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赤水

町役場からほど近い一軒家。お店も近くて幼稚園が隣にある。町立病院が家のはす向かいにあるなど、町のだいたいの場所は徒歩圏内にある。大通りに面しているので少し車の音が気になるが、立地の良い物件だと思っていた。
住み始めてから少しして、ここが空き家になっていた理由が一つ一つ、明らかになってきた。

まず、「とにかく寒い」。
暖房効率が極めて悪いのだ。立地や広さ、そして家賃に誘われて入居した人達は、ひと冬越すと静かに去っていくらしい。これは北国の住居としては致命的な欠陥である。下手をすると命に関わる。
建て坪にして約40坪近い一軒家で築50年くらい。
この地域の古い家屋というのは、本州の古民家と比べてどこか柱も細く、壁もこれで冬を越せるのか?と疑いたくなるくらい薄いものが多い。全体的に深みを感じられず、サイズは大きいが「掘っ建て小屋」という表現がしっくりくる。聞くと、いわゆる本職の大工が建てたのではなく当時の家主がいわゆるDIYで建てた家が多いらしい。その開拓者精神には本当に頭が下がるが、結局のところ餅は餅屋。現代で言えば素人がグーグルで独学しただけの知識で建てた家と、代々技術を伝えてきた本職の大工が建てた家とを比べるようなもので、詰めの甘さを探せばキリがない。ましてや当時はグーグル検索も何もないのだから。家主の目分量で測ったことが容易に想像できる箇所が山ほどあって、その建てつけの悪さは言うまでもない。すきま風の嵐である。
二階に上がると三つほど部屋があって、一つドアを開けると廊下の向こう岸に引っかかって止まった。これにはため息も出なかった。ドアの寸法を測るのに、両手を広げて「このくらい…」とか言いながら木材をマーキングしている絵を想像した。本人はさぞかし楽しかったろう。まさか他人がお金を払って住むなどとは思いもしなかったはずである。

そして、「水回りが甘い」
水道管の配置も甘かった。排水が上がってくるようなことは無かったが、ろくに断熱材も入ってない壁を伝っているため冬場には思いもしない場所が凍りつく。水道管はどんどん錆びていき、台所の蛇口からは最初の1ヶ月間真っ赤な赤水が出ていた。これまでも何度となく水道屋さんが修理に来ているらしい。基本の仕様が甘いプログラムの修正ほど生産性の薄い案件は無いのだ。いっそ元から作り変えたほうがいい。修理を続けるかいっそ再構築か、いちどしっかりそろばんを弾いてみれば良いのだ。

そんな家でも、住む人が徐々に対応していってある程度住みやすくなってきそうなものだが、自分のように頻繁に家を空ける状況だと、設備が使いきれないので赤水も自然には直らないし暖房効率もなかなか上がらない。大家さんに「なるべく家にいてくれ」と言われたがそう言う問題でも無い気がする。契約書に「月何日かは必ず在宅すること」などと書いてあったら絶対に半は押さない。
やはり不動産業者の関わらない物件は、色々と面倒だな…。ここで、一家で暮らすという夢はひとまず置いておくことにした。

それにしても、ここまでライフラインが安定しない暮らしは初めてだった。衝撃的だ。みんなこの厳しい土地でどうやって暮らしてるんだろう?偏見じみているが、この地に住む人達の顔にはどことなく悲壮感が漂っている気がする。厳しい環境で心を削られながら、それでもここが家であり、故郷なんだ、と自らに言い聞かせながらなんとか耐えしのいでいるように見える。これは批判などではなく畏怖の念だ。自分が育った環境もかなりの田舎だったが、よくよく考えると岡山は日本の南側に属している。気候も穏やかなので、自然の脅威と戦うなんてことはよくあって数年に一度くらいだ。実にぬるま湯に思える。翻って沖縄など南方では台風がとてつもない脅威だし、また違った厳しさがあるのだろうか。しかし沖縄では「ナンクルナイサ(なんとかなるさ)」が合言葉でどこか楽天的。北海道の合言葉は「なんともならない」といったところか。そういえば岡山でも北側の地域はなかなかの豪雪地帯である、が…どうなんだか。この地域には、物凄く高い壁のような何かを感じる。何なんだこの土地は。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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