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それでも夢を追いかける ―猪狩渉挑戦記#4

「25歳までにNBA選手になる」と自分自身に約束をした少年は26歳になった。夢は叶わなかったが、それでも自分自身に嘘はつかなかった。そんな青年の夢の続きは「家族と地元への思い」から見つかった。猪狩渉、26歳。夢は変わらずNBA選手。新しい挑戦が今、始まる。

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1日3ドルで空腹をしのいだTBL生活

宮本 昨シーズン、アメリカTBL(The Basketball League)のダラス・スカイラインに所属し、今シーズンはBリーグの福島ファイヤーボンズに復帰となりました。まずはTBLにトライして感じたことを教えてもらえますか?
猪狩 僕の感覚ですけど、プレーヤーのレベルはTBLの方が高いと感じました。
宮本 そう感じた理由はどのあたりですか?
猪狩 簡単にいうと個人の能力です。例えばフィニッシュまで行き切る力、決め切る力、個々の身体の強さなど総合的なバスケットボールにおける個人の能力に関してはやはりBリーグよりもTBLの方がNBAに近いと感じました。ただ、バスケットボールIQはBリーグの方が高いと感じました。特にコーチングスタッフのレベルはBリーグの方が圧倒的に高いと思います。日本のコーチ陣は世界的にみてもかなり勉強されていると改めて感じました。
宮本 コーチのレベル感は日本にいると全く想像ができませんが、猪狩選手はTBL以外にもABA(米独立リーグ)でもプレーをしていましたが、TBL、ABAのコーチはどんなキャリアの方が多いのでしょうか?
猪狩 TBLは比較的コーチ陣のレベルは高かったです。ディビジョン1の大学でコーチ経験を持つ方やこれからディビジョン1でコーチをやりたいとか、GリーグやNBAでコーチを目指しているような方が多くて、コーチ自身にとってもチャレンジの場になっていた印象です。
宮本 TBLで1シーズンを過ごしてみて、得られたものがあれば教えてもらえますか?
猪狩 そうですね。まず日本とアメリカではバスケットのルールが違います。アメリカのバスケットはディフェンス3秒のルールがあって、オフェンスと同じようにディフェンスもペイントの中に3秒以上留まることができないため、比較的ペイントが空いています。だから日本のバスケットよりもペネトレイトの機会が多くなります。その中で日本とは違うタイミングで跳んでくるビッグマンに対してどうフィニッシュするのか、もしくはその前にミドルのジャンパーでフィニッシュするのか。そのあたりの状況判断はすごく勉強になりました。後はディフェンスの時のハンドチェックが日本よりも厳しいので、手を使わずに足と身体でしっかりと守ることも意識できました。ディフェンスに関してはサイズもないので、ポストアップを狙われることが多く、その中で当たり負けしないで、身長差があっても守れる自信がついたことはプレーヤーとしてすごくプラスになりました。
宮本 日本人だけでなく、アジア人としても初のTBLプレーヤーでしたが、ヨーロッパや中南米、アフリカなどの選手はいたんですか?
猪狩 ほとんどアメリカ人です。海外のプロリーグとの契約やGリーグを目指すことがリーグにいる多くの選手の目的になるので、外国籍選手は僕ぐらいだったと思います。実際、TBLのシーズン中にヨーロッパのチームから声がかかって契約をした選手も多くいて、優れた選手はシーズン中にヨーロッパのチームに移籍していきました。後はTBLで優勝したチームからはNBAのオクラホマシティ・サンダーと契約した選手もいました。バスケットのレベルとしてはGリーグに近い環境でやらせてもらえていました。待遇面、給料や練習環境などは全然程遠いですけどね(笑)。
宮本 なるほど。では、その待遇、環境面について伺っていきますが、Bリーグは年々待遇、環境面が良くなっています。TBLは決して待遇、環境面がいいとは言えないリーグですよね?
猪狩 そうですね。実際に僕も途中からチームメイトと2人でホテル暮らしになりました。キッチンがないホテルだったので、1個1ドルの安い冷凍ハンバーガーを買いだめして、それを1日3個で生活をしていました。身体を作るために食事をするというよりもその日生きるための食事をする。それでバスケをするというのは僕の中ですごく新鮮だったし、リアルな“ハングリー“を体験させてもらいました。

写真提供=本人

お金をいただいて、毎日バスケができる。これこそが幸せ

宮本 3年前にBリーグを離れて、NBAを目指すために再び海外挑戦を始めた当時よりも自分が成長したところはどんなところですか?
猪狩 当時はBリーグのレベルに達していないにも関わらず20歳で契約をさせてもらって、なんとなくお金をいただきながらバスケットをしていました。もちろん試合に出られなかったり、大変な思いもしましたけど、そもそもお金をいただいてバスケットができている、毎日練習ができている、それが幸せだということに当時の自分は全く気づいていませんでした。だから、自分の置かれている状況に不平不満を言ってしまうことも正直ありました。ベクトルを自分に向けずに、自分がうまく行かないことを周りのせいにしていました。
宮本 なるほど。でも、それは若さゆえみたいなところもありますよね。
猪狩 そうかもしれないです。でも、Bリーグから離れると、練習場所を確保することもままならず、トレーニングもまともにできない。バスケの試合も1年間に10~20試合程度しかできない。Bリーグなら年間60試合できて、チームメイトと切磋琢磨しながら練習ができる。その上でお金をいただけるということに対して、感謝の気持ちを持てるようになりました。そして、そういった環境がどうやって作られていて、誰のおかげて自分がバスケをやれているのか、そのすべてを理解して感謝の気持ちを持てるようになったところが人間として成長できた部分の1つです。
宮本 当たり前のことかもしれないけど、なかなか気づけないことがありますよね。
猪狩 本当にそうなんです。そんな日本の環境の素晴らしさに感謝しないといけないし、もっとその環境を有効活用して、自分自身を伸ばしていけるはずです。普通の社会人の方は9時から17時とかまで仕事をされて、その仕事終わりや休日に数時間、多くても週に数回しかバスケットができないわけじゃないですか。僕らはお金をいただいて、毎日バスケットの練習ができる。これこそが幸せなんだなと身に染みて感じています。だから、今の環境を大事にして感謝してプレーしたいと思っています。
宮本 僕も最近それを感じます。たまに体育館をとって練習してるので(笑)。
猪狩 大好きなバスケをやるために時間を作ったり、場所を確保するだけでも大変なことがあると今は知りました。また、海外挑戦をしていた期間は、トレーナーや栄養士がいない環境だったので、自分自身でトレーニングや身体に関することを勉強しました。いろんなことを試行錯誤して、身体を大きくしすぎて走れなくなった時期もありましたし、逆に身体を軽くしてスピードを求めた結果、当たりに弱くなってしまった時期もありました。その中で自分の体重をコントロールすることができる術を身につけられたり、トレーニングの知識や栄養の知識を勉強して、自分の身体をいい状態に持っていくことができるようになったことは自分にとって大きかったです。
宮本 以前はそこまで考えてなかったですか?
猪狩 正直、そこまで真剣には考えていませんでした。あとは先ほどの話と若干重なりますが、大きい選手との対戦が日常だったので、自分よりもサイズのある選手に対してのディフェンスやオフェンスを学べました。特にシュートに対する意識はかなり強くなりました。前にBリーグにいたときは、外国籍選手に良いフィニッシュをさせるためにボールを運んできてパスを回して展開を作る役割でしたが、アメリカでは自分で積極的にアタックして得点を取りに行かないと、そもそもボールが回って来ません。だからシュートに対して、すごくアグレッシブに行けるようになったことと、自信を持って打てるように練習したので、今はアウトサイドのシュートにすごく自信があります。この3つが以前にはなかった僕のプロバスケットボール選手としての新しい武器だと感じています。

写真提供=福島ファイヤーボンズ

#5につづく

取材・文=宮本將廣

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