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東京競馬場で花火を見る(日記の練習)

2023年7月5日(水)の練習

 夕方から花火を見に東京競馬場へ向かう。『東京SUGOI花火2023「Yuming 50th Anniversary 〜真夏の夜の夢〜」』を友人と三人で観る。

 誘ってくれた同い年の友人はユーミンのファンで、ユーミンが四十年以上に亘って苗場プリンスホテルで毎年開催しているライブにも成人してから何度も遠征していて、今年五十周年を記念して現在開催中のコンサートツアーも四都市で参加している。このあとの公演にもまだまだ参加するらしい。一緒にカラオケに行くとかならずユーミンの曲を歌うし、間奏ではユーミンのMCのものまねをする。すこしうざったいくらいに愛がある。
四月にイベントが発表された途端友人から「(会場が東京競馬場だから)競馬が好きなら行くでしょ?」というふわっとした理由で誘われて、こちらも競馬場に行けるならいいかとふたつ返事で誘いを受けた。一緒に誘われたもうひとりの友人も、ひさしぶりに花火が観たいくらいの気軽さで話に乗った。
 あくまでユーミン五十周年を記念してユーミンの名曲とともに花火が打ち上げる催しであって、本人の出演については案内のどこにも記載はない。ないものの、友人としては「サプライズゲストで出演するかもしれない……いや、するはずだ!」と長年のファンの勘を働かせていた。正直なところ何を言っているとだろうと思って聞き流しているうちに当日を迎えた。

 府中競馬正門前の待ち合わせになって、京王線に揺られて運ばれていく。花火と同日同刻には飛田給にある味の素スタジアムでもサッカーの試合がおこなわれているそうで、その影響もあって京王線は阿鼻叫喚の様相を呈していた。もうひとりの友人から混雑具合に絶望している内容のメッセージが届くなか、誘った当人であるユーミンファンの友人からは頼んでもいないのにセットリストの予想が送られてくる。しっかり楽しんでいる。それらを読みながら、無心で府中競馬正門前に向かう。相原かろ『浜竹』(青磁社)に収められていた一首を思い出す。「府中競馬正門前行にわれ乗れば即ち到りぬ府中競馬正門前に」。
 なんとか開演一時間前には府中競馬正門前で友人らと落ち合う。先に着いていたユーミンファンの友人と会うなり、一時間前くらいに松任谷由実のtwitter公式アカウントで「ま、も、な、く、、、」という投稿があったことを教えられる。投稿には本日限定で発売された京王線の記念乗車券の写真も添えられていて、その事実をもって「これは、いよいよ今日ユーミン来るぞ!」と力説される。もうひとりの友人は、既に人波に疲れ果てて悄然としている。このテンションのギャップに挟まれて花火を観るのか、これは大変なことになったぞと思う。

 ユーミンと競馬場は意外な組み合わせだと思っていたが、ユーミンファンの友人曰くそんなことはないという。
 名曲“中央フリーウェイ”は中央自動車道を歌っていて、歌詞のなかにも「右に見える競馬場/左はビール工場」と、東京競馬場がでてくる。歌詞を意識して聴いたことがなかったけど、冒頭に「調布基地を追い越し」とあるのだから言われてみれば確かにそうだ。また、2016年にはJRAのブランドCMのイメージソングとして“AVALON”という楽曲を書き下ろしている。
 東京競馬場内の飲食店は営業しておらず、かわりにキッチンカーと、サントリーがドリンク販売の出店をしている。なぜかキッチンカーはカレーパンやカツサンド、ロコモコ丼と、花火を見ながら食べるには重たいものばかり。しかし、花火を見ながら何を食べるのが正解なのだろう。問い返されたら困ってしまうが、食事はひとまず諦めてアルコールだけ購入する。ユーミンファンの友人は生ビールをひとつ、もうひとりの友人は生ビールと缶のレモンサワー、私は「きっと一杯ではたりないに違いない」と両手に生ビールを持って、チケットに記載されている座席へ。フジビュースタンドは立ち見エリアにもパイプ椅子がならべられて席が指定されている。私たちの席も、まさにその立ち見エリアになっていた。チケットが販売開始してすぐに購入したこともあってか、五列目と良席。すこし雨がぱらついているものの気にせず乾杯して、ビールで喉を潤す。

 定刻になり馬場の照明が落とされると、フジビュースタンド中央に設置された壇上に司会のアナウンサーが登壇する。アナウンサーの挨拶もそこそこに「それでは、お招きしましょう」というようなことを言うと、早々にユーミンが壇上に現れる。本当にユーミンが来た! さきほどまで大人しく着席していた観客も、どよめきとともに一斉に席をたって壇上を視線を向けている。私たちの席位置からは壇上がちょうど真横で、ユーミンの姿を正面からは拝めないが、それでも直線10〜20メートルくらいの距離なので、かろうじて横顔は視認できる。
 ユーミンは着物姿で、着物ではあまり見ないような椰子の葉のような文様があしらわれている。それなのに、色合いのせいか上品に見える。見入っているユーミンファンではなく、もうひとりの友人に「やっぱり実家が呉服屋だと着物も素敵だ」と言うと「ユーミンほどのひとだったら、別に実家関係なく上等な着物は着慣れてるでしょ」と返される。そりゃそうだ。
 ユーミンは五十周年を迎えたこと、そして会場である東京競馬場について話す。ユーミン本人は競馬に明るくはないが、あらかじめ友人が教えてくれた“中央フリーウェイ”の歌詞に東京競馬場がててくることにもふれる。それから「多摩の赤駒は万葉集の頃から歌にもありますが」とさらっと言って驚く。「赤駒を山野に放(はが)し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣やむ」。宇遅部黒女の歌だろうか。あらかじめ用意した挨拶の文面だとしても、こういう例えが出てくるのが教養だなと思う。

 ユーミンの挨拶が終わると、フジビュースタンドの照明も落とされて、いよいよ花火が始まった。一曲目は“真夏の夜の夢”。今回のイベントのタイトルにもなっている曲が流れると、否が応でも盛り上がる。「花火は舞い上がり/スコールみたいに降り注ぐ」。人気の曲だし、かならずどこかで来るとは思っていたけど、まさか開巻劈頭を飾るとは。一曲目が終わっただけで、もうクライマックスを迎えたような心地だ。続く二曲目は“満月のフォーチュン”で、より爽やかでポップな曲調に繋がる。夜空を見ながら聴く“満月のフォーチュン”は、思ったよりもずっとしっくりくる。MVのイメージもあって結婚式の悲喜交々を連想してしまう“輪舞曲”も、冒頭の「キャンドルに灯しましょう/思い出みんな照らすように」のフレーズが、夜をとりどりに照らす花火と重なる。そして、ユーミンファンの友人が一押しで流してほしかった“月夜のロケット花火”が来て、友人の拍手があがる。自身のライブでもあまり歌わないそうなので、ライブではなくてもこういうイベントで聴けるのは喜びも一入だろう。そして満を持してというか、ここで“中央フリーウェイ”が来るのが嬉しい。前半最大の盛り上がりで、前列の年季がはいったユーミンファンと思しき女性陣も堪えきれずに着席のまま小躍りしている。“中央フリーウェイ”を東京競馬場で聴けるなんて、椎名林檎の“丸の内サディスティック”を丸の内の東京国際フォーラムで聴けた時くらい嬉しい。そう言えば、その時もこのユーミンファンの友人と一緒に行った(というか連れて行ってもらった)のだった。
“中央フリーウェイ”から一転、荒井由実時代の掉尾を飾った名盤『十四番目の月』に同じく収められている“晩夏(ひとりの季節)”が、それから“不思議な体験”とバラードが続く。あでやかな打ち上げ花火も、途端に夜闇に消えていく儚さへ意識が移っていく。続く“春よ、来い”はユーミンを知らないひとに向けての選曲だと思うのだけど、これが花火とまた絶妙に合うのだから不思議だ。バラードの流れがそういう聴き心地の好さになっているなら、セットリストの妙だろうか。バブル景気まっただなかにこれからの世を先取りしたようなアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』から“SWEET DREAMS”が、そしてユーミンファンの友人とカラオケに行って何度も聴かされた“埠頭を渡る風”が来て、ただしんみりとしているだけでないバラード特有の喪失感がさわやかさな開放感とともに胸に押し寄せてくる。見渡す限り遮るものなく空がひろがる競馬場も、この開放感に一役を買っていることだろう。だから花火も綺麗に見えるのだから、とてもいいイベントだ。駄目押しのごとく『十四番目の月』の表題曲、そして最後はこれもまた名曲“DESTINY”で花火の幕が閉じる。“DESTINY”では、ユーミンが歌うとき左右に手を振るタイミングにあわせて花火も左右から扇をひろげるように放射状に打ち上げられていて、細部の演出にもこだわりが窺える(というのは、もちろんユーミンファンである友人からの受け売りだ)。
 打ち上げ花火なんて十年ぶりくらいに見たが、大概の花火大会は場所取りをしてレジャーシートに座りこんで首を伸ばし伸ばし見るか、交通規制された道路に満ち満ちた人熱れのなか歩きながら見るかだろうが、絶好の場所で椅子に座って音楽とともに見るというのははじめてで、打ち上げ花火とはこんなに楽しいものだったかと考え直すほどだった。座って見れるのはいいね、音楽があると盛り上がるね、と規制退場を待つ間に友人同士でも話した。
観客が退場していくと歓声も徐々に波が引いて、競馬場内がしんとする。東京競馬場を夜に見る機会もそうそうないかもしれない。そう思うと、煌々とてらされた芝生をいつにもまして名残惜しく感じる。花火の終わったあとのさみしさも相俟って、すこししんみりとしながら競馬場を後にする。

 京王線に乗って終点の新宿まででて、どこかで晩ごはんでも食べようという話になるが、ユーミンファンの友人のテンションの高さに比して満員電車にうんざりしたもうひとりの友人が音を上げたので、途中下車して明大前のソウル苑で焼肉を食べる。
 帰宅して、競馬場に関する文章が読みたくなる。田村隆一『ぼくの草競馬』(集英社文庫)から「競馬場にて」を読む。
『ぼくの草競馬』は先月、田村隆一の競馬エッセイだとわくわくしてネット古書店で注文したら、競馬に関するエッセイが一編しかなかったという、いわくつきの本だ。田村隆一は詩も散文も好きなので(今年の二月に中公文庫から刊行された『ぼくのミステリ・マップ 推理評論・エッセイ集成』も買って読んでいる)普段ならそれはそれで喜んで迎えいれるのだが、競馬エッセイと思ったらそうではなかった落胆はすくなくない。どうりで競馬関連の書籍をあつめている古書店や収集家あたりも書名を挙げていないわけだ。
 肝心の「競馬場にて」というエッセイは、巻頭と巻末に詩人・鮎川信夫の有名な詩「競馬場にて」の一節が引かれている。田村隆一は、人生で二度しか競馬場に行ったことはないと書いている。一度は中山競馬場、もう一度は東京競馬場、その二度とも田村隆一を競馬場に連れて行ったのが鮎川信夫だった。エッセイは競馬というよりも、鮎川信夫との思い出を綴っている。鮎川信夫は、私がはじめて読んだ戦後詩人だ。思潮社の現代詩文庫ではじめて読んだのも『鮎川信夫詩集』だった。
 就寝前、相原かろの歌につられて吉野裕之『空間和音』(砂子屋書房)に収められていた歌を思い出す。「木立よりトランペットの響きいて 夏、揺れ止まぬ馬のしっぽは」。
 今度は馬を見に競馬場に来たい。秋の東京競馬場へ。

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