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2歳児検診

年に一度、町の保健センターで定期検診を受ける。2歳児検診である告知を受けた。

「次男くんに自閉的傾向が見受けられます」


長女はやはり言葉が早く、1歳過ぎには2語文を発し、2歳を過ぎる頃にはある程度会話ができるようになった。長男はそれには遅れたが、同じく2歳ごろには言葉を発していた。
次男はNICUにいた頃、体も1番小さく肺の発達も少し遅かった。産まれてすぐ軽い黄疸が出ていて、紫外線照射をしばらく受けていた。そもそも産まれる際に仮死状態であったことは、しばらくして奥さんから聞かされた。小児科の勤務経験のあるうちの母が「この子は…」と呟いていたのもきづいていた。

何かあるとしたら、おそらくこの子だろう。
ある程度覚悟はしていた。
ただ想像はできていなかった。

1歳を過ぎて、長男長女はこちらの目をしっかり見るのに対し、次男はそっぽを向くことが多く、そしていつまでたっても言葉を発することが無かった。
加えて、夜なかなか寝付かないのも次男であった。抱っこしてもおぶっても一向に寝ない。夜泣きともまた違う、だれか身内でも亡くなったのかというような泣き方で嗚咽を続け、0時ごろにやっと寝付く。
長男長女はどんどん言葉を覚えていく、次男は母音や子音の羅列。たまに「パパ」と発したかと思うと、それは「パ」の連続をただ面白がって発しているだけだった。

ダウン症や脳性麻痺などのように、外見で際立った特徴もなく、3人の中でむしろ端正な顔立ちに見えていた。なんならすこし賢い感じにも見える。しかし、のちに受けた検査結果はIQ50台、知的障害のある自閉スペクトラムの診断が下りた。

最初におそったのは、とてつもない絶望である。この子の将来は一体どうなってしまうのか。学校は?就職は?親がいなくなった後誰が世話をするのか?もう何もかもが分からなくなった。
なにより悲しいのは、息子と会話が出来ないこと。ちょっとした感動も、この子とは共有できないのだろうか。心に大きな穴が空いたようだった。

これがわかってから、SNSで子供の写真などは控えるようになった。正直恥ずかしさもあった。しかし1番は、今の状況を、周りにどう伝えて良いのか分からなかった。同情など呼びたくもない、かといって茶化されたくもない。この状況を受け止めてどう人に発信するか、しっかり決めてからでないとこの話題は出すべきではない、そう思ったのだ。

東京にいるとき、なにか良い食事や楽しいイベントに出会っても手放しで喜べない。これは息子の件がわかる前も少しあったが、ここでさらに顕著になった。不幸というのはただ悪い状況に居る事ではなく、良い状況を素直に受け止める事が出来なくなることなのだ。これは最近やっとわかった事である。

とにかくまず、受け入れるしかない。受け入れて、なにか適切な対処法を探して、実行すること。そう言い聞かせた。

しかしIQ50 コミュニケーション不能というのは少々納得がいかない。2歳当時の次男は言葉は全く出ないが何かに喜び、悲しいときは泣き、楽しければ笑う。しっかりと感情はあるように思えた。そしてこれは自閉症者特有らしいが、なにかの機械や仕組みのあるものに異様に興味を示した。ドアを開けては閉め、その仕組みを確かめるかのように数十回開け閉めを繰り返したり、あるときは扇風機のon offをまた繰り返す。掃除機をやたらとバタバタ倒していると思ったら、どうやら掃除機のホースがバランスよく立っている状態を、なんとしてもキープしたいらしい。なかなか難しいようで、パタンと倒してはキーッと奇声を上げる。その姿がなんとも愛くるしい。正直うるさくて仕方ないけれど。何かが欲しい時には手を掴んでそれを触らせようとする。すべて自閉症の資料に載っている典型的な行動である。ただ、これをコミュニケーションが取れないと括ってしまって良いのだろうか?なにか欲があって、相手にそれをアピールすることは出来ている。そこに言葉を使えていないだけで、ある程度は伝わっているのだ。その「やりたいこと」がかなわない時は機嫌を損ねて大泣きしたり、物に当たったり。これは、何とか周囲とコミュニケーションを取りたくて必死でもがいているだけなんじゃないか? いまはそう仮定している。犬飼ってるようなもんだな、と言ったのは流石に奥さんに怒られたけれど。うちの実家では、犬や猫はれっきとした家族である。愛すべき家族である事には、変わりはないのだ。

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父親目線での三つ子育児日記 移住先でのくらしと発達障害の判明、その考察

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