道に揃えていくのも、時間をかけてその作家の人生を辿っていくようでもあって悪くない。

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