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それでも夢を追いかける ―猪狩渉挑戦記#5

「25歳までにNBA選手になる」と自分自身に約束をした少年は26歳になった。夢は叶わなかったが、それでも自分自身に嘘はつかなかった。そんな青年の夢の続きは「家族と地元への思い」から見つかった。猪狩渉、26歳。夢は変わらずNBA選手。新しい挑戦が今、始まる。

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「自分の家族にとっての誇りでありたい」

宮本 福島ファイヤーボンズへの復帰コメントで「25歳までにNBAに行く」という目標を掲げていたと書いてありました。区切りを決めていたということは必ずどこかで終わりがきます。実際に今年26歳になってBリーグ復帰という選択をされました。その決断に至るまでにどんな考えがあったのでしょうか?
猪狩 僕は子供の頃に「25歳までにNBA選手になる」と自分自身に約束をしました。これはサッカーの本田圭佑選手の著書を読んだときに、「目標に対して時間の制限をつけなさい。何歳までにこの夢を叶えるといったところから逆算してアクションを起こしていく。これが夢の叶え方だ」と書いてあったんです。そこで「25歳までにNBA選手になる」と自分自身に約束をして、そのためのステップを歩んできました。当時、日本からNBA選手が出たのは能代工業だけだったので、高校進学先は必然的に能代工業になりましたし、NBA選手になるためには早い段階でアメリカに行く必要があると考えていました。それはスラムダンクの中で、沢北栄治や流川楓がアメリカを意識していたことも僕には影響があったし、スラムダンク奨学金を受ける理由にもなったと思います。
 自分としてはNBAを目指して25歳まで全力で努力してきました。そんな自分自身との約束は守れてきたと思っています。結果としてその約束は果たせませんでしたけど、全力でNBAを目指した自分自身に後悔はないです。
宮本 なるほど。色んな選択肢があった思いますが、Bリーグに復帰するという決断にはどんな背景があったんでしょうか?
猪狩 1つ伝えたいことは、決してNBAへの夢を諦めたわけではないということです。ここから5年、30歳になる前にもう1度チャンスがあればチャレンジをしたいし、アメリカからオファーがあればもちろんしがみついていきたいと思っています。ただ、昨年祖父が亡くなったことで僕の中で考えの変化がありました。祖父は僕のことをすごく応援してくれていて、サポートもしてくれていました。心配をかけたまま祖父が亡くなってしまったことがすごく後悔というか、心残りというか……。プレーをしている姿も見せることができませんでした。その時に「どうしてNBAを目指しているのか」とか色んなことを自問自答して、僕は「自分の家族にとっての誇りでありたい」という自分の一番深い欲求に気づいたんです。
宮本 それは「NBA選手になる」ということよりももっと根源的な自分の欲求を見つけたと?
猪狩 そうです。だから家族が喜んでくれるように、僕のことを誇りに思ってもらえるように、そして家族がバスケットを観に来やすいような環境でバスケットをすることが僕の中で家族への恩返しになるんじゃないかと考えるようになりました。だから、今回福島と契約させていただいたのは、今の僕にとって1番幸せな選択でした。25歳までにNBA選手にはなれなかったですけど、これからを考えた時に、福島ファイヤーボンズが僕の想いに対して、可能性を与えてくださったので、僕の中では福島以外にありませんでした。

写真提供=福島ファイヤーボンズ

挑戦の仕方を変えて、階段を1段ずつ登っていく

宮本 今のおじいさんのお話も含めて、猪狩選手は家族や福島にすごく愛着というか、「誇り」を持っていると感じます。福島の話をすれば、震災から11年経ちました。決してまだ風化させてはいけない、けれどもどこか忘れてきてしまっているような空気感があると僕は感じています。やはり家族も含めて、地元の福島でプレーをするということに強い意味や価値を感じられていますか?
猪狩 そうですね。被災した当時はバスケットができるような状況ではありませんでした。正直、生きるか死ぬかの世界だったので、あの経験をした自分が故郷を思う気持ちは人一倍だと思います。だからこそ、次の時代を担う子供達に対しての想いも強くありますし、いまだに復興されていない地域もある中で、何かバスケットで貢献したい。被災して辛い思いをしたからこそ、地元への思いはいつも強く持っています。
宮本 20歳の時に福島と契約した時とは心境が違うという話もありました。具体的に変わったことはどのあたりですか?
猪狩 年齢的に若くない部類に入ってきたので、1年1年が勝負で、常に危機感を持ってやっていきたいと思っています。今、自分の中で大事にしていることはプロであり続けることです。そこにフォーカスしていて、場所を問わず、1年でも長くプロバスケット選手でい続けられるように日々を過ごしていきたいと思っています。
宮本 猪狩選手が一度福島を退団して3年間の海外挑戦をしている間に、Bリーグは1つの人気コンテンツとして成長しました。ブースターのなかには以前福島でプレーしていた猪狩渉を知らない方も多くいると思います。今シーズン、福島の猪狩渉はどんなプレーを見せてくれるでしょうか?
猪狩 まずはチーム内の競争を勝ち抜いて、プレータイムを得ることにフォーカスしていきたいと思っています。身体は小さいですけど、誰よりも足を動かして、前線から積極的なディフェンスを見せたいと考えています。以前、福島ファイヤーボンズに在籍していた頃はあまり見せれなかったアウトサイドシュートも今の自分なら自信を持ってプレーができるので、そのあたりも注目してもらえれると嬉しいです。あとは変わらず僕の武器はスピードなので、スピードを活かしてコートを駆け回って、相手をかき乱していくプレーにも注目してもらえればと思います。
宮本 活躍を期待しています。1つの夢の区切りがきたわけですが、これからのことは考えていますか?
猪狩 「夢はNBA選手」がぶれることはありません。ただ、もう若くないので、1発勝負のトライアウトを受けまくるのはやはりリスクがあります(笑)。だからこそ挑戦の仕方を変えて、階段を1段ずつ登っていくように、まずは日本でスタッツや結果を残して、それを持って再度チャンスがあればアメリカに挑戦したい。ヘッドコーチの佐野公俊さんはアマチュアやプロで多くのコーチキャリアを持ち、僕が以前福島にいた時はアシスタントコーチをされていました。アシスタントコーチの栗原貴宏さん福島出身で日本代表としてもプレー経験のある方です。お二人から毎日学べることは自分の中ですごく大きいことで、より自分が成長できていると既に感じています。
宮本 楽しみしています。最後にもう1つ。8月31日に秋田ノーザンハピネッツとプレシーズンゲーム(会場:CNAアリーナ⭐︎あきた)を行うことが発表されました。奇しくもと言いますか、運命的というか、能代工業の同級生であり、親友の長谷川暢選手とのマッチアップが見られるかもしれない。すごくドラマチックなストーリーだと思います。そこに向けた意気込みもいただけますか?
猪狩 そうですね。高校時代に切磋琢磨して、同じ釡の飯を食った仲間であり、親友である暢と対戦相手としてコートに立つのは初めてなので、ワクワクしているのと、自分自身がB1のチームにどのくらい通用するのかという部分でもすごく楽しみです。自分の現在地を知ることができるいい機会だと思っていますし、僕はプロになってから秋田でプレーするのが初めてなので、秋田の皆さんの前でプレーできることももちろん楽しみです。ただあくまでチームスポーツなので、僕の個人的感情は関係なく、「福島ファイヤーボンズ」というチーム全員でB1の秋田にどれだけ食らいついていけるのか、チャレンジしていきたいと思っています。

写真提供=福島ファイヤーボンズ

取材・文=宮本將廣

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