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『ダブドリ Vol.12』インタビュー01 藤井祐眞 (川崎ブレイブサンダース)

2021年10月8日刊行の『ダブドリ Vol.12』(株式会社ダブドリ)より、藤井祐眞選手のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。インタビュアーは元レバンガ北海道の松島良豪さん。

2シーズン連続でレギュラーシーズンベスト5を含む3部門で個人タイトル三冠――学生時代は点取り屋だった藤井祐眞は、大学でディフェンスを覚え、名門・川崎で司令塔として成長。シックスマンからチームを引っ張る男へ飛躍した。今回、そのルーツを紐解くべく、1991生まれの同級生で元レバンガ北海道の松島良豪氏が、熱いインタビューで彼に迫った。(取材日:7月28日)

松島 改めて自己紹介させていただいてもいいでしょうか。今、国士舘大学バスケットボール部のアシスタントコーチをしております松島と申します。元レバンガ北海道で選手をやっておりました(笑)。
藤井 存じております(笑)。
松島 今回は、藤井選手のルーツと言いますか、これまでのバスケ人生を含めて色々聞いていこうと思います。昨シーズンは(レギュラーシーズン)全59試合に出場して33試合の先発。今まではシックスマンとして流れを変える役割が多かったですが、昨シーズンはスタメンに定着をして、チームを引っ張っている印象でした。それに二年連続で個人タイトル三冠。特にベスト5の連続選出はすごいなと思っているのですが、受賞についてどんな気持ちでしたか。
藤井 一昨年初めて受賞して、その時は手応えがあったんですけど、(コロナ禍で)シーズンが途中で終わってしまいました。(篠山)竜青さんが怪我で途中離脱をしたり、チームで怪我人が続いたことでプレータイムが伸び、チャンスをつかんだ中、選ばれた嬉しさはあったのですが、完全燃焼しきれなかった気持ちが少なからずありました。でも昨シーズンは本当にシーズンをやり遂げての選出でした。今までは竜青さんがスタメンを張ることが多かったんですけど、僕の方が多く先発で出させてもらって、シーズンを戦い抜いての受賞は嬉しかったですね。
松島 やっぱり自信になりましたか?
藤井 自信になりましたね。
松島 アグレッシブにプレーされてチームの流れを変える印象を持っていたのですが、最近は篠山選手もよく言っていたんですけど「チームを勝たせるガード」になってきていると思います。特にゲームの組み方とか、何を狙ってやっているのかなど。年々、良くなっていると思っています。僕が言うのもおこがましいと思うんですけど。
藤井 いやいや(笑)。
松島 特にゲーム終盤の勝たないといけない状況に対する考え方は2、3年前よりやっぱり変わっていますか。
藤井 変わっていますね。責任感と言いますか「自分がやってやる」という気持ちは間違いなくあります。今まで試合終盤は、辻(直人)さんやニック(・ファジーカス)の2メンゲームを中心とした展開で、なかなか勝ち切れない、それで優勝ができなかった過去がありました。そこで、二人以外も頑張ろうということを(チームから)ずっと言われていたので、あの二人に任せるのではなく、自分でも「やってやろう」という気持ちを持ちました。あとは、この二年間ぐらい試合終盤に起用してもらっていましたので、それに応えたい気持ちでやっていましたね。
松島 我の強い選手がやっぱりいるわけじゃないですか。
藤井 はい。
松島 その中で試合終盤にチームをまとめることは結構、大変なシーズンでしたか。「なんで俺じゃないんだ」と言われたり。結局シュートが入れば良いと思いますが、入っていない時にそうなるのではないかと。少し言い方が難しいのですが、ニック選手と外国籍選手二人の3ビッグになると苦労はありませんでしたか。僕もレバンガで経験したんですけど、なかなかコントロールが難しかった。我の強い選手がいた時に、コミュニケーションはどうやっていたのか聞かせていただけますか。
藤井 本当に3ビッグでコミュニケーションは大事でした。特に僕らは日本人ビッグマンがいなかったので、チーム練習で3ビッグをやると、もう一方のチームがスモールになるんです。それで練習自体があまり上手くいっていなくて、試合で3ビッグを作っていくしかない状況でした。だから試合の中でミスをしても、成功しても、フリースローの時など常にコミュニケーションを取りながらやっていましたね。それでだんだん機能するようになりました。それと3ビッグの時に相手がどういうディフェンスを仕掛けるのか。それで判断してゲームの組み立て方を決めていましたね。例えば、シンプルに3番でパブロ(・アギラール)が出て、そこで相手が日本人選手をつけてきたら、インサイドを狙ったりとか。相手の対応によって、「このプレーが効くな」みたいな感覚で、試合最後のコントロールはやっていましたね。だいたいニックもそういう考えでやっていました。
松島 そこがウィークポイントと分かったら突いていく。
藤井 そう。僕とニックの2メンゲームから、分かったら何度もそれを狙う。
松島 昨シーズン、その判断はどちらかと言うとヘッドコーチの指示よりも、選手の中でコミュニケーションを取りながらやっていたんですか。
藤井 選手同士がコミュニケーションを取っていましたね。もちろんタイムアウト後など要所で、コーチ陣のセットプレーを使っていたんですけど、バスケットには流れがあるじゃないですか。「じゃあどうする?」となった時は、基本的にその時の選手の判断でやっていましたね。
松島 川崎の皆さんはバスケIQが高いので判断が良いですもんね。僕は大変な時もあったな……(笑)。
藤井 (笑)。
松島 他のチームに行けばエース級の選手たちが川崎にはそろっている。長谷川(技)さんを筆頭にチームのために動いてくれる選手が多くて、ここを止めておけばいいというポイントがないので、(現役のときは)対戦していて、いやらしかったです。それでも、昨シーズンは天皇杯で優勝されて、これは川崎が(リーグ制覇まで)行くという見方がシーズン中からあったと思うんですけど、チャンピオンシップのセミファイナルで敗れました。周囲の期待も大きかったと思いますが、実際に勝てなかった時はどのような心境でしたか。
藤井 良い内容でレギュラーシーズンを終えることができました。だんだん3ビッグも仕上がり、チームとして何をしたいのか分かってきてのチャンピオンシップでした。だから、個人的には(リーグ)優勝ができると思っていたんです。だけど、宇都宮戦の第一戦で自分たちが強みとしていたビッグラインナップで、少しディフェンスのシステムを変えたら、ちょっとズレが起きてしまって、そこから相手にポンポンと(得点を与えて)やられました。修正をして最後は1ポゼッション差とか同点の展開までは持ってこれたのですが、そこで勝ち切れなかったです。一戦目が全てだったのかなと思います。
松島 今回は僕も(リーグ優勝まで)行けるなと思ったんですけどね。
藤井 行けるなと思ったんですけどね。でも、二戦目は宇都宮が強かったです。あれはもう本当、強かった。
松島 川崎に勝った宇都宮がそのまま優勝まで行くと思いましたが、よく千葉はファイナルで勝ったなと思いました。
藤井 千葉はすごかったですね。
松島 (セバスチャン・)サイズ選手も強烈でしたね。
藤井 やっぱり、リバウンドだったんですよね。僕らの試合もリバウンドで差をつけられて、でも試合自体は三点差の試合(宇都宮との第一戦)。リバウンドの取れる、取れないもあるし、本数より勝負所でいかに取れるか。確か千葉と宇都宮の第三戦も最後(の決勝点)はサイズ選手のリバウンドだったと思うんですよね。そこでだいぶ(結果が)変わった印象がありますね。

中学校の一年生、二年生の時には、ほぼ試合に出ていなかった(藤井)

松島 昨シーズンは天皇杯優勝と、レギュラーシーズンも惜しかったですけれども、本当に(個人タイトルは)文句なしの受賞だったと思います。そこで続いて、藤井選手のルーツをうかがいたいと思います。島根から静岡、東京、神奈川と、色々な経験をされていますが、中学校時代はどういう選手だったんですか。
藤井 どういう選手だったんだろう(笑)。
松島 僕は藤井選手のことを月バス(月刊バスケットボール)で見たのが最初です。湖東中でしたよね。全員が坊主のすごく頑張っている印象のチームでしたが、藤井選手がめちゃくちゃ印象に残っているわけでは無かったんです。
藤井 中学校の一年生、二年生の時には、ほぼ試合に出ていなかったです。
松島 そうなんですね!
藤井 中学一年生の時、三年生が全ミニ(全国ミニバスケットボール大会)で優勝している代だったんですよ。全国優勝したメンバーが湖東中に上がったので、レベルが高かったです。僕は小学生の時、全然上手くなかったので。中学校に上がってから「ヤバいところにきてしまった」という感じで、試合は応援団が多かったですね。二年生の時も、全国に出た小学校の出身者や、山口県から転校してきた先輩が上手くて、一つ上の代も良い選手が集まっていたんです。
松島 じゃあ、中学校の頃は三年生の時からようやく試合に出たんですか?
藤井 そうですね。二年生の時は、試合が決まってから出るぐらい。三年生になってからですね。僕を含めて三年生が二人しかいない状況でした。上の先輩たちが二年連続で中国地区大会の準決勝で負けていて。
松島 じゃあ、全中(全国中学校バスケットボール大会)には先輩たちは出ていないんですね。
藤井 そう。中国地区からは二チームしか全国に出られないんですよ。強いと言われた代が二年連続で出られなかったから「俺らの代は無理だー」と。確か代替わりして、新人戦のような一番最初の大会も、松江市でベスト8でした。
松島 そうなんですね。
藤井 市内でも全然勝てないようなチームだったんです。だけど、そこから何があったか分からないんですけど(笑)、自分勝手に自由にやって、点を取ったり、ボール運びもやったり、何でも屋さんになっていったら、だんだん良くなってきて勝ち出したんです。市内で一位、県大会で二位になって、中国大会では決勝まで進んで、全中行きが決まりました。まあ、でも運もあったんですけどね。中国大会の予選で岡山県一位のチームと対戦したんですけど、そのチームとは一度、練習試合で30点差ぐらいでボコボコにされていたんです。「うわーこれが全国レベルかー」って叩きのめされたような気持ちで(笑)。
一同 (爆笑)。
藤井 だから「これは無理だ」と思って。でも予選で当たったら、二点差ぐらいで勝っちゃった(笑)。だから運もあったんです。
松島 中学生あるあるですね。そういう感じ。
藤井 そう。中学生あるある。この何でか分からないけど勝ってしまうあたり。
松島 サイズがあって動ける選手が増えてきた時代でした。高校時代の話になりますが、藤井選手が藤枝明誠に行くと同じ地区のライバルに同級生の宇都(直輝)選手と張本(天傑)選手が中部第一にいましたね。僕が藤枝明誠の藤井選手のプレーを現地で初めて見たのは高校三年生の時でした。攻撃力のすごいチームでしたが、練習はオフェンス練習が多かったんですか。
藤井 オフェンス練習のみでした!
一同 おーー!
藤井 一対一の練習があったんですけど、そこでオフェンスが一対一をやるから、それに負けないようにディフェンスをやれよという感じ。たぶん、それがディフェンス練習でした。
松島 えーー(笑)。
藤井 とにかく朝練がキツかったですね。走って、シューティングして、ピックアップされた選手は試合をするメニューでした。午後はとにかく一対一、三対二、三対三の速攻といった練習だったかな。
松島 やっぱりそうなんですね。
藤井 そういう練習ばかりでしたね。あとは本当に五対五のゲームがメイン。速攻やって一対一やって速攻やって試合。それしかやっていない(笑)。
一同 (笑)。
藤井 フットワークメニューもそんなになかったと思います。ディフェンス練習はほとんど無かったですね。
松島 本当にオフェンス能力が高くて、トランジションバスケのレベルにびっくりしたことを覚えてます。三線の速攻が本当に綺麗だったな。留学生も走れて、鈴木(友貴)選手や永井(裕也)選手とか、一対一が皆さん強かったじゃないですか。あの時代、藤井選手は二年生のウインターカップで79点を取って一躍、有名になったと思うんですけど、三年生になると中部第一の方が注目されたじゃないですか。東海大会の決勝で宇都選手と張本選手が活躍したので。失礼かもしれないですが、インターハイで藤枝明誠はそこまで注目されていなくて。
藤井 あーそうでしたね。
松島 ただそれでも、中学校時代のように全国で勝ち上がるじゃないですか。確かインターハイではベスト4まで行きましたよね。その秘訣はあったんですか。
藤井 あの時は高校三年生の東海大会で中部第一高校に負けて、シードも取れなくて二回戦ぐらいで京北高校と対戦したんですよ。京北は当時、関東で群を抜いた強さで優勝(候補)でした。ヤバイなと思ってたし、月バスの下馬評に僕たちも載っていて。
松島 あー星が二個とか。
藤井 そう星二とか!
松島 あるある。
藤井 京北はとても(下馬評が)高くて「誰も俺らに期待してねーよ」という気持ちだったんで「じゃあーやってやるか」と、ある意味で開き直って戦ったら、京北に勝ったんですよ。そこからは勢いに乗りましたね。
松島 (福岡大学附属)大濠と対戦しましたよね。
藤井 準々決勝でやりましたね。
松島 大濠も強くて、その試合は見ていましたが、圧倒しましたよね。
藤井 圧倒しましたね。点差をつけて、余裕のある勝ち方だったと思います。
松島 さらに(準決勝の)福岡第一との試合もキツイだろうと思っていたけど、競った展開でした。
藤井 3ピリオドまで競ってましたね。

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